PHRガイドラインの活用により期待される効果
~サービス品質向上と開発効率化の両立へ~
上級研究員 岡島 正泰
1.はじめに
個人の健康情報を本人が管理するパーソナルヘルスレコード(PHR)を活用したサービスを提供する民間PHR事業者が、ヘルスケア以外にも金融・小売り・不動産等の様々な領域で増えてきている。PHRの適切な管理・活用を促す目的で、 PHR事業者に向けたガイドラインの整備が進められている。政府は、2021年4月に「民間PHR 事業者による健診等情報の取扱いに関する基本的指針」1(以下、「PHR基本的指針」)を公表した。また、アカデミア、企業、医療関係者等で構成されたPHR普及推進協議会は、2021年3月に民間PHR事業者向けガイドラインを公表し、その後も改訂を重ねている。2024年6月には、最新版となる「民間事業者のPHRサービスに関わるガイドライン(第3版)」2(以下、「民間PHRサービスガイドライン」)を民間PHR事業者の団体であるPHRサービス事業協会との連名で発出している。
本レポートでは、これらのガイドラインの状況を整理しつつ、その活用により期待される効果を確認する。なお、筆者はPHR普及推進協会およびPHRサービス事業協会の活動に参加している。
2.民間PHR事業者向けガイドラインの概要
(1) 2つのガイドラインの位置づけ
現在、民間事業者が参照するガイドラインは、PHR基本的指針、および民間PHRサービスガイドラインの2つである。この2つは一見類似しているように見えるが、その位置づけは大きく異なる《図表1》。
PHR基本的指針は、個人がマイナポータルからAPI 等を活用して入手可能な健康診断等の情報や、医療機関等から提供される情報、医療機関等に提供する情報(健診等情報)を対象にしている。同指針は、マイナポータル、医療機関等を所管する各省(総務省、厚生労働省、経済産業省)が策定しており、マイナポータルや医療機関から提供される、または提供する情報を取り扱うPHR サービスを提供する民間事業者を適用対象とするものである。対象事業者には、個人情報保護法等の法令に加えて、PHR基本的指針が定める事項を遵守する義務が課される。
一方、民間PHRサービスガイドラインは法的な遵守義務のない任意のガイドラインである。電子カルテ等の医療情報システムを除く全てのPHRサービスを対象としており、PHR基本的指針よりも対象事業者の範囲が広い。PHR基本的指針を補完する位置づけで、民間PHR事業者が「最低限遵守する事項」と「推奨される事項」を提示し、より品質の高いPHRサービスの実現を目指すものとなっている。
(2) PHR基本的指針が民間PHR事業者に遵守を求める事項
PHR基本的指針は、情報セキュリティ、個人情報の取り扱い、PHRサービス間の相互運用性の確保等に関して、指針の対象となる民間PHR事業者が遵守すべき事項を定めている《図表2》。
相互運用性を確保するため、健診等情報のデータの形式(CSV、XML等)、データ構造、文字コード、語彙等のデータフォーマットに関しては、マイナポータルAPIから出力される様式が基本とされている。また、データの伝達方法等も含めたデータ交換規格は互換性の高い汎用的な規格3にするとされている。既存のデータフォーマットや交換規格の活用を義務化することで、異なるPHRサービス間のデータ連携を容易にし、相互運用性を高めようとしている。
(3) 民間PHRサービスガイドラインが民間PHR事業者に推奨する事項
民間PHRサービスガイドラインも、関連する法令等に基づきPHRサービスの安全性・有効性を担保するために「最低限遵守する事項」を提示している。情報セキュリティ、個人情報の取り扱い、PHRサービス間の相互運用性の確保などのPHR基本的指針で規定されている事項に加えて、利用者への健康行動等のリコメンドの方法、エビデンスの蓄積、広告表示の方法などに関しても幅広く触れている。また、より高い品質のPHRサービスを実現するために「推奨する事項」を提示している《図表3》。
更に、PHR普及推進協議会はガイドラインの追補版を公表しており、PHRサービス間のデータ交換に関する「PHR標準データ交換規格」を検討している4。また、個人情報の取り扱いや公平性への配慮などの点で独自の対応が求められる自治体にPHRサービスを導入する際の留意点を取りまとめている5。このように、より高い品質のPHRサービスを目指す民間事業者のサービス開発の参考となる情報をきめ細かく具体的に提示している。
(4)PHRサービス関連のデータ交換規格
PHR基本的指針では、健診等情報はマイナポータルAPIの出力フォーマットを基本とするとされている。また、民間PHRサービスガイドラインでは、PHRサービスの周辺で普及が進んでいるマイナポータルAPIの出力フォーマット、Open mHealth6 、HL7 FHIR JP core7等のデータフォーマットを用いたPHRサービス間でのデータ交換が検討されている《図表4》。
データフォーマットを含めたPHRサービス間のデータ交換規格が整備されることで、複数のPHRサービスを跨いでPHRデータを活用しやすくなる。また、複数のセンサーやデバイス等から取得したPHRデータを一元的に管理しやすくなる。これらの効果により、より高品質で魅力的なPHRサービスを提供する余地が高まる。
また、複数のセンサーやデバイスからPHRサービスへのPHRデータの取り込みを容易にするためには、計測機器からPHRサービスへのデータ取込みを標準化する必要もある。その際には、国際標準化機構(International Organization for Standardization:ISO)や国際電気標準会議(International Electrotechnical Commission:IEC)等の国際標準規格8の活用が候補となる。
3.民間PHR事業者向けガイドラインに期待される効果
(1) サービス品質の向上
PHR基本的指針および民間PHRサービスガイドラインの活用により、有効性・安全性・利便性等の幅広い観点でPHRサービスの品質を向上する効果を期待できる。スタートアップを含む民間事業者が、PHRサービスに関連する多数の法規制や関連するガイドラインの最新状況を単独で確認し続けることは難しい。ガイドラインにはそれぞれチェックリストが添付されており、PHRサービスの開発・運用で配慮すべき法規制やルール等の抜け漏れをチェックすることでPHRサービスの最低限の品質を確保できる。
特に民間PHRサービスガイドラインは、PHRサービスの品質を更に向上する上で必要な視点をも提供している。例えば、個人が活用する健康関連の情報はライフログ等も含めて基本的に個人に由来し、権利が個人に帰属する情報(Person-Generated Data)であるとする基本理念の下で、PHRサービスが備えるべき要件と、備えることが推奨される要件を検討している。利用者によるPHRデータの管理を実現するために、利用者によるPHRデータの閲覧や削除の要求ができることを最低限遵守する事項として示している。それに加えて、利用者によるPHRデータの追加・修正・他サービスへの移行ができることや、利用者が未成年や疾患等により脆弱性を有する方であることを念頭に、代理人がPHRデータの管理・活用を行える機能を有することを推奨事項として示している。推奨事項は必ずしも満たす必要はなく、品質の向上を目指す民間PHR事業者が任意で活用できる。
(2)開発の効率化
ガイドラインの活用により、PHRサービスの開発を効率化する効果も期待できる。一見すると、民間PHR事業者にとってガイドラインの遵守は業務負担の増加を招く印象があるが、法令等に基づき遵守義務のある事項の調査を省力化し検討事項の抜け漏れを防ぐことで、企画段階の業務を効率化できる。
また、標準化されたデータ交換規格を活用することで、システム開発の工数を削減する効果も期待できる。本レポートでは、関連する取り組みを2件紹介する。
①分散管理型PHRデータ流通基盤PHOENICS構想9
京都大学を中心した研究班が、PHRサービス間のデータ交換規格を標準化し、体重・血圧等のライフログや血糖値等の健診情報を複数のPHRサービス間で連携するPHRデータ流通基盤の構築を進めている。PHRデータは医療機関にも連携され、糖尿病等の生活習慣病の治療の高度化への活用が期待される《図表5》。
分散管理型PHRデータ流通基盤におけるPHRサービス間のデータ交換規格は、民間PHRサービスガイドラインが推奨する「PHR標準データ交換規格」を採用している。健診情報や医療情報は、マイナポータルAPIやHL7 FHIR等の既存のデータフォーマットを利用し、ライフログに関してはOpen mHealthを参照している。民間PHR事業者に馴染みが薄いとみられるOpen mHealthのデータフォーマットに関する調査とマニュアルの翻訳が進められており、成果物が徐々に公表されてきている10。成果物を基にしたデータ交換規格の民間PHR事業者への普及と、それによるシステム開発の効率化が期待される。
②アドダイス社「ヘルスケアAI」11における国際標準規格(IEC63430 コンテナフォーマット)の活用
アドダイス社は、PHRデータとAIを用いて利用者を24時間見守るヘルスケアAI「ResQ AI」を展開している。利用者のPHRデータをクラウドで一元管理し、利用者を見守る医療機関や勤務先などの関係先ごとに情報をコントロールして共有することや、AIによるこころや身体のリスクに関するアラートを発信することができる。例えば、従業員の心の抑うつリスクが高い企業にこのシステムを提供し、従業員のPHRデータからこころの疲れを推定して見守るといった取り組みを行っている。抑うつリスクの見守り以外にも、従業員の熱中症対策や眠気対策、高齢者の見守りなどの幅広いユースケースに活用されている。
PHRデータは、従来は所定のスマートウォッチから取得していたが、ユースケースの広がりに対応して連携するデバイスを体温計・体重計・血圧計・他の活動量バンドに拡大している《図表6》。
このときに、アドダイス社は多様なデバイスから取得したデータを交通整理してIoTプラットフォームに引き渡すことを目的としたセンシングIoTの国際標準規格であるIEC63430コンテナフォーマット12を採用し、システム開発の効率化に成功している。
PHRサービスを提供する事業者は、コンテナフォーマットに対応したデータのヘッダに含まれる識別子を基にデータ構造に関する情報を所定のサーバーから取得する。そのデータ構造に関する情報をもとにコンテナフォーマットに対応したデータからPHRデータを抽出して自社のサービスに活用できる。コンテナフォーマットは様々な種類のデバイスに共通して利用できる仕組みであるため、PHRサービスを複数の種類のデバイスと連携させる場合でも、PHRサービス事業者側の負荷を抑えることができる。
アドダイス社は、「デバイスメーカーとソフトウェアメーカーのナレッジは大きく異なる。デバイスごとにSDK(Software Development Kit)を読み解いて開発すると非常に時間が掛かるが、コンテナフォーマットの採用によりその必要がなくなる。」と述べている。「従来は取り出した計測値をPHRサービス側のデータフォーマットに合わせるための実機での計測テストや調整に1~2年を要することもあったが、コンテナフォーマットへの対応は1カ月程度で済んだ。」とその効果を大きく評価している。更に、デバイス側の開発言語に依存せずに開発を進められるなど、エンジニアの確保やそのコストを抑える効果も期待できる模様だ。
コンテナフォーマットは2024年度中にIECの国際標準規格として発効する見込みだ。センシングIoTデータコンソーシアムは、コンテナフォーマットの国際標準化とその普及に取り組んでおり、開発者向けの情報提供にも力を入れている13。コンテナフォーマットの利用が浸透するためには、デバイスメーカー・ソフトウェアメーカー双方への規格の普及が欠かせないため、一層の普及啓発が期待される。
4.民間PHR事業者向けガイドラインの利用促進に向けて
民間PHR事業者向けガイドラインは、その存在や内容が十分に民間PHR事業者に認知されていないのが実情とみられる。特に、推奨事項やデータ交換規格の標準化にも言及している民間PHRサービスガイドラインの活用により、PHRサービスの品質向上や事業者の業務効率化を促進する効果が期待されるが、任意のガイドラインであるために認知度はPHR基本的指針よりも低い14と予想される。
そんな中で、ガイドラインや標準化されたデータ交換規格の活用が民間PHR事業者の業務を効率化するケースが顕れてきており、その周知が事業者の利用促進に繋がると考えられる。特に、標準化されたデータ交換規格は一定程度浸透することで利用効果が大きく高まる。浸透を図るためには、ガイドラインの周知とともに、民間PHR事業者の団体によるきめ細かい情報発信や事業者への支援が有効だろう。
今後、PHRサービス間やデバイス・PHRサービス間のデータ交換規格が標準化されることで、民間PHR事業者の分業が加速していく。複数の事業者がガイドラインに基づいて品質が確保された機能を持ち寄り、多様で魅力的なPHRサービスが構築されることが期待される。
- 総務省、厚生労働省、経済産業省「民間PHR 事業者 による健診等情報の取扱いに関する基本的指針」(2021年4月)
- 一般社団法人PHR普及推進協議会、PHR サービス事業協会「民間事業者のPHRサービスに関わるガイドライン(第3版)」(2024年6月)
- 電子カルテ等の診療文書の交換規格であるHL7 CDA等が例示されている。
- PHR普及推進協議会「⺠間事業者のPHR サービスに関わるガイドライン(第3 版)【追補1】PHR のデータ連携に関する追補」(2024年6月)
- PHR普及推進協議会「民間事業者のPHRサービスに関わるガイドライン(第3 版)【追補2】PHRの自治体への導入における留意点」(2024年6月)
- ウェアラブルデバイス等のモバイルヘルスデータのデータフォーマットを標準化する取り組み。IEEEの国際標準規格(IEEE 1752)として発行されている。
- 病院等の医療情報のデータ交換を標準化するための国際規格(HL7 FHIR)を基に日本国内向けの最小限の要件を定めたもの。
- 発効済みの規格としてISO11073、検討中の規格としてIEC63430(後述)がある。
- 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の令和5年度「医療・介護・健康データ利活用基盤高度化事業(医療高度化に資するPHRデータ流通基盤構築事業)」として実施されている。
- 京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 予防医療学分野のホームページ (visited Jul. 26, 2024) < https://yobou.med.kyoto-u.ac.jp/amed/ >
- アドダイスのホームページ (visited Jul. 26, 2024) < https://ad-dice.com/ >
- IECのホームページ (visited Jul. 26, 2024) < https://www.iec.ch/ords/f?p=103:14:8823104724215::::FSP_ORG_ID:27207 >
- センシングIoTデータコンソーシアムのホームページ (visited Jul. 26, 2024) < https://container-format.webflow.io/ >
- NTTデータ経営研究所「「PHR基本的指針」の適用状況及び民間PHRサービスの現状調査報告書 概要版」(2024年3月)によると、PHR基本的指針を認知している事業者は87.5%存在したが、指針が求めるチェックリストを公表している事業者は21.4%に留まり、指針の中身までは認識していない事業者が多い可能性を指摘している。
PDF:MB
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