企画・公共政策

生活保護にもイノベーションを ~「最低生活費の絶対水準」と「社会的収奪」の探索~

上席研究員 野田 彰彦

最後のセーフティネットである生活保護について、その基準(金額水準)の本格的な見直しが5年ぶりに行われた。厚生労働省の社会保障審議会・生活保護基準部会がまとめた報告書を踏まえ、2022年末には同省が新たな基準を示した。本稿では、その新たな保護基準を概説したうえで、見直し作業に際して実施されたイノベーティブな試み(新たな手法による最低生活費の絶対水準の試算、生活の質からみた社会的収奪の分析)を紹介し、今後の生活保護水準の見直しに向けた課題について考察したい。

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1.最低でも据え置きとされた新しい生活扶助基準額

生活保護は、憲法第25 条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権の理念に基づいて生計維持を保障する制度で、「最後のセーフティネット」とも言われる。保護を受けようとする人の収入が、厚生労働大臣の定める基準によって計算された最低生活費を下回る場合、その不足分について「扶助」が支給される。扶助には、①生活扶助(日々の暮らしにかかる食費、被服費、光熱費など)、②教育扶助(義務教育の学用品費用)、③住宅扶助(家賃)、④医療扶助(診療・薬剤費)、⑤介護扶助、⑥出産扶助、⑦生業扶助(技能習得費)、⑧葬祭扶助(葬式や埋葬にかかる費用等)の8種類がある。

これらのうち生活扶助については、保護を受ける人の世帯構成や収入、居住地などに応じて額が決まり、その水準(生活扶助基準)は5年に1度実施される全国家計構造調査のデータ等を用いて見直される1(前回の見直しは2017年度)。この見直しにあたっては、一般低所得世帯の消費実態との均衡を図る「水準均衡方式」がとられる。具体的には、夫婦子1人世帯の年収階級第1・十分位(世帯全体を所得階層別に10区分したなかで所得が最も低いカテゴリー)を参照する低所得世帯とし2、その世帯の平均的な消費支出額をベースにして夫婦子1人世帯の新たな生活扶助基準が決められる。他の世帯類型については、世帯構成や級地3、収入、資産等を説明変数とする回帰分析によって消費実態の較差(指数)を推計し、その較差を夫婦子1人世帯の基準に掛け合わせることで新たな生活扶助基準が決定される。

厚生労働省の社会保障審議会・生活保護基準部会は、2019年に実施された全国家計構造調査の結果を踏まえた生活扶助基準の見直し作業を2021年春から進め、その検討結果や意見を2022年12月9日に「社会保障審議会生活保護基準部会報告書」としてとりまとめた。報告書の内容を単純に当てはめると、世帯類型によっては生活扶助基準額が減額となるケースもあった。しかし、昨今の物価高やコロナの影響が反映されていない点が与党から問題視されたこともあり、政府の政策判断によって、最低でも支給水準を据え置く新たな生活扶助基準額が定められ、12月23日に政府予算案の一部として公表された≪図表1≫。

具体的には、物価高やコロナ禍を勘案して、当面2年間(2023~24年度)は今の基準額を下回らないような特例的な措置がとられた4。すなわち、①新たな基準額のベースとなるのは2019年当時の低所得世帯の消費水準(≪図表1≫のⒷ)であるが、そこに1人当たり月額 1,000 円を加算する、②それでも現行の基準額(≪図表1≫のⒶ)を下回る世帯については、現行の基準額を保障する、といった措置が講じられた。例として、夫婦子1人世帯の3級地2(最も基準額が低い級地)をみると、現行の基準額が月12.8万円であるのに対し、低所得世帯の消費水準は13.1万円と推計され、そこに家族3人分の3,000円を加算した13.4万円が新たな基準額となる(現行基準額に比べ4.9%の増額)。また、高齢世帯や若年単身世帯の一部(≪図表1≫のオレンジ色で網掛けした世帯)では、低所得世帯の消費水準に1人当たり1,000円を上乗せしたとしても現行基準額を下回ってしまうため、上記②の特例措置により現行基準が維持される。コロナ禍や近時の物価高を踏まえると、生活扶助額を最低でも据え置きにする今回の対応は妥当なものと評価できよう。

ここから先は、政府による新たな生活扶助基準の策定に先立って保護基準部会で行われた2つのイノベーティブな取り組みに注目したい。上述したように、生活扶助基準の見直しにあたっては、一般低所得世帯との比較によって「相対的に」生活保護の水準を定めることとされており、今回もその方法が踏襲された。しかし、こうした方法のみに依拠すると、賃金水準の停滞が続く日本では、比較する世帯の消費水準が低下した場合に保護基準が絶対的な水準を割ってしまう懸念があるとされる。そこで部会(および傘下の検討会)では、①これ以上下回ってはならない最低生活費の水準(部会では「下支えの水準」と表現)を導出する試みや、②衣食住のみならず社会的活動を含む「社会的必需項目」に関する不足状況を調査することで、被保護世帯における「社会的剥奪」の度合いを推し量ろうとする試みがなされた。社会的剥奪とは、人が社会的に快適かつ安心して生活していくために必要な財・サービスを利用できない状況を示す概念である。次章からは、こうした取り組みの中身を紹介するとともに、今後の課題について考察したい。

2.新たな手法による生活保護の「下支え」水準の検討

生活保護基準部会の傘下に置かれた「生活保護基準の新たな検証手法の開発等に関する検討会」は、生活保護基準の見直しにあたって補完的な参考資料とすることを目的に、「MIS手法による最低生活費」と「主観的最低生活費」という2つのアプローチから、生活保護の「下支え」としての水準を探索する作業を行い、その結果は基準部会でも討議に付された。

MIS手法(Minimum Income Standard法)とは、属性の近い一般市民が、最低生活費に必要な品目を複数回議論して選定し、それを積み上げて最低生活費を算出するアプローチである。今回は、「最低生活の定義」「最低生活を構成する物品・サービスのリスト化」「最低生活費の推計」といった段階を設け、個人の価値判断による影響を排除するために各段階でメンバー(各8名程度)を入れ替えつつ、グループ・インタビューを通じて一般市民が最低限必要と考える消費費目を積み上げていった。

一方の主観的最低生活費とは、一般市民を対象に、食費等の費目ごとに最低限必要な額に関するアンケート調査を行い、その調査結果をもとに主観的な最低生活費を算出するアプローチである。今回の作業では、①切り詰めるだけ切り詰めて最低限いくら必要かを尋ねるK調査と、②つつましいながらも人前で恥ずかしくない社会生活を送るためにいくら必要かを尋ねるT調査、の2種類が実施された。


MIS手法による最低生活費と主観的最低生活費の試算結果は、≪図表2≫と≪図表3≫に示すとおりである。いずれのアプローチでも、試算された最低生活費の水準は、生活保護を受給する被保護世帯の消費水準を大幅に上回っている。そこだけを単純にみれば、現在の生活保護は、「健康で文化的な最低限度の生活」が保障される水準には達していないという解釈につながるのかもしれない。しかし、話はそれほど単純ではなく、保護基準部会の議論では今回の試算についていくつか問題点が指摘された。

第一に、試算では日本の全世帯の平均的な消費額をも上回る結果が得られたため、一般市民の考える「最低限の生活」が、実は人並みの生活を思い描くものとなっているのではないかと推論されている。第二に、実際の一般市民の生活は予算制約があるなかで営まれている(欲しいものがあっても家計状況を考えて購入を我慢する等)ので、予算制約を課さずに行われた試算結果の取り扱いは慎重であるべきとの声もあがった。そして第三に、「絶対的な」最低生活水準の定義が一意的に定まっていないなかでは、生活保護水準の引き上げについて多くの国民の理解・納得は得られないという見解も示された。

そのため、今回の基準見直しで上記の試算結果が直接的に活用されることはなかった。一方で、保護基準部会の報告書では「消費実態との比較によらない手法について、5年後に改めて生活扶助基準の検証が行われることを見据えつつ、より精緻化する作業を行っていく必要がある」などと明記され、新たな手法について上述した問題点の克服に努めるとともに引き続き具体的な活用を模索すべきとの認識が示された。

MIS手法や主観的最低生活費を政策判断に反映させる道筋としては、生活費全体ではなく、食費や娯楽費といった費目別に最低水準を検討する際の参考とする方向性が考えられる。家計が節約するときには全ての消費を同じ割合で収縮させるわけではない。被保護世帯が満たすべき消費全体の水準は一般世帯の60~70%程度が目安とされるが、例えば乳幼児のミルクは一般世帯の70%では最低限必要な量に不足してしまうはずである。このように、費目ごとに最低限必要な量的・金額的な水準について、MIS手法や主観的最低生活費といった新たなアプローチも活用しながら検討する余地があるものと思われる。

3.社会的必需項目の不足を通じた「社会的剥奪」の検討

「生活保護基準の新たな検証手法の開発等に関する検討会」は、生活の質を踏まえた検証を行う目的で、社会的必需項目(食料など必需品のみならず社会参加にかかわる費目も含めた支出項目)の不足状況を比較する分析も実施した。その結果を示した≪図表4≫をみると、被保護世帯は一般世帯に比べて社会的必需項目の不足割合が高く、とくに「親族の冠婚葬祭への出席」「急な出費への対応」「生命保険等の加入」ができないと回答した割合が高かった。

これを受けて保護基準部会では、「被保護世帯は社会的な剥奪の度合いが高い」という認識が共有された。しかし、どの程度の金額が不足しているのかが推し量れない、交際費や教養娯楽費などは一般世帯でも差が大きいため評価が難しいといった理由で、社会的必需項目の不足割合そのものが基準見直し作業で直接的に反映されることはなかった。


それでも、被保護世帯における社会的剥奪の状況にどう対処していくか、今後議論を深めていくことが必要であろう。対応の方向性としては大きく2つあると考えられる。一つは、被保護世帯に予想外の支出需要が発生した際に臨時に認められる「一時扶助」(保護開始時や災害時の衣服費、義務教育の入学準備金等)の範囲に、例えば冠婚葬祭にかかる祝儀・香典の費用を含めることである。ただ、こうした「お付き合い」の領域に税金の投入を認めることに対して現時点で国民的合意が得られるかというと、ハードルは高いだろう。

そこで、もう一つの可能性として、被保護世帯に許容される貯蓄の範囲を広げることが考えられる。生活保護制度では、国として明確な金額基準は定めていないものの、就職活動にかかる費用や子どもの学習・進学に備えた費用などであれば、数十万円程度の貯蓄は認められる。こうした貯蓄の対象として、香典・祝儀に代表されるような不定期に発生する交際費についても一定程度認める方向で検討してはどうだろうか。あるいは、生活保護の開始時に認められる貯蓄額(現在は最低生活費の1か月分を超える貯蓄を持っていると保護申請が却下されるケースが一般的)を増やす方向性もありうる。いずれにしても、被保護世帯における社会的剥奪の状況改善に向けた一歩踏み込んだ議論を進める必要があろう。

4.おわりに

賃金水準が伸び悩んだり減少したりする時代にあっては、一般低所得世帯の消費実態との均衡のみによって生活保護の水準を捉えていると、比較する消費水準が低下する場合に絶対的な水準を割ってしまう懸念がある。こうした問題意識に基づき、今回の生活扶助基準の見直しにあたっては、MIS手法や主観的最低生活費といった新しい手法による試算や、質の側面からみた「社会的剥奪」の把握が行われたが、それらの結果が見直し作業に直接反映されるには至らなかった。5年後に改めて生活扶助基準の検証が行われることを見据え、こうしたイノベーティブな取り組みをさらに精緻化させつつ継続するとともに、実際の基準見直しに織り込む可能性をより具体的に検討すべきであろう。

厳しい財政状況に直面するわが国において、国民的合意を得ながら生活保護を含む困窮者支援を手厚くしていくことは決して容易ではない。しかしながら一方で、困窮者が強い疎外感を感じるような社会であってはならないのもまた確かである。包摂的な社会の形成に向けて、生活保護制度のあり方に関する成熟した議論を積み重ねていくことが望まれる5

  • 生活扶助基準については、5年ごとに本格的な「見直し」がなされるほか、その間の年度においても、政府による民間最終消費支出の見通し等を踏まえ、その時々の社会経済情勢を総合的に勘案して必要に応じた調整(「改定」と呼ばれる)が行われる扱いとなっている。
  • 基準見直しの作業にあたっては、全国家計構造調査の第1十分位のデータから、生活保護を受給していると推察される勤労者世帯があらかじめ除かれる(ただし、生活保護受給世帯が完全に除外される保証はない)。
  • 生活保護では、地域による生活水準の違いを踏まえて基準額に地域差を設けており、これを級地制度という。級地は6区分あり、基準額の高い順に、①1級地1(東京23区、横浜市、大阪市など58市町村)、②1級地2(札幌市、千葉市、福岡市など49市町村)、③2級地1(秋田市、静岡市、高知市など121市町村)、④2級地2(長岡市、三島市、佐世保市など79市町村)、⑤3級地1(弘前市、福知山市、今治市など557市町村)、⑥3級地2(結城市、篠山市、宇和島市など855市町村)となっている。
  • 2025年度以降の生活扶助基準については、今後の社会経済情勢等の動向を見極めて必要な対応を行うため、2025年度予算の編成過程において改めて検討することとされた。
  • 生活保護を含む日本のセーフティネットのあり方については、野田彰彦「今後のセーフティネットの充実に向けて~ 給付付き税額控除やプッシュ型給付金の導入で機能補完を〜」(SOMPO Institute Plus Report、2022年12月26日)において詳細に論じている。

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