企画・公共政策

コロナ禍で注目浴びるベーシックインカム ~本格導入の是非をめぐる議論は百家争鳴の様相~

上席研究員 野田 彰彦

世界がコロナ禍に見舞われるなか、各国は対策の一環として、失業給付や雇用維持支援の大幅拡充など大胆な雇用・所得政策を打ち出している。一部には、全国民に一律10万円を支給する日本の「特別定額給付金」のようにベーシックインカム的な政策に踏み込む国もみられる。新型コロナによる影響の長期化や、将来の別の感染症流行が懸念されるなか、所得のセーフティネット強化の具体策として、ベーシックインカムを恒久的な制度として検討すべきといった意見もみられ、今後の国内外における議論の成り行きが注目される。

1.1回限りとはいえ純粋なベーシックインカム(BI)に最も近い特別定額給付金

新型コロナウイルスによって経済活動が著しく停滞し、失業率の上昇や所得の減少といった状況が世界中で現出するなか、ベーシックインカム(BI)への関心が高まっている。BIとは、使い道に条件を付けない形で現金を定期的に給付する仕組みをいう。理念的には、所得水準や就労状況、年齢、家族形態などに関係なく全ての個人に給付することが想定されており、こうした普遍性を強調する場合には「ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)」という呼称もよく用いられる。

BIは、生活保護などで行われる資力調査が不要なので、救済すべき人の取りこぼしがなく、貧困解消の有効な手立てとして提唱されている。また、より自由な生き方や高い幸福感(well-being)を目指すといった社会思想的な観点からもBIは主張される。一方で、全ての国民に支給しようとすると財源がかさむ点や、BIの支給額が大きすぎると就労意欲を損なうおそれもある点が課題として指摘される。

本格的なBIが大規模に実施された例は世界を見渡しても極めて少ない。しかし、今回のコロナ危機に際して、いくつかの国が1回限りの一律的な現金給付に踏み込んだほか、世界的にBIの必要性をめぐる議論も盛り上がりを見せている。

純粋なBIに最も近い仕組みを取り入れたのが、実は日本である。4月20日に安倍政権が導入を決めた「特別定額給付金」は、全ての国民に一律10万円を支給するもので、必要な予算規模は13兆円近くに上る。日本以外にも、米国では年収9万9,000ドル以下の大人1人当り最大1,200ドルの現金が支給された(17歳未満の子どもがいれば1人当り500ドルを追加)。この給付を受けるのは約9割の世帯に上ると推計されている1。また、シンガポールや香港でも成人を対象とした現金給付が行われている2,3

これらの措置はいずれも、コロナ危機への対応として1回限り実施されたもので、恒久的な制度として想定されているBIとは区別すべきであろう。ただ、新型コロナの影響の長期化や、将来的な別の感染症流行も懸念されるなか、所得のセーフティネットを強化すべきという論調が世界的に強まっており、その形がBIなのか、それとも別の所得支援策によるのかで議論が分かれているのが現状である。

2.多様な立場から支持されてきたBI

ここでBIをめぐる議論の系譜について簡単に触れておこう。BIは新しい概念ではなく、その起源は18世紀の英国の哲学者トマス・スペンス(1750~1814年)にさかのぼる。1797年の著書『幼児の権利』においてスペンスは、地域ごとに地代(税金)を集め、公務員給料などの必要経費を差し引いた剰余金を年4回ほど地域住民全員に平等に分配する制度を提唱した。これが最も古いBIの提案と言える。

そこから時代が下って20世紀後半になると、経済的な平等を重視するリベラル派のみならず、社会保障制度のスリム化など「小さい政府」を志向する新自由主義者からもBIが主張されてきた。後者の代表格がノーベル経済学者のミルトン・フリードマン(1912~2006年)だ。彼が提唱した「負の所得税」は、所得課税と現金給付を組み合わせた概念で、中高所得者の場合は所得税から現金給付分を差し引いた額を徴収し、低所得者の場合は現金給付から所得税を差し引いた額を給付するものである。

近年では、経済的自由を重視する立場からは、生活保護や失業保険といった既存の所得保障制度を廃止して財源を調達する財政中立的なBIが唱えられる傾向がある。生活保護等の資力調査にかかる多額の行政コストがBIの導入で削減されるメリットも強調される。

一方、リベラル的な論者からはBIについて様々な提案が示されている。例えば、必ずしも財政中立にはこだわらず、既存の制度を存続させつつ様々な増税(資産税、相続税、高所得者の所得税率引き上げ、法人課税逃れへの対応強化等)でBIの財源をまかなう見解や、少額のBIをまず導入し、その後段階的に既存制度の見直し等を通じた拡充を図る案などが見られる。

さらに、2010年代半ば頃から目立つのは、発達した人工知能(AI)によって人の労働が奪われる将来を見据えて生活保障的なBIを検討すべきとの論調である。フェイスブック社のマーク・ザッカーバーグCEOやテスラ社のイーロン・マスクCEOなど、シリコンバレーの経営者がBIに賛同しているほか、今年2月まで米大統領選の民主党候補であった元ハイテク企業幹部のアンドリュー・ヤン氏も公約の柱にBIを掲げていた。ただ、その財源として、AIが生み出す付加価値に対するAI課税・ロボット課税というアイデアは出されているものの、具体的な方法にまで踏み込んだ議論は進んでいない。

3.過去の導入例ではBIによる労働阻害的な影響は確認されず

本格的なBIの導入例は少ないと前述したが、世界銀行が昨年公表した報告書4によると、これまでにモンゴルとイランで全国規模のBIが一時実施されたほか、米アラスカ州では石油収入を財源としたBIが1982年に導入されて現在も継続している《図表1》。

また、BIが貧困緩和や格差是正、あるいは受給者の就業意欲や精神状態などにどのような影響をもたらすのかは極めて実証的な論点であるため、世界中で地域や対象者を限定したパイロット・プログラム(実証実験)も行われている。世銀によると、過去と現在を含め22の実証実験が確認されている。

BIの影響・効果について確固たる結論は得られていないものの、支給額が十分大きくなかったケースが多いため、労働供給にマイナスの影響はなかったとする評価が目立つ(イラン、アラスカ州等)。

一方、貧困緩和や格差是正については、モンゴルやアラスカ州では一定の効果があったとされる。また、今年5月には、フィンランドで2017年から18年にかけて行われた実証実験の結果が公表され、受給者の幸福感(well-being)が高まるなど精神面でのプラス効果があったと報告されている【BOX】。

4.求められるBIの是非をめぐる議論の成熟化

以上のような経緯をたどってきたBIだが、足元のコロナ危機下における議論に目を向けると、所得のセーフティネット強化の必要性が高まっているという点で論者の認識は一致しているものの、BIの導入を主張するのか、それともコストや経済効果などの観点からターゲットを絞った所得保障の方が望ましいと考えるのかで相違がみられる。

BI推進論としては、国際的にも著名なガイ・スタンディング・ロンドン大学教授が、コロナ後を見据えて貧困救済や社会の安定化のために今こそBIを導入すべきと論陣を張っている6。また、国際社会への影響力という点で注目されるのは、ダボス会議を主催する世界経済フォーラム(WEF)のウェブサイトに寄稿された、国際連合と国連開発計画の幹部職員による論考だ7。この論考では「コロナ禍で新興国を中心に格差問題の深刻さがあらわになる中では、もはや財源確保の難しさからBIの議論に蓋をするのではなく、どうすれば恒久的なBIの財源を調達できるか現実的に考えるべきだ」として、超富裕層への増税や巨大グローバル企業の課税逃れへの対応強化を図る必要性が強調されている。

一方で、OECDやIMFといった国際機関は、より効率的・効果的な政策を重視する観点からBIに距離を置いたスタンスをとっている。今年5月に公表されたレポートでOECDは、先進国が既存の所得保障制度を廃止してBIに振り替えることは、感染症危機への備えとしては「リスクの高い戦略だ」と評価した上で、むしろ失業保険や生活保護などを残しつつ、対象者を絞りこんだ現金給付スキームを補完的に導入する方が望ましいと主張している8

また、IMFが4月に公表した世界経済見通し9では、より踏み込んだ「ルールに基づく財政刺激策(rules-based fiscal stimulus)」というアイデアが示されている。具体的には、国の失業率が一定水準を超えた場合低所得層や失業者に対する現金給付を自動的に行うというルールをあらかじめ定めておく手法だ。IMFのシミュレーションによると、こうした仕組みは、金融政策の有効性が低下している低金利環境下でとくに有効で、他の景気刺激策と相まって経済の回復を早め、財政への負担も一時的なものにとどまるという。

翻って日本においては、リベラル的な立場からBI導入を唱える論者(井上智洋・駒澤大学准教授など)が存在する10ほか、経済の効率性を比較的重視する立場(竹中平蔵・東洋大学教授など)からも今回のコロナ危機を受けてBIに前向きな声が上がっている11

一方、財政学者からは、財源や勤労インセンティブの面でBIには問題があるとして、所得税制の枠内で再配分効果を高める「給付付き税額控除」が提唱される。これは、勤労を条件に税額控除(減税)を与え、所得が低く控除しきれない場合には給付するもので、前述した負の所得税とほぼ同義である。代表的論者の一人である佐藤主光・一橋大学教授は、収入が減少し生活に困っている世帯に原則無審査で一定額を給付した上で、事後の所得に連動して給付額の一部ないしは全額を回収する仕組みを提案している12

以上のように、BIをめぐる議論は百家争鳴の様相を呈している。本稿で紹介した世界銀行の報告書も指摘するように、貧困削減のためにどのような所得保障政策が好ましいのかは、貧困層の多さや既存制度の充実度などに応じて国によって異なり、BIはあくまでも選択肢の一つである。今後は、コロナ危機をきっかけに盛り上がりをみせるBIの議論がより成熟し、ポスト・コロナ、アフター・コロナの時代にふさわしい新たな所得保障の姿が各国で描き出されていくことが望まれる。

  • Howard Gleckman, “How Will The Coronavirus Stimulus Bill’s Individual Payments Work? ”, Tax Policy Center, March 26, 2020.
  • 支給額は、シンガポールが1人当り600シンガポールドル(約45,000円)、香港が10,000香港ドル(約140,000円)。詳細は、OECD,“Supporting livelihoods during the COVID-19 crisis : closing the gaps in safety nets”, May 20, 2020.
  • なお、スペインでは今年5月29日に所得保障制度の導入が閣議決定された。一部ではこれがBIと報道されたが、実際には、低所得世帯を対象に収入と最低保障水準の差額分のみが支給され、資力調査も行われるため、日本でいう生活保護のような制度が導入されたものと解される。新しい制度では、財産や所得が一定の水準を下回る世帯(約85万世帯、230万人)に対し、家族構成に応じて462~1,015ユーロという最低保障水準が定められ、収入との差額分を国が支給する。詳細は、例えば Financial Times, “Spain to push through minimum income guarantee to fight poverty”, May 28, 2020. Reuters, “Factbox : Spain approves poverty relief scheme”, May 30, 2020.
  • World Bank, “Exploring Universal Basic Income”, Dec 2019. なお、この報告書では、低所得者に対象を絞った現行の所得保障政策と、仮にそれを廃止して同額の財源で対象者を広げたBIを導入するケースを比較すると、国全体としての貧困状況の改善効果は前者の方が一般的に高いことを複数国のシミュレーションによって示している。
  • Jimmy O’Donnell, “Why Basic Income Failed in Finland”, JACOBIN, Dec 1, 2019. 6 Guy Standing, “Universal basic income isn’t just a solution during the pandemic – it’
  • Guy Standing, “Universal basic income isn’t just a solution during the pandemic – it’s right for after it, too”, Financial Times, May 20, 2020. Guy Standing, “Coronavirus has shown us why we urgently need to make a basic income a reality”, The World Economic Forum website, April 13, 2020.
  • Kanni Wignaraja and Balazs Horvath,“Universal basic income is the answer to the inequalities exposed by COVID-19”, The World Economic Forum website, April 18, 2020. Wignaraja氏は国際連合の事務総長補佐で、Horvath氏は国連開発計画(UNDP)のアジア太平洋部門・チーフエコノミストである。
  • OECD,“Supporting livelihoods during the COVID-19 crisis : closing the gaps in safety nets”, May 20, 2020. なお、既存制度の廃止を伴うBI導入に否定的な理由として、BIは対象者を絞らないためコストがかさむほか、所得水準や雇用状況との関連性がない仕組みなので危機時に機動的な支給水準の引き上げが行われにくいといった点を挙げている。
  • IMF, “World Economic Outlook, April 2020: The Great Lockdown”, April 14, 2020.
  • 井上智洋「ベーシックインカム導入を主要国が検討する「必然性」」(週刊エコノミスト2020年5月26日号)。
  • 竹中平蔵「教育や医療、規制緩和の議論を、デジタル化の遅れ挽回する好機」(週刊エコノミスト2020年6月2日号)。
  • 佐藤主光「<新型コロナ問題と税・社会保障>その3:コロナ禍の「出口戦略」をどうするか?」(東京財団政策研究所ウェブサイト、2020年5月20日)。なお、小林慶一郎・慶応大学客員教授が、佐藤教授の提案と類似した仕組みを提案している(「産業構造変化や格差是正も」(日本経済新聞 2020 年4月15日))ほか、森信茂樹・東京財団政策研究所研究主幹も、今後の現実的なセーフティネットの選択肢として給付付き税額控除の導入を唱えている(「ポスト・コロナ、定額給付金を給付付き税額控除につなげるべき」(東京財団政策研究所ウェブサイト、2020年5月12日))。

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