ワーク・エコノミックグロース

対話にはじまる組織風土変革~理念は自らの言葉で語られることで共感を生む~

副主任研究員 久井 環

人々の価値観の多様化や各業界の環境変化が活発になり、今までの「当然の前提」を念頭においた経営は難しくなってきた。変化に適応し持続可能な経営の実現に向けて、変革に向けた挑戦が求められる。変革や挑戦する理念の実現には、その必要性を唱える経営陣が、自らの言葉で従業員と対話を繰り返すことで生まれる共感が重要である。そして、挑戦を奨励する制度構築と、変革に向けた行動を後押しする風土が必要不可欠である。対話を重ねることで従業員に理念への共感が生まれ、各人の行動変革を通じて、挑戦する風土醸成に成功した企業例を紹介する。

1.はじめに

企業は現状に何らかの課題を抱え、それらを克服することで、 理念の実現に近づけようとしている。経営陣は方針を掲げ、構想を練り、実行に移そうと組織の舵を取る。しかし、方針に基づき綿密に練られた計画でさえも、予定どおり進捗しない場合もある。その原因は、業界を取り巻く環境などの外部的要因はさることながら、経営陣が抱く問題意識や理念を従業員が自分事と捉えることができず、具体的な行動に移せていないといった内部的要因もあると考えられる。

経営陣の描く理念を従業員が自分事化できない主な要因は3つあると推察する。 第一に、手触り感を持って理解できる、また共感できるレベルまで、理念が従業員に浸透していないことだろう。第二に、理念の実現に必要な人事制度など、具体的な制度が十分でないことも考えられる。第三に、仮に制度が充実していても、制度の実効を阻害する組織風土の存在が挙げられるだろう。組織風土は、後述するように、過去から積み上げられた経験に基づく行動パターンや習慣であり、組織に根付いた体質や空気に似ている。 現状定着している風土が、将来のありたい姿への変革や挑戦の阻害要因であれば、見直す必要があるだろう。経営陣と従業員との共感、必要な制度構築、風土醸成の3点は、理念の実現に密接不可分な関係にあると考える。本稿では、 経営課題の解決に向けた風土醸成に着目し、理念の共感と制度構築との結びつきについて論じていく。

2. 環境変化に応じた組織風土変革

組織風土は1970年代の産業心理学の研究を起源とし、組織の構成員が過去賞賛された経験に基づき期待される行動や慣行に関する共通認識(the shared perceptions)などと解釈されている1。 組織風土に類似する語である組織文化は、1980年以降の人類学の研究を起源とし、暗黙の価値観(the implicit value)や共通の基本的な仮定や前提(the shared basic assumptions)などと捉えられている2。 組織風土と組織文化は、研究の背景が異なるものの、解釈には共通点があることから、相互に影響しあい、補完しあうことが組織運営上効果的とされている3


早稲田大学ビジネススクール教授を経て、現在コンサルタントとして活躍する遠藤功氏は、組織を樹木になぞらえ、組織風土を植物が根付く「土壌」4と表現している ≪図表1≫ 。 風土の醸成は 「整地化」 に相当し、これに栄養を与え「肥沃化」することを文化の形成と比喩されている5。 肥沃な土地は、組織能力に例えられる「根」を丈夫に育み、幹の成長を促し、「花を咲かせ、実を結ぶ」ごとく利益を生み出す。このように、地下の見えない部分(土壌)が健全であることが、見える形 (花・実) として良い成果物の創出に繋がるとされている。

風土と文化は似通った概念ではあるが、扱う順序が大切で「風土あっての文化」 との認識が必要と遠藤氏は指摘する6。組織の健全性は、その基となる風土が良好であることで保たれる。組織に課題がある場合、はじめに風土に着目し、これを見直すことが組織を変革するうえで重要と言えよう。 風土は、理念の実現に向けた行動様式や慣習である。理念への理解が追い付かず、自分事として共感されなければ、その実現に向けた行動には至らない。理念の浸透を図り、それを具現化する組織風土の醸成が必要だろう。

3.組織変革に向けて風土醸成に着目する企業例

理念の浸透に向けて、インターナル・コミュニケーション(組織内のコミュニケーション)7の概念が注目されている。その中でも経営陣と従業員との対話は、理念の「自分事化」 に繋がる効果があると言われている。理念が従業員によって「自分事化」されることで、具現化に向けた行動に繋がると期待されていることから、インターナル・コミュニケーションを実践する企業が増えてきている。理念が実現する組織風土の醸成に向けて、従業員との対話に重点を置き、さまざまな取組みを実施してきている企業を2社紹介する。

(1)挑戦する組織風土の醸成:キリンホールディングス

2010年代前半のキリンホールディングスは、中期経営計画値の未達やマーケットシェアの低下などの経営課題を抱えていた8。課題克服に向けた具体策のひとつとして、従前の安定的で画一的な組織風土から、多様化され、挑戦する組織風土への変革が求められた9。 競争優位な人材力の強化を加速するため、人事の基本理念を ≪図表2≫ の通り明確にした。

この理念と経営陣の持つ課題認識の共有化に向けて、経営陣と従業員との直接対話の機会であるタウンホールミーティングが繰り返し実施されている10。 2022年度は、1,000名規模の応募制による直接対談が3回開催された11。 従業員から事前に寄せられた、理念やグループの価値観に対する質問に経営陣が直接答えるなど双方向のコミュニケーションが図られ、 対談は海外のグループ会社にもライブ形式にて配信された。あわせて、 国内外のグループ会社社長が参加するキリングループ社長会を開催し、ホールディングス取締役とグループ理念や課題について直接議論するなど、理念の浸透とエンゲージメント向上に向けて各層との取組みが行われている。また、従業員により近い存在であるリーダーの支援力向上を目的として、 社長が国内外のリーダー層と「多様性を力に変えるマネジメント」をテーマに直接対話を行った。支援力向上では、外部人材の活用、女性活躍、障害者雇用、ワークライフバランスなどの推進がテーマとなり、人材の多様化に対応したマネジメント力向上が目指されている。

同社は挑戦する組織風土が根付いた事例として企業内大学「キリンアカデミア」 を挙げている12。これは、2019年度に「キリンで挑戦志向の風土をつくりたい」というビジョンをもった若手4名の有志活動からはじまり、数年で500名近くが参加するまでに拡大している。さらに、挑戦する風土の醸成は、新たな事業の柱としてヘルスサイエンスへの注力にもつながった13。これは、長年の自社の研究から生まれた知的財産14に牽引され、独自の強みの発揮により競争優位に働くものと期待されている。また、風土醸成の成果を測る指標として2019年度から従業員エンゲージメントスコアを非財務KPIのひとつとし、統合報告書で公表している15。 エンゲージメントスコアは緩やかながら改善し、正社員の離職率は2019年度16.0%から2022年度10.6%に低下16している。 役員や管理職に占める女性比率や従業員の障害者比率は上昇傾向にあり、人材の多様化が見られる。多様性に富む組織を目指す風土の醸成が進んでいると言えよう。

(2)自主性と革新する力を育む組織風土の醸成:丸井グループ

1931年に創業した丸井グループは、以後日本初のクレジットカードを発行するなど事業を拡大してきた。しかし、貸金業法改定の影響もあり2007年度の業績は悪化し、また金融危機の影響を受け2009年度は創業以来初の赤字、2011年度は二度目の赤字を経験した17。 事業環境の変化を踏まえ、丸井グループは事業構造の改革が迫られた。改革を推進する際、着目したのは企業理念の制定と浸透であった。 「お客さまのお役に立つために進化し続ける」、また「人の成長=企業の成長」という企業理念を10年以上かけ経営陣はほぼ全社員と対話を実施している。 この対話では、「何のために働いているか」、「何をしたくてこの会社に入ったのか」をテーマに話し合われ、会社と個人のパーパスのすり合わせが行われている。また、毎月のように開催される経営陣と従業員との中期経営推進会議に、毎回1,000名前後が応募し積極的な質疑応答が行われている。パーパスに関する対話や経営推進会議での議論を通じた経営陣と従業員の垣根を超えたコミュニケーションは、双方の距離感を縮め、理念に共感を生む重要な機会になっていると考えられる。 退職率や入社3年以内の離職率は大きく改善18していることから、理念の共感は組織への定着に繋がっていると見られる。

丸井グループは、経営理念の実現に向けて自主性を重んじる組織風土を目指し、「手挙げの文化」19を推奨している。 この一環として、自主的なキャリア形成を推進し、グループ内の異業種への自主的な挑戦が奨励されている。グループ全体の9割以上が中期経営推進会議への出席も含めた「手挙げの文化」の各種取組みに参加している20ことから、自主性を貴ぶ理念の浸透が着実に進んでいる。

丸井グループには仕事の成果に基づく評価と合わせて、企業理念の実現に向けた自発的な行動を評価する制度がある≪図表3≫21。 この評価制度は新人事・評価制度策定にあたり延べ約3,200人の社員によって作成された22。 組織運営や制度構築を自分事として考える機会が提供され、社員自らが評価制度改定の段階から参画し、自主性を育む組織風土の醸成が進められている。

4.むすび

長い時間を経て定着した現状の風土を解きほぐし、新しい風土を根付かせるのは、一朝一夕にはいかない。事例からは、 経営陣が長い期間をかけて自らの言葉で深度ある対話を継続し、理念への従業員の共感を生み出そうとする取組みが必要であることが読み取れる。また、経営陣から従業員への理念の浸透に向けて、グループの経営者層がマネジメント層、担当層など各層との双方向の対話交流の場を設けていることから、重層的な対話の積み重ねが風土を醸成させる上で重要と考えられる。

  • Schneider, B., Ehrhart, M.G., Macey, W.H.(2013), “Organizational Climate and Culture”, Annual Review of Psychology, Vol.64, pp362-363
  • 前掲注1、pp362,369
  • 前掲注1、pp363
  • 遠藤功「「カルチャー」を経営のど真ん中に据える」東洋経済新報社、2022年、pp142-144
  • 前掲注4、pp142
  • 前掲注4、pp136-137
  • 柴山 慎一、清水正道、中村昭典、池田勝彦 「先進事例にみる日本企業のインターナル・コミュニケーション-理念・ビジョンの浸透プロセスにおける「自分ごと」の重要性-」 日本広報学会第22号、2018年、pp25-39
  • キリンホールディングス株式会社 統合報告書 「KIRIN REPORT 2014」 pp3-7
  • 経済産業省 Webサイト「人的資本経営~人材の価値を最大限に引き出す 」(Visited Sep. 4, 2023) 「実践事例集 令和4年5月」 <https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/index.html>
  • 前掲注8、pp66-67
  • キリンホールディングス株式会社 Webサイト「多様な人財と挑戦する風土」(Visited Aug 31, 2023)
    <https://www.kirinholdings.com/jp/drivers/hr/>
  • キリンホールディングス株式会社 統合報告書「KIRIN CSV REPORT 2021」 pp31-32
  • キリンホールディングス株式会社 Webサイト「ヘルスサイエンス領域」(Visited Aug.31, 2023)
    <https://www.kirinholdings.com/jp/domains/health_science/>
  • キリンホールディングス株式会社 Webサイト「確かな価値を生む技術力―研究開発力と知財戦略を掛け合わせた競争戦略」(Visited Sep. 4, 2023)<https://www.kirinholdings.com/jp/drivers/rd/ip/>
  • 前掲注12、pp31
  • キリンホールディングス株式会社 「Kirin Group ESG Date Book 2023 」 pp37
  • 株式会社 丸井グループ Webサイト「沿革」(Visited Aug. 30, 2023) <https://www.0101maruigroup.co.jp/ci/history/>
  • 株式会社 丸井グループ Web サイト「人的資本経営」(Visited Aug.30, 2023) <https://www.0101maruigroup.co.jp/ir/lib/h-report.html>
  • 株式会社 丸井グループ Webサイト「新たな成長に向けた「人材への投資」」 (Visited Aug.31, 2023)
    <https://www.0101maruigroup.co.jp/sustainability/theme02/development_01.html>
  • 前掲注19
  • 株式会社 丸井グループ 「共創経営レポート 2019」 pp63
  • 前掲注21

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