ネイチャー・クライメート

物が壊れないほうの話~米欧の熱波と渇水、壊れたのは設備ではなく前提だった~

上級研究員 鈴木 大貴

今夏、気候変動は物を壊さない形で、各地の社会経済システムに爪痕を残している。米国のコロラド川流域では、これを水源とする2つの貯水池が観測史上最低水位を記録し、連邦政府が大幅な取水削減を伴う運用枠組みを示した。欧州の熱波では、備えの薄かった北西欧で死者が急増し、フランスでは河川の水温上昇を理由に原発の出力が絞られた。いずれも設備は無傷である。それでも操業は制約され、人は亡くなっている。本稿では、こうした「物が壊れない被害」に焦点を当てる。個別の異常気象と気候変動の関連を分析する国際的な研究者グループであるWWAは欧州の熱波について、多くの住宅や交通システムが長期間の極端な高温を想定して設計されていないと指摘する。設計や制度を決めた当時の前提が、変動するいまの気候にはすでに合っていない可能性がある。進行する気候変動に加え、自然変動であるエルニーニョ現象は今後強まり、影響が最も現れるのは2027年とされる。さらなる想定外が続くのか、まだ誰にも分からない。
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1.はじめに

気候変動が企業や社会に及ぼす影響を考えるとき、まず思い浮かぶのは物が壊れる場面であろう。工場が浸水する。屋根が飛ぶ。設備が焼ける。企業のリスク評価も、災害統計も、そうした形の被害や損失を前提に組み立てられてきたと言える。

気候関連の財務情報開示の国際的な枠組み(TCFD提言、およびその後継であるISSB基準)は、物理的リスクを「急性」と「慢性」に分けている1。両者は対立する二分類というより、急性のイベントが、その背景にある慢性のトレンドを可視化するという関係にある。干ばつという一回の出来事(急性)が、その地域の水利用可能性の趨勢的な低下(慢性)を露わにする、という構図である。

ただし、この急性・慢性という時間軸の分類は、「物が壊れるか、壊れないか」という被害の性質とは、別の軸である。台風や洪水のような急性リスクは物的な破壊を伴うことが多いが、同じ急性リスクに分類される熱波や干ばつは、必ずしも物を壊さない≪図表1≫。
 

 

この夏世界で起きたことを見渡してみると、こうした物が壊れていない事象が目につく。それでも操業は制約され、人は亡くなっている。事業場や家屋が浸水したという被害は分かりやすく語られる一方、農家が灌漑用水不足で作付けを断念した、電力の輸出余力が落ちた、店の売上が静かに落ちた、といった被害は、まとめて語られる機会が少ないのではないか。本稿は、そうした問題意識のもと、「物が壊れない事象がもたらした帰結」に焦点を当てる、という試みである。

2.水が足りない:米国・コロラド川

2026年、米国は記録的な熱波に繰り返し見舞われた。8月18日にはフロリダ州マイアミが観測史上最高気温に並び、オクラホマ州でも高温記録が更新されている2

約4,000万人の生活を支えるコロラド川でも、深刻な干ばつを背景に、これを水源とする2つの巨大貯水池が同じ月に相次いで観測史上最低水位を記録した≪図表2≫。
 

 

ミード湖の水位は7日、貯水を開始した約90年前以来の低さとなった。パウエル湖も16日に最低水位記録を更新している。これ以上下がれば水力発電に支障が出始める水準である3

昨冬、流域で、自動積雪観測網(SNOTEL)による観測開始(1980年代)以来の記録的な積雪不足となったことが直接の引き金となった4。2026年3月には熱波にも見舞われ、少ない積雪をさらに早く溶かす決定打になった。数十年単位で本来の川の流量を上回る形で取水枠が配分されてきたことに加え、気候変動が引き起こす高温化・乾燥化の傾向も渇水の要因とされる5

コロラド川はもともと水資源の配分の問題を抱え、関係7州での協議が何年も続けられていた。合意に至らないまま、連邦政府(内務省開拓局)は2026年7月31日、2036年までを対象とする10年間の適応的な運用枠組みの最終環境影響評価書を公表した。同枠組みは最大で年間約37億㎥の取水削減を許容する幅を持つが、8月21日に確定した当面2年間(2027〜2028年)の運用指針では、下流のアリゾナ、カリフォルニア、ネバダの3州で年間125万エーカーフィート(約15億㎥)の取水削減が求められることとなった6。このうちアリゾナ州に割り当てられる削減幅は、同州の取水枠(セントラル・アリゾナ・プロジェクト:CAP)の最大77%に相当しうる。一方、同じくコロラド川に依存する上流のコロラド、ユタ、ワイオミング、ニューメキシコの4州には、義務的な削減は求められていない7。アリゾナ州水資源局はこの内容が州民に「壊滅的な被害」をもたらしかねないとする書簡を連邦政府に送り、大手法律事務所を起用し訴訟基金を900万ドルに積み増すなど、法廷闘争の準備を進めていた8。8月24日には、ネバダ州が全米で最初にこの枠組みを不服として連邦政府を提訴した9

この負担の偏りは偶然ではない。1922年のコロラド川協定はもともと上流4州に義務的削減を課さない設計になっており、さらにアリゾナが利用するCAPの水利権は、1968年の連邦承認時にカリフォルニア・ネバダへの供給を優先する劣後水利権として位置づけられた9。渇水時に真っ先に削られる立場は、100年近く前の交渉の帰結として、いまも続いている。

設備は何も壊れていない。変わったのは、使ってよいとされる水の量である。そして、その先で広がる影響は大きい。

アリゾナの水使用の70%超は農業向けである。カサグランデの農家は既に灌漑用水の不足で綿花の作付けができなくなっており、州農業局長は「生産しなくなれば、雇用しない、トラクターを買わない、あらゆる資材を買わなくなる」と、取水削減の影響が地域経済全体に波及することを警告する。ユマは米国・カナダの冬季葉物野菜の9割を生産する産地でもあり、削減が深まれば遠く離れた消費者の食卓の価格にも影響が及びうる11

都市の側は、フェニックスなど周辺自治体が「蛇口の水は止まらない」としつつ、地下水・再生水・海水淡水化への依存を強め、干ばつ割増金の導入を準備している。ギルバートの水資源管理者は「アリゾナは水が尽きるのではない。安い水が尽きるのだ」と述べている12。水は残る。ただし、これまでの前提で、これまでの値段では、もう手に入らない。

なお、国連大学の水・環境・保健研究所は2026年1月、「水危機」という語がもはや実態を表さないとする報告書を公表した。「危機」とはシステムが回復しうる衝撃を指すのに対し、多くの流域と帯水層は過去の水準に回復する能力そのものを失いつつあるとして、これを「水の破産」と呼んでいる13。コロラド川はこの報告書が挙げる代表例のひとつであり、8月の記録更新は、報告書が指摘していた長期的な需給の逼迫が顕在化したものといえる。

                          《BOX》 2021年の台湾干ばつ
 
 同じ類型の先例として、台湾にも触れておきたい。2020年から2021年にかけての台風シーズンに、1964年以来はじめて上陸台風がなく、貯水池が回復しなかった。半導体産業の集積地では水の使用削減が指示され、TSMCなどの工場は給水車による輸送で操業を維持した。同じ期間に、水田の24%が灌漑を完全に絶たれ、二期作はできなくなった。国連大学の技術報告書は、両部門とも水の配給を受けたものの、半導体産業が稲作より明確に優先されたと整理している14。台風が来なかったことも、偶然とは言い切れない。国連大学は、台風の経路や発生パターンの変化に気候変動が影響していると指摘し、この渇水を一過性の異常気象ではなく、今後繰り返されうる構造的リスクの先例と位置づけている15。工場は止まらなかったが、費用は生じ、その裏で農地の作付けは止まった。

3.熱波が押し寄せる

暑熱もまた、物を壊さずに損失を生む。

今夏の欧州では、西欧の6〜7月平均気温が21.62℃と観測史上最高となり、平年を2.79℃上回った。従来の記録である2022年を約0.9℃も上回っている≪図表3≫。セーヌ川、ライン川、ドナウ川の流量が大きく低下し、給水、灌漑、エネルギー生産に影響が及んだ16
 

(1)相次ぐ原発停止

フランスの原発は冷却水を河川に戻す際の排水温度に法規制の上限があり、6月下旬に複数の河川で気温が42.5℃に達すると、ゴルフェック、ビュジェ、ショーズの3原発が停止した。フランスが近隣国に輸出していた電力の余力は、数日で11〜12ギガワットから3ギガワット未満に落ち込んだ17

ハンガリーでは、より直接的な形で熱波の影響が表れた。唯一の原発であるパクシュ原発は、8月1日までにドナウ川の水位が観測史上最低の水準まで低下し、4基のうち3基が停止に追い込まれた。国内電力供給の約半分を担う原発が、ほぼ止まりかけたことになる。その後、上流の降雨で水位が回復し、8月10日にタービン1基が再起動している18

いずれも原子炉そのものに異常はなく、理由は水温または水位だけだった。

同様の事態はドナウ川流域を中心に他国にも広がった。ルーマニアの唯一の原発(国内電力の約20%)は、河川の流れを発電所側に誘導するため海軍が川底を爆破する対策まで講じたが、水位の低下を止められず、7月末から8月13日にかけて全面停止した。ブルガリアの唯一の原発(同約3分の1)も8月21日に出力を削減した19。冷却塔を用いるスイス・スロベニアの原発も、河川の水温規制により一時的な停止や出力低下を強いられている。欧州の原発は、河川という共通の弱点を通じて、今夏の熱波と渇水につながっていた。

(2)死者数の分布

人的被害も大きかった。フランス公衆衛生局によれば、同国では6月中旬以降52日間(1947年の統計開始以来最多)にわたり熱波が続き、これまでの熱波による超過死亡(平年の死亡者数を上回った人数の統計的推計)は7,300人を超えた。うち約4分の3が75歳以上の高齢者である。2022年の熱波(33日間)や、1万5,000人超が死亡した2003年の熱波(22日間)を、日数ではすでに上回っている20

欧州全体では、欧州死亡率モニタリングネットワーク(EuroMOMO)の推計によれば、6月下旬の一週間だけで超過死亡が約1万6,000人に達した21。その後、8月25日時点では欧州全体で少なくとも3万5,000人に達しているとされる22

個別の異常気象と気候変動の関連を速報的に分析する国際的な研究者グループであるWorld Weather Attribution(WWA)は6月26日、6月の熱波を対象とした分析を公表し、同地域で観測史上最も激しい熱波であるとしたうえで、次のように結論づけた。
 

○1976年当時であれば、この6月の気温は事実上起こりえなかった。
  ○今世紀最初の大規模熱波を記録した2003年と比べても、日中の暑さは約10倍、熱帯夜に至っては100倍以上起こりやすくなっている。
  ○西欧の広い範囲で、6月は他のどの月よりも速く温暖化しており、日最高気温は世界平均の約3倍、夜間気温は約2倍の速さで上昇している23
 

同分析は、暑熱は洪水・暴風雨・山火事を上回る欧州で最も死者の多い自然災害であり、多くの住宅、学校、交通システム、エネルギー基盤は、長期間の極端な高温を想定して設計されていないと指摘している。

これを裏付けるように、死者が急増したのは、最も気温の高かった南欧ではなく、フランス、ベルギー、ドイツといった北西欧であった。高温に慣れておらず、人もインフラも長期の高温への備えが十分でなかったことが一因と見られている。

日本では空調は当然の設備だが、欧州の住宅の空調普及率は約20%に留まる。夏の暑さは短期間しか続かないため、空調は必須と見なされてこなかった24

欧州内で被害の大きさを分けたのは気温そのものではなく、備えとのずれだったことは示唆的である。

4.企業は、気づき始めている

(1)決算説明会での言及

こうした事象は企業活動にも影響を及ぼしている。

フィナンシャル・タイムズが調査プラットフォームAlphaSenseのデータとして報じたところによれば、直近数週間の決算説明会で猛暑・渇水・山火事の影響に言及した企業は、時価総額10億ドル超の欧州企業の10社に1社にのぼった25

業種によって現れ方は一様ではない。35℃の気温で作業を中断せざるを得なくなった建設会社もあれば、降雨の減少で水力発電が制約された電力会社もある。

これを構造的な変化と見るか、例外的な事象と見るかは割れている。「この暑い夏は一度きりではなく、おそらく新時代だろう」「2026年は転換点だ」という経営者がいる一方で、天候の影響は長期的には中立になるとする企業、「暑さは過ぎ去るだろう」とする企業もある。

(2)パドヴァの飲食店

イタリア・パドヴァでは、1世紀以上にわたり夕方の一杯を楽しむ習慣が続いてきたが、暑さのため開始時刻が遅くなり、屋外席は空席となっている。周辺を含む約600の飲食店を対象とした調査では、8割超が今回の熱波の期間中に売上が約2割落ちたと回答した。地元の業界団体の会長は「2割落ちれば、利益は消える」と述べている。

店舗はどこも壊れていない。客が外に出ないだけである。

昨夏の欧州の熱波では、生産の損失430億ユーロに対し、支払われた保険金は約5億ユーロ、およそ1%に留まった26

5.想定されていなかった、ということ

これらの事象に共通するのは、物が壊れていないことだけである。原因も規模も地域もばらばらで、気候変動との関連度合いも一様ではなく、ひとつの傾向として束ねられるものではない。

ただ、ここで前出のWWAによる示唆的な一文を再掲したい。
 

○多くの住宅、学校、交通システム、エネルギー基盤は、長期間の極端な高温を想定して設計されていない。
 

国連大学は、台湾についてほぼ同じことを書いている。
 

○水資源の確保を台風の規則性に依存してきたが、その常態の変化がもたらす帰結に備えていなかった。
 

コロラド川の水利権は、20世紀初頭の流量観測を前提に配分が決められた。欧州の住宅は、冬の寒さに備える設計が優先されてきた。いずれも、決めた当時の前提が、いまの気候にはもう合っていない可能性がある。そして、前提の外にある被害は、統計にも表れにくい。

6.おわりに

世界気象機関(WMO)によれば、熱帯太平洋では2026年春以降、海面水温が平年より高くなるエルニーニョ現象が発達している(エルニーニョは気候変動とは別の、数年周期で生じる自然変動である)。エルニーニョの影響は地域によって方向が異なるものの、エルニーニョが地球全体の平均気温を最も強く押し上げるのは、発生翌年である2027年とみられる27

本稿で見てきた各事象の余波は、それだけでも十分に大きい≪図表4≫。設備は壊れていないのに、影響の規模は物的な被害に劣らない。
 

 

顕在化する気候変動という土台にエルニーニョが重なる来年、同様の事態がさらに強まって生じた場合、我々がまた「想定していなかった」と言うことになるのかどうか。次に何が起きるかは、まだ誰にも分からない。

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