クライメイト

気候変動とともに対応が求められる生物多様性の課題

主任研究員 大沢 泰男

気候変動への社会的な関心が高まり、今年の秋にはCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)が開催される。しかし、もうひとつのCOP15(生物多様性条約第15回締約国会議)が開催され、2030年に向けたマイルストーン(目標)が議論されることは、あまり知られていない。本稿では、昨今、議論が進む生物多様性について紹介した上で、今後企業に求められる対応について考察する。生物多様性への対応は、気候変動の取組と強く結びついており、先々を見据えた行動が求められている。

1.生物多様性や自然資本を巡る議論

「生物多様性を保全する」。地球資源には限りがあり、持続可能な社会が希求される中で、総論としてこの目標に反対する人は少ないだろう。では具体的に、生物多様性の保全とは何を指すのか。この問いに明確に答えられる人も少ないのではないだろうか。そこで、はじめに生物多様性や自然資本について解説する。

190を超える国・地域が締結している「生物の多様性に関する条約(生物多様性条約)」の定義によると、生物多様性とは、①生態系の多様性(森林、里山、河川など)、②種の多様性(動植物、細菌など)、③遺伝子の多様性(同じ種でも異なる遺伝子を持つ)のことを指す1。つまり、生命そのものの多様性だけではなく、生息空間や環境(水、土壌など)をも含む幅広い概念が生物多様性という言葉には包含されている。他方、自然資本についてはいくつかの考え方が存在するが、環境省は、自然資本とは「森林、土壌、水、大気、生物資源など、自然によって形成される資本(ストック)」であり、「自然資本から生み出されるフローを生態系サービスとして捉えることができる」としている2。このように、生物多様性と自然資本は非常に近しい意味で使用されていることがわかる。

別の視点から見ると、生物多様性とは人間社会においても欠かせない要素、とも言い換えられる。無償で受けられる恩恵が多く、その重要性が実感しにくいが、生物多様性や自然資本の価値を定量的に評価するという試みは、様々な角度から行われている3。世界経済フォーラムの報告書によると、「世界全体で約44兆ドルの経済的価値の創出(GDPの半分以上)が自然資本に依存している」と推定されている4

生物多様性や自然資本から恩恵を受ける経済活動としては、まず、農業、漁業、畜産業、林業などが思い浮かぶだろう。多くの製造業や建設業でも木材、水、自然由来の物質を利用している。自然資本には、海や森林といった自然環境も含まれ、観光業や不動産業との関わりも深い。また、現在議論が始まっている第六次エネルギー基本計画では、温室効果ガスの発生を抑制するためにさらなる再生可能エネルギーへのシフトが検討されているが5、その中には生物資源を利用するバイオマス発電や、自然環境を利用した風力発電や水力発電などが含まれている。普段意識するケースは少ないかもしれないが、生物多様性に関連しない経済活動はないといっても過言ではない。

様々な経済活動で恩恵を享受する一方で、農業開発や森林伐採などによる地球環境の変化は、生物多様性を毀損し、様々な懸念を惹起している。例えば、作物の遺伝的多様性が喪失すれば、病気耐性が低下して食料供給の安定性が脅かされる。生態系の破壊が植物の光合成などを通じた自然の炭素循環(貯蔵)に悪影響を与えれば、地球温暖化の加速も想定される。今までにない生物間の接触が発生し、人類が未知のウイルスと遭遇する確率が高まるという指摘もある6。生物多様性の毀損が蓄積すれば、社会経済への影響は避けられない。国連環境計画および自然資本分野の国際金融業団体Natural Capital Finance Allianceでは、生物多様性の喪失が少なくとも年間4,790億ドルの経済損失を発生させていると推計しており7、世界経済フォーラムも発生可能性が高いリスクおよび影響が大きいリスクの上位に生物多様性の損失をあげている8

2.TNFDやCOP15は何をもたらすのか?

近年、生物多様性への危機感が高まり、国際機関を中心とした取組が進められている。足元ではTNFDとCOP15という2つの大きな動きが注目されており、ここでは両者の目的や取組内容について概説する。

(1)情報開示の枠組みであるTNFD

TNFDは、その正式名称をTask force on Nature-related Financial Disclosure(自然関連財務情報開示タスクフォース)といい、グローバルな資金の流れをネイチャーネガティブからネイチャーポジティブにシフトさせるため、企業が自然関連のリスクと機会を開示し、行動につなげる枠組みの策定を目的とした国際的な組織である13。このネイチャーポジティブとは、自然環境の喪失を止め、再生を促進することを意味する14。TNFDは設立が宣言された段階だが、2020年から非公式な議論を開始しており、情報開示項目や手法の具体化を検討している。想定されているロードマップによれば、2023年には情報開示の枠組みが公表され、企業には枠組みに則った対応が推奨される見込みである。

現時点の公表内容をみると、開示情報の枠組みを構築し、グローバルな資金シフトと企業の行動変容をはかるなどTCFD(気候関連財務情報開示)と類似する点も少なくない《図表2》。TCFDに則った開示では、企業は気候変動に関するガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標の開示が推奨されるが、TNFDでも同様の仕組みが検討されている。また、金融機関の参画により、その実効性を高める工夫がなされている。

一方で、異なる点も存在する。TCFDはG20財務相・中央銀行総裁会議の要請を受けた金融安定理事会によって設立され、各国政府の後押しを受けた。それに対して、TNFDの設立は国連や民間部門が主導している。同様に、情報開示の在り方についても違いがある。TCFDは気候変動が企業財務に与える影響について説明を求め、投資家に対する情報開示を意識しているが、TNFDではそれに加えて、企業活動が自然にどのような影響を与えているかといった、幅広いステークホルダーが必要とする情報の開示を検討している15

(2)包括的な目標が議論される生物多様性条約締約国会議(略称 COP)

TNFDでは情報開示の枠組みが議論されているのに対して、COP15では生物多様性に関する具体的な目標を設定する。現在は2030年に向けた21の行動指向型の短期目標が話し合われており、例えば2030年までに陸域や海域の30%を保全する、全ての企業における生物多様性への影響評価を求める、といった目標が検討されている《図表3》。他にも、殺虫剤やプラスチックの利用、過剰消費等が言及されており、今後の展開によっては社会経済に与える影響は小さくない。

加えて、2050年をゴールとする長期目標の設定に向けて、より実効性を確保し、幅広いステークホルダーを巻き込んだ対応が必要との認識が高まっている。その背景には2020年までの短期目標の多くが未達成となったことが一因にある16。目標達成に向けて関係機関の連携を強めており、TNFDの共同議長に生物多様性条約事務局長のムレマ氏が就任するといった動きもある17

3.今後の展望

生物多様性に関して、COPの場では包括的な目標設定を、TNFDでは企業に対する情報開示の枠組みを策定している。ここでは、実際に企業にはどのような影響が波及してくるのかを概説する。

(1)企業に対する行動目標の設定や情報開示要請の強化

まず想定されるのは、生物多様性が企業活動にもたらすインパクトの把握、ネイチャーポジティブに向けた目標設定と達成に向けた行動・進捗確認、これらに関する情報開示に対する要請の強化である。生物多様性が喫緊の課題との理解が進むにつれて、企業の持続可能性や価値創造の観点からも情報開示を求める声は強まる。サステナビリティに関する情報開示は、気候変動に焦点が絞られて議論が進んでいるが、気候変動の枠組みが整えば、生物多様性の分野に波及すると考えられる。実際、それを先取りするかのように、米資産運用会社大手のブラックロックは、2021年から生物多様性や森林、水に関するスチュワードシップを強化し、企業に対応を促しはじめている1819

さらに、COPでの目標設定に対して、企業が生物多様性の持続可能性についてどのようにコミットするかが問われることも想定される。気候変動に関するパリ協定は2015年に合意され、TCFDが最終報告書を公表したのは2017年である。それから、わずか5年足らずで多くの企業が対応を要請されたように、生物多様性についてもTNFDとともに急速に対応を求められる可能性がある。

(2)気候変動と一体での対応

企業には気候変動と生物多様性を一体とした対応が求められる可能性もある。例えば気候変動に関して、EUでは2019年にグリーンディールが発表され、取組が進められているが、その中では生物多様性についても目配せがなされている。具体的には、クリーンな循環型経済への移行に際して、資源の効率的な利用、生物多様性の回復、環境汚染の防止といった観点が行動計画に盛り込まれている20。また、2020年に注目されたEUタクソノミーでは、気候変動の観点からグリーンか否かといった点に注目が集まったが、この中には生物多様性に関しても重要な視点がある。同タクソノミーは、6つの環境目的(気候変動の緩和、気候変動への適応、水と海洋資源の持続可能な利用と保全、サーキュラーエコノミーへの移行、環境汚染の防止と抑制、生物多様性と生態系の保全と回復)に対して、どれかひとつに貢献するのみでなく、6つの環境目標のいずれにも「著しい害を及ぼさない(DNSH:Do not significant harm)」ことが求められる21。つまり、気候変動対応に有効であっても、生物多様性に大きな損失をもたらす取組は認められず、双方を評価していく必要がある。

また、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)とIPBESが合同で作成した報告書において、「科学的見地からも、気候変動と生物多様性は相互に依存しており、生物多様性の損失は気候変動と人間社会に悪影響を及ぼす」との指摘がある22。同報告書では、気候変動対策のうち、本来森林ではなかった生態系への植林などは生物多様性に悪影響を与える可能性があり、生物多様性を評価した対応でなければ却って悪影響が発現するリスクがあると警鐘を鳴らしている。このように、気候変動対策を進める中でも生物多様性について考慮していくことが求められる。

(3)食料やエネルギー供給への波及

生物多様性の保全を促すため、陸域や海域の30%を保護区に設定することや、殺虫剤等の使用制限などが検討されている。土地や海の利用可能領域が制限され、生物多様性を犠牲にした効率的な農水産業が否定されれば、既存の食料生産の持続可能性は弱まり、代替食の普及が加速するかもしれない。また、エネルギー供給の観点からも、今後のメガソーラー発電所や風力・水力発電所の建設には、生物多様性に十分留意する必要性があると指摘されている23。結果として、気候変動への対応と同様、使用するエネルギーが生物多様性にどのような影響を与えているか、企業は開示を迫られるかもしれない。加えて、個々人の生活様式、消費行動、文化が変化する中では、企業はその変化に的確に対応することが求められる24

4.生物多様性に関しても、企業には先々を見据えた対応が求められる

本稿では、昨今急速に進む生物多様性に関わる議論が企業に波及する影響について概説した。生物多様性に関わる議論は多くの企業に関係しており、TNFDというTCFDと似た情報開示の枠組みの策定が進められている。企業としても開示が求められるようになる可能性が高い。もちろん、生物多様性には気候変動のように温度や温室効果ガス(GHG)排出量といったわかりやすい目標がなく、議論が拡散しやすいなど様々な課題もある。しかし、生物多様性の保全は、持続可能な社会を構築する上では欠かせない要素であり、近い将来にはカーボンニュートラルと同様に、グローバルに浸透していく可能性がある。

地球温暖化を防ぐという目的において、GHGの排出を抑制していくことは欠かせないが、これからは単に再生可能エネルギーの導入によってGHGを減らせばいいのではなく、生物多様性への目配りといった視点が重要となる。仮に生物多様性を無視した開発を続ければ、別のリスクが発現することになりかねない。持続可能な社会を目指す中で、バランスの取れたアプローチを模索していくことが求められている。

また、こうした国際的な議論に対しては、持続可能な社会の構築への貢献という観点だけでなく、経済活動に大きく影響することから、積極的にルールメイキングに参画していく必要がある。企業は、持続可能な社会を担うステークホルダーとしてまずは現状を把握し、そして将来のリスクや企業価値の創造につながる機会を探求していくことが必要となる。

  • 環境省のウェブサイト(Visited Sept. 22nd, 2021)
    http://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/about.html
  • 環境省「平成26年版図で見る環境・循環社会・生物多様性白書」(Visited Sept. 22nd, 2021)
    https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/zu/h26/html/hj14010304.html
  • 同上。
  • World Economic Forum, “Nature Risk Rising: Why the Crisis Engulfing Nature Matters for Business and the Economy”, Jan. 2020.
  • 資源エネルギー庁「エネルギー基本計画(案)」(2021年7月)
  • IPBES, “Global Assessment Report on Biodiversity and Ecosystem Services”,2019.
  • UNEP, UNEP FI, Global Canopy, “Beyond ‘Business as Usual’: Biodiversity Targets and Finance”, June 2020.
  • World Economic Forum, “The Global Risks Report 2021 16th edition”, Jan. 2021.
  • 外務省のウェブサイト(Visited Sept. 22nd, 2021)
    https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/jyoyaku/bio.html
  • 日本では、この動きを受けて1995年に生物多様性国家戦略が初めて策定され、これまで4回見直しがなされている。環境省のウェブサイト(Visited Sept. 22nd, 2021)
    https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/initiatives/index.html
  • 環境省のウェブサイト(Visited Sept. 22nd, 2021)
    http://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/treaty/convention.html
  • IPBESはIntergovernmental science-policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Servicesの略称。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の生物多様性版ともいわれる。
  • TNFDのウェブサイト(Visited Sept. 22nd, 2021)
    https://tnfd.info/why-a-task-force-is-needed/
  • World Economic Forumのウェブサイト(Visited Sept. 22nd, 2021)
    https://www.weforum.org/agenda/2021/06/what-isnature-positive-and-why-is-it-the-key-to-our-future/
  • 前者がシングル・マテリアリティと呼ばれるのに対し、後者はダブル・マテリアリティと呼ばれる。
  • 設定された20の目標のうち、完全に達成したものはなく、6つの目標が部分的に達成したと評価している。The Convention on Biological Diversity, “Global Biodiversity Outlook 5”,2020.
  • TNFDのウェブサイト(Visited Sept. 22nd, 2021)
    https://tnfd.info/who-we-are/
  • Blackrock, “Our approach to engagement on natural capital”, Mar. 2021.
  • Bloomberg, “BlackRock to Press Companies on Human Rights and Nature”, Mar. 18th, 2021.
  • 日本貿易振興機構(ジェトロ)「新型コロナ危機からの復興・成長戦略としての「欧州グリーン・ディール」の最新動向」(2021年3月)
  • 堀尾 健太、富田 基史「EUにおける「タクソノミー」の動向−スクリーニング基準の策定状況と今後の見通し−」((一財)中央電力研究所社会経済研究所ディスカッションペーパー、SERC21003、2021年8月)
  • 環境省「生物多様性と気候変動に関するIPBES-IPCC合同ワークショップ報告書の解説」(2021年7月)
  • 同上。
  • 国レベルで考えれば、食糧安全保障、エネルギー政策といった対応が必要となる。

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