ワーク・エコノミックグロース

「弱さ」が導く組織の強さ
~Pixarに学ぶ職場の共感文化~

主任研究員 久井 環

世界経済フォーラムは、世界有数の企業経営者を対象に「5年後に最も必要とされるビジネススキル」について毎年調査している。 2020年の調査では、2025年に求められるスキルのひとつとして、相手の感情を理解し共感する力を意味するEmotional Intelligence(感情的知性)が挙げられた。このスキルは2025年の調査でも、上位にランクインしている。この結果は、ビジネスの成功に必要な要素とは、情報や知識といったIntelligence(知性・知能)の多寡だけではないことを示唆している。今、働く人一人ひとりが自分自身を客観的に見つめ、相手の心に寄り添い、傾聴し共感する能力 ―― すなわちEmotional Intelligenceが求められている。
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1.世界がEmotional Intelligenceに注目するようになった経緯

(1)Emotional Intelligenceとは

自分自身を客観的にとらえる「自己認識」、自身の感情や行動をコントロールする「自己管理」、相手の感情を理解し共感する「他者認識」、良好なコミュニケーションを通じて信頼関係を築く「関係管理」。これら4つを実現するために必要な能力の総称が、Emotional Intelligence(感情的知性、EI)である ≪図1≫1


ハーバード大学経営大学院(HBS)は、エンゲージメント(従業員満足度)向上や離職予防の観点から、リーダーに求められる素養のひとつにEIを挙げている2。EIは「自己認識」する能力が基本とされる。自分の強みや弱みを理解し、自身の発言や行動が他者にどう影響するかを客観的に把握する力は、「自己管理」「他者認識」「関係管理」を支える基盤と指摘されている3。 「自己認識」ができれば、自身の感情のコントロールや周囲との距離の取り方がうまくなり、他者の意見に耳を傾け、共感する力に繋がると考えられている4。さらには、周囲と信頼関係を築き、対立や緊張状態を緩和するなど問題を解決する能力としても期待されている5

米国西海岸にあるスタンフォード大学と並んで権威ある南カリフォルニア大学(USC)は、 EI向上は合理的思考力を高めることに繋がり、自信、回復力や逆境に打ち勝つ強さ(レジリエンス)、忍耐力との強い相関関係がある、としている6。また、大学や研究機関だけでなく、世界最大規模の人材マネジメント機関である米国人材マネジメント協会や、80年以上にわたり従業員エンゲージメント向上の重要性を提唱してきた意識調査会社Gallupも、組織運営の観念から役職員のEIを育む意義を指摘している。

(2)必要なビジネススキルとしてEmotional Intelligenceが世界に注目される背景

世界経済フォーラム(WEF)は、2016年以降、世界有数の企業経営者を対象に「5年後に必要なビジネススキル」を調査するFuture of Jobs Surveyを毎年実施し、結果を公表している。2020年の調査で、データ分析スキルやAI関連知識に次いでEIが11位にランクイン7し、各国の企業経営者や就業者などから注目を集めた。

WEFは、その背景として、経済成長を支える重要な要素として「生産性」や「従業員エンゲージメント」への関心が高まってきたことを挙げている8。これらの要素を向上させるために、企業として、従業員のリスキリング(学びなおし)やアップスキリング(技術向上)に取り組むことの必要性が再認識されたとしている9。さらに、働く人に求められるスキルとして、デジタル関連技術にとどまらず、「自己管理能力」「客観的思考力」「対話力」「問題解決力」などの人としての能力にも関心が寄せられ、これらの能力を総称するEIが上位に位置付けられるようになったと指摘されている10

2025年の調査でも、「2030年に核となるスキル(Core Skills in 2030)」について、「動機付けや自己認識(motivation and self awareness)」「共感と傾聴(empathy and active listening)」が上位に挙げられ11、働くうえでEIは、必要不可欠な能力であるとの認識が世界的な潮流になったと言える。

(3)Emotional Intelligence向上で期待される効果

EIを高めることによって、どのような効果が期待できるのだろうか。一部では、EIの高い人と低い人との年収差が平均29,000ドルにのぼるとの研究結果がある12。130年以上の歴史を誇り、研究者、教育者、臨床医など17万人以上の会員を有するアメリカ心理学会(APA)13や医療・保健分野の専門誌なども、EI関連のさまざまな調査研究に注目している。

EIと離職意向や仕事のパフォーマンスとの相関関係を調べた研究14もその一例である。これは、米国フロリダ州にある病院に勤務する看護師を対象とした意識調査から得られた「高いEIは、仕事ぶりに好影響を及ぼし、また、離職意欲を低下させる」という研究結果である15。 本研究の考察は、「EIを高めることは、従業員の高い業務遂行や組織への定着率向上に繋がり、安定的な組織運営の観点からも重要な要素」16としている。

このような研究結果には、WEFのみならず、多くの大学や人材開発関連の研究機関なども注目しており、EIは働くうえで、また、組織運営の観点でも、重視されていることがうかがえる。

そこで本稿では、実際にEI向上を企業として取り組み、事業拡大に導いたPixar Animation Studio(以下、Pixar)の事例を取り上げる。

2.企業成長の原動力は柔軟な発想と創造力を引き出すEmotional Intelligence

(1)Pixarとは


Pixarの歴史は、映画監督の巨匠ジョージ・ルーカスが、自身が米国で運営する映画製作会社にあるコンピューター・グラフィック(CG)部門 Lucasfilm’s Computer Division(LCD)に、のちのPixar共同創業者エドウィン・キャットマルを1979年に招聘したことに始まる17。1986年に実業家スティーブン・ジョブズがLCDを買収し、Pixarを独立企業として誕生させた18。その後、The Walt Disney Companyと共にCG制作を数多く手掛けることとなり、現在はその傘下にある19

1995年公開作品 「トイ・ストーリー」≪図2≫は、Pixarとして初の長編フルCGアニメーション映画ながら、オリジナル主題歌賞、作曲賞、脚本賞のアカデミー賞3部門でノミネートされるという快挙を達成した20。また、ジョン・ラセター監督は、そのリーダーシップが評価され、受賞者が毎年必ずいるとは限らない希少価値のあるアカデミー特別業績賞を受賞した21。このように華々しく長編映画監督デビューを果たしたことも、同作品が世界から脚光を浴びるきっかけとなった。

1986年の創業当時、Pixarは従業員40人程度の小さい企業であった22。しかし、「トイ・ストーリー」シリーズや「モンスターズ ・インク」など世界的ヒット作を次々と発表し、アカデミー賞受賞回数は40回を超えるまでに拡大した23。現在は従業員数千人を抱え24、CG映画界を牽引する世界的企業へと成長した。

(2)Pixarの強み①「弱さ」を自覚する文化

Pixarの強みのひとつは、役職員一人ひとりがそれぞれの「弱さ」を自覚する文化と言える。

ではいかにして、Pixarは自社の「弱さ」を認める企業文化を醸成したのか。この点について、世界中のビジネスパーソンが注目する
Harvard Business Review(HBR)において、Director of Culture(定着した日本語訳はなく「企業文化担当役員」 と意訳)経験者は 、Pixarの教育支援制度に言及している25。ここでは、入社後6か月間、メンターがメンティー(転入者)と伴走しながら、「互いの成長を目的とした支援制度」を意味するPixar’s Mutual Mentorship Programが紹介されている26

このプログラムは、Pixar流の絵の描き方、仕事のやり方を教えることが主目的ではない。メンターの「今日の自身に至るまでの苦く、不安に駆られた経験」27について、 メンティーに繰り返し共有する時間とされている。そして、メンティーのみが毎月集められ、この1か月、メンターのどのような言動が自信に繋がり、勇気づけられたか、反対に、どのような場面で落ち込み、発言することを躊躇ったか、などについて率直な意見が集約される。また、すべてのメンターや管理職のみの会議も開催される。ここでは、メンティーや部下との向き合い方を具体的に顧みる。そして、「自身がどのようなバイアスに捕らわれているか」を認識し、信頼関係をどの程度構築できたのかを表す”Trust Map”を作成する28

このように、メンターとメンティーの双方が、自身の感情の浮き沈みや言動を継続的に振り返る機会が重視されている。これらを通じて、メンターや管理職は、人を励まし動機付け、強みの発揮を促し、周囲の発言を抑圧しないなど、組織を牽引する立場として必要な素養を身につけることができる。一方、メンティーは、組織の中でどのようにストレスや不安に打ち勝ち、自信や安心感を得ることができるのかを学ぶ。これは、役職員一人ひとりのEI向上や、近年よく耳にする「心理的安全性」の概念に通ずるものである。

(3)Pixarの強み②創業以来追求されたPeer Culture : Sense of Unity and Inclusion

周囲への尊敬と協調性を貴ぶ「Peer Culture(対等な文化): Sense of Unity and Inclusion (一体感と包摂性)」という企業文化も、 Pixarの強みといえる。

Pixar共同創業者エドウィン・キャットマルは、Pixar創業以来重視してきた”Create a Peer Culture” の概念をHBRにて紹介している29。これは、互いに尊重し、全員が対等な立場の仲間として、最高の作品を創り上げる環境を目指す、という考え方である。

具体的なアクションがいくつか紹介されている。Pixarには “The Brain Trust”と呼ばれる集団があり、制作に関連する各部門を代表する8名のディレクターで構成される30。制作初期段階から素案を持ち寄り、過去に誰も成しえなかったことをどう実現させるかについて、日々建設的な意見が交わされる。”The Brain Trust”では 「権威づいたルール」は存在せず、「躍動性・ダイナミックさ」が重視されている31

部門を跨いだ活発な議論は、上層部に限ったことではない。 無名のクリエイターたちの間でも、殴り書きのような絵コンテや、思いついたシナリオの一部などを共有しながら、互いのアウトプットの良いところを日常的に褒め合う。これを通じて、一人ひとりが自身の強みに気づき、気づかされ、それを相互に引き上げていくことが繰り返されている。これを、仕事の進捗を逐一管理されている、とネガティブにとらえる人はいるかもしれない。しかし、人はそれぞれが弱みや苦手な部分を持ち、誰もが初めから自信に満ち溢れてはいない、という前提を理解し、共感し合えるのであれば、違う受け止め方ができよう。

キャットマル氏はこのように綴っている。「素晴らしいアイデアを平凡なチームに共有したところで、チームは混乱するだけだ。しかし、平凡なアイデアを素晴らしいチームに共有すると、それは素晴らしいものに化ける」32。名作を生みだそうと日々個人で奮闘するよりも、各々のひらめきを安心して提案できる組織を企業として作り上げていくことこそが、強い組織の構築に繋がると示唆されている。

また、Director of Culture経験者は、Pixarの成功秘話が取り上げられた2025年1月のインタビューにおいて、「無名であっても、役職がなくとも、制作に携わったすべての人の名前を、作品のクレジットに表示させる。これが、Sense of Unity and Inclusionの表れ」 と述べている33。 部署間や役職における力関係によることなく、誰もが最高の作品を世に送り出したいという理念に共感する仲間として、互いに尊敬する姿勢がうかがえる。

この”Sense of Unity and Inclusion”こそが、仲間同士の良好な関係構築と高いパフォーマンスに繋がっており、創業以来追求してきた “Peer Culture”の産物であり、Pixarの強みの他ならない。

(4)アカデミー賞を運営する映画芸術科学アカデミー(AMPAS)がPixarを評価する理由

映画界における世界最高の栄誉とされるアカデミー賞を一世紀にわたって運営する映画芸術科学アカデミー(Academy of Motion Picture Arts and Sciences、 以下 AMPAS)は、Pixarの成功秘話を「Toy Story : 20 Years of Being an Animation Game Changer (アニメーション界の革命児としての20年)」と題して紹介している34


“Peer Culture” は映画界を中心に好評を博している。AMPASは「トイ・ストーリー」の共同脚本家が自ら作成した絵コンテを用いて、音響やカラーデザインなど各部門の責任者を集めた制作会議が「トイ・ストーリー」を傑作に導いた要素のひとつとして取り上げている≪図3≫。 脚本家だからと自身の制作シナリオを「決定事項」として共有するのではなく、「たたき台」として一連のセリフを一人で何役もこなしながら制作会議の場を「劇場」に模して披露している。そして、会議の参加者による新たな視点や率直な意見などと照らしながら、互いに補い合いながら、「素晴らしいものを世に送り出したい」という共通した思いのもと、 全員で最高の作品に仕立て上げていった。

この流儀こそが、Pixarが醸成してきた”Peer Culture”である。これが、アカデミー賞3部門へのノミネートやラセター監督のアカデミー特別業績賞受賞に繋がったとされている。

3.「弱さ」を認めて「強さ」を発揮

Pixarが創業以来醸成してきた”Peer Culture”は、組織にいる一人ひとりの「弱さ」を自覚することからはじまる。誰もが初めから 「一人前」でもなければ、自信に満ち溢れているわけでもない。この現実を客観的に受け止めることで、他人への尊敬の気持ちが芽生え、相手に傾聴し、共感できるようになる。

どのような業種や職種であって、たった一人で完結する仕事はほとんどない。たとえ自社の製品やサービスに直接かかわらず、取引先や顧客などとの対話が少なくとも、上司、同僚、関連部署など、誰もが何らかの形で人とかかわっている。仕事を円滑に行うには、業務知識や特殊技能を習得することは言うまでもなく重要だ。しかし、自分自身の強みだけでなく、弱みや苦手な部分をも受け入れる姿勢、相手の要望や意見に傾聴し、共感する力であるEIを備えることも、それらと同じくらい大切だ。

Pixarが実践してきた”Peer Culture”は、こうしたEIに基づく姿勢が、 一人ひとりの自己認識や周囲への寄り添いを高め、 組織力の向上に繋がっていることを示している。

  • HBS Web サイト (visited Sep.11, 2025) <https://online.hbs.edu/blog/post/emotional-intelligence-in-leadership>
    Emotional Intelligenceは、その能力を測る指標 Emotional Intelligence Quotient(感情知能指数、EQ)とも認知されている。本稿では、概念としてEmotional Intelligenceを扱うため、略称はEIとする。
  • 前掲注1
  • 前掲注1
  • 前掲注1
  • 前掲注1
  • USC Web サイト (visited Sep.17,2025)<https://appliedpsychologydegree.usc.edu/blog/emotional-intelligence-in-the-workplace>
    EIとの相関関係は原文で “Emotional intelligence is correlated with confidence, resilience and perseverance. “とある。
  • WEF “The Future of Jobs Report 2020”<https://www.weforum.org/publications/the-future-of-jobs-report-2020/digest/>
  • 前掲注7
  • 前掲注7
  • 前掲注7
  • WEF “The Future of Jobs Report 2025” <https://www.weforum.org/publications/the-future-of-jobs-report-2025/digest/>
  • TalentSmart Web サイト (visited Sep.11, 2025) <https://www.talentsmarteq.com/why-you-need-emotional-intelligence-to-succeed/?utm_source=chatgpt.com>
    TalentSmart社は、世界的ベストセラー『Emotional Intelligence 2.0』の共同著者であり、臨床心理学と産業心理学の博士号(Ph.D.) を有するブラッドベリ―氏が代表を務める人材コンサルタント会社。EI測定尺度(EIテスト)の開発企業でもあり、同社のEIテストやEIトレーニングプログラムはFortune500企業の約8割で導入されている。
  • APA Web サイト (visited Sep.17, 2025) <https://www.apa.org/about/apa/archives>
  • Weiss, S . Clayto n , R., Weiss, L., The relationship between registered nurse emotional intelligence, turnover intention and job performance, International Journal of Healthcare Management, Jul. 6, 2025(Published Online)
  • 前掲注14
  • 前掲注14
  • Pixar Web サイト (visited Sep.17, 2025)<https://www.pixar.com/our-story>
  • 前掲注17
  • 前掲注17
  • AMPAS Web サイト (visited 22, 2025) <https://www.oscars.org/collection-highlights/toy-story>
  • 前掲注20
  • 前掲注17
  • Pixar 公式 LinkedIn アカウント(visited Sep.22, 2025)<https://www.linkedin.com/company/pixar-animation-studios/>
  • 前掲注23
  • Woolf, J., “How Pixar Fosters a Culture of Vulnerability at Work”, HBR, Mar. 25, 2024
  • 前掲注 25
    “Mutual” とは、「相互」という意味。
  • 前掲注25
  • 前掲注25
  • Catmull, E., “How Pixar Fosters Collective Creativity”, HBR, Sep., 2008
  • 前掲注29
  • 前掲注29
    原文では、”…the brain trust has no authority. This dynamic is crucial.” とある。
  • 前掲注29
  • Training magazine Web サイト (visited Sep. 25, 2025)<https://trainingmag.com/why-workplace-learning-fails-lessons-from-pixar-university/>
  • AMPAS Web サイト (visited Sep.16, 2025)<https://www.oscars.org/events/toy-story-20-years-being-animation-game-changer>

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