常識が揺らいでいる
「常識」の揺らぎを報じる新聞記事が散見される。そこから「常識」を5つ取り出して「揺らぎ」の状況を概観する。第一は「民主主義が世界を覆う」という考え方であり、これに対し「民主主義の後退」が報じられる。その事例のうち民主主義を支える仕組み(権力の分立、報道の自由など)を掘り崩す動きは「後退」と言えるが、有効な選挙制度が維持される限り、その動きが断ち切られる(復元)可能性は残る。第二は「グローバリゼーションは止まらない」という考え方であり、これに対し「反グローバリズム」の台頭が報じられる。企業活動のグローバル化では地政学リスクの高まりなどが立ち塞がり、経済のグローバル化ではブロック経済の復活が取り沙汰され、政治のグローバル化では反グローバリズムの台頭などが懸念される。もっとも「停滞」というべきものであり直ちに「後退」に繋がることはなさそうである。第三は「企業は株主のものである」という考え方であり、これに対し「株主第一の見直し」が報じられる。そもそも周囲が企業に何を期待するのかという問題意識から「株主のものである」という考え方が出てきたのであり、時代が変わればその期待も変わる。現在は広く「利害関係者」の期待に関心が集まっている。第四は「企業は競争すべきである」という考え方であり、これに対し勝者総取りなどの「競争のない世界」が報じられる。競争だけでは解決できない領域が確かに生まれていると言える。第五は「わが国は非移民国家である」という考え方であり、これに対し「わが国に居住する外国人が増えている」と報じられる。「移民」を母国に帰らない前提の人々と捉えれば、母国に帰る前提の人々が増えても非移民国家と言えなくはない。しかしこの分かり難い状況が「外国人(共生)政策」を深めることを阻害している。全体を通じて「常識」を固定的に捉えるのでなく、時代により変わり得るものだという柔軟な捉え方をする必要があろう。
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目次
Ⅰ.はじめに
かつて会社員は自宅から職場まで毎日移動してそこで仕事をこなすのが当たり前であった。新型コロナ感染拡大を機に在宅勤務が一気に普及して「職場」観が大きく変容した。職場(仕事をする場所)は、会社の指定する場所(会社が決める)から仕事を安全・効率的に行うことのできる場所(仕事が決める)へと転換した。多くの人々が共有する「モノの捉え方」を「常識」と呼ぶとすれば、そうした「常識」が時代により変転することは珍しいものではない。しかし、それなりの数の「常識」が一斉に変わり始めると「時代の転機」を感じさせる。新聞記事に登場する「5つの常識」について常識の内容、常識となった経緯、「揺らぎ」の状況、それを解き明かすためのポイントという順で概観する。
Ⅱ.民主主義は世界を覆うのか
冷戦の終結(1989年)を各国による政治体制をめぐる争いの終結と捉えた上で、勝者となった民主主義が世界を覆うようになる1という「常識」が登場した。ところが最近は「民主主義の後退」を報じる記事2が目に付く。もっとも「後退」が報じられるのは民主主義を支える基盤の方である。
1.民主主義をめぐる議論
民主主義とは自国に関する重要事項の決定権を国民が持つ(国民主権)ということであり、間接民主制においては国政選挙への参加(参政権)がこの決定権に相当する。しかし、国民(有権者)による選挙を実施しているという事実だけで「民主主義」であると判別される訳でない。異なる政治体制と対比する中で「民主主義」概念に様々な要素が付け加えられてきた。
(1) 民主主義 対 全体主義
第二次大戦を「民主主義対全体主義の戦い」と位置づけたのが大西洋憲章3だとされる。そこでは民主主義を「人々が政治体制を選択する権利を有していること」と定義する。もっとも、対極に置いた「全体主義」においても国民による選挙が実施される場合がある。両者を区別するために、個人の自由が重視されるか(自由主義)、その上位に社会の秩序を置くか(全体主義)という振り分け基準が付け加えられる。なお、自由主義を「個人の諸自由を尊重し、外在的権威の束縛や圧迫から人間を解放しようとした思想や運動」と、全体主義を「個人の利益よりも全体の利益が優先し、全体に尽すことによってのみ個人の利益が増進するという前提に基づいた政治体制」と定義する文献4がある。
(2) 民主主義 対 権威主義
全体主義が一党独裁に突き進んだのに対して、「複数の政党の中から選ぶ選挙」という体裁を整えた非・民主主義が登場し、「権威主義5」という新たな区分が設けられた6。民主主義と権威主義を区別する上で「行われている選挙が自由で公正なものかどうか」という基準が必要になる。ここに民主主義を支える仕組み、例えば意見表明の自由、政党結成の自由、報道の自由などが「法の支配」の下で保障されているのかといった振り分け基準が付け加えられる。これを備えた民主主義は「自由民主主義」と呼ばれる。後述のとおり「後退」が報じられているのは「自由民主主義」である。
2.民主主義の進展
民主主義の進展について国際政治学者ハンティントン氏の見解7に基づき説明されることが多い。同氏は民主的な政治体制への移行を「民主化」と捉え、これまで3回の「民主化の波」があったとする。第一の波は参政権を拡大した1828年米国大統領選挙を始点として1926年までに33か国が民主化を果たした。戦間期に当たる1922年から42年までに22か国が権威主義・全体主義に移行した(揺り戻し)。イタリアのファシスト政権が崩壊した1943年を始点として「第二の波」が生まれ、41か国が民主主義体制に移行した。パキスタンの1958年戒厳令を皮切りに権威主義への揺り戻しが起き、1975年までに22か国が非民主主義体制に戻った。「第三の波」はポルトガルの民主化クーデター(1974年)を始点として論文発表時(1991年)までに35か国が民主化を果たした(継続中である)とする。こうした民主主義の進展と冷戦の終結を結び付けて「民主主義が世界を覆う」という主張が世間に浸透した。
3.民主主義の後退
「民主主義の後退」について学界では2010年代から議論され始めた8。世界全体における民主主義の状況を定量的に評価する試みにおいて最初の異変が認められたのは2007年とされる。冒頭に紹介した新聞記事は定量評価の直近版に基づくものである。定量評価とその元になった具体的な事実関係を概観する。
(1) 定量評価で見る後退
フリーダムハウス「世界の自由度」は2007年版で自由度の全般的な低下、自由国の数の停滞を初めて指摘した。直近版9(2026年版)を見ると、①世界の自由度は20年連続で低下した、②自由と判定された国のうち米国、ブルガリア、イタリアの自由度が著しく低下した、③評価項目ではメディアの自由、表現の自由、適正な手続が著しく低下した、④部分的自由と判定された国の自由度が2005年以降、かなり低下している、⑤環境が厳しくても2005年以来、自由と判定され続けている国が76か国もある-と指摘する。
V-Dem研究所「民主主義報告書」はその初版(2017年版)から民主主義の変調を指摘している(副題に「民主主義は黄昏を迎えたか?」を選んでいる)。直近版10(2026年版)は副題として「民主主義時代はほころび始めた?」を掲げた上で、①民主主義は1978年水準に落ちている(民主化の第3の波の成果は殆ど失われた)、②米国が初めて自由民主主義の地位を失った、③全人口の74%が専制国に住んでおり、自由民主主義国に住むのは7%に過ぎない-と指摘する。
米国NGOフリーダムハウスは1973年以降、政治的権利と市民の自由という二軸で国別に自由度を評価して各国を3つの区分に分類した報告書「世界の自由度」を毎年発表している。評価軸は政治的権利では選挙プロセス、政治的多元性と政治参加、政府の機能発揮という3項目、市民の自由では表現・信仰の自由、結社の自由、法の支配、個人の自律と権利という4項目である。区分は「自由国」「部分的な自由国」「自由のない国」である。
スウェーデンの大学を母体とするV-Dem研究所は2017年以降、民主主義の度合いを評価して各国を4つの政治体制に分類した「民主主義報告書」を毎年発表している。分類先となる政治体制は①自由民主主義、②選挙民主主義、③選挙専制、④閉鎖専制の4つである。(ア)国政選挙が複数の政党で争われている、(イ)自由で公正な国政選挙が行われているという要件を満たすと民主主義(①と②)に分類され、それらに加えて(ウ)法の透明性とその執行の予測可能性が担保されている、(エ)司法への安全で効果的なアクセスが保障されている、(オ)自由主義の原則(個人の自由と法の支配の尊重、司法と立法による行政統制)という要件を満たすと自由民主主義(①)に分類される。(ア)と(イ)の要件を満たさない場合、複数政党による選挙が制度上行われていれば選挙専制に、行われていなければ閉鎖専制に分類される11。
(2) 脱・民主主義の動き
民主化を果たした国々において「民主主義に背を向ける(脱・民主主義)」動きが生じている12。
アジアでは、①選挙で選ばれた政治的リーダーが強権的手法を多用する(インド、インドネシア)、②選挙で選ばれた民主化リーダーが軍部などの圧力で下野する(タイ、パキスタン)、③軍事クーデターにより民主政権を崩壊させる(ミャンマー)といった事例が生じている13。アフリカでは、民主化の歴史が浅い中で専制的な国々が多くなっている。これについて、そもそも自由民主体制からスタートしておらず民主体制の後退でなく専制体制の定着として捉えるべきであるという指摘14がある。社会主義から民主主義に転換した東欧諸国でも外観上は民主主義でありながら統治実践では権威主義的な手法がとられているという指摘15がある。例えば2010年から16年間、ハンガリーを指導したオルバン政権16がある。
地域に共通する指摘として、民主化が外から押し付けられたものであった17、現地指導層が権威主義体制の成功を見てこれに追随したといった見解18がある。指摘された事例を「民主主義の後退」と捉えるべきかは疑問である。
(3) 内部からの掘り崩し
民主主義に背を向けるというあからさまな態様をとらないものの、それを支える仕組みを緩やかに損ねる動きがある。どのような仕組みが損ねられているのかという状況を米国の事例で概観する。
第一が立法府の軽視である。本来立法により対処すべき政策(例えば関税賦課)を行政命令(大統領令)により実行するなどであり、関税問題では連邦最高裁19が大統領令を覆した。第二が司法権の無視である。裁判所の差止命令を無視して外国人を強制送還した事例20がある。第三が報道機関への圧力である。公共放送に対する資金拠出を打ち切って事業の閉鎖に追い込んだ事例21がある。独裁政治を抑止するための「権力分立」を行政優位に変え、また国民の政権選択に資する情報を提供する「報道の自由」を自らに不利な場合に抑圧するものと言える。
4.民主主義の行方
「民主主義の後退」とされる事例は、①民主主義を支える仕組みを損ねるものと、②民主主義の「見せかけ」が剥がれ落ちるものとに分けられそうである。このうち②については「後退」事例としてカウントすることの是非が問題になる。危機感を共有するために該当事例を多くするという意味でカウントしても良いが、何らかの対策を検討する目的であればカウントすることに意味がないであろう。しかし、①は「後退」の典型例と言える。もっとも「選挙」という仕組みを存続する限り、将来のいずれかの段階で民意という名の審判22が下る可能性は残る。「見せかけ」でない民主主義に基づく国家がその「後退」に見舞われたとしても、いつかは「復元」を迎えるという展開である。
そもそも民主主義は「一進一退」を繰り返しているという見方23もある。民主主義の進展を説明する際にしばしば取り上げられるハンティントン氏自身がその立場にある。また、民主主義の「後退」と「終焉」を区別する見方24もある。
本稿では、①の事例を「後退」と捉え、近年「後退」現象が多くなっていること、しかしながら「終焉」を意味していないことの2点を指摘しておく。
- 例えばFrancis Fukuyama, “The End of History?” The National Interest, No.16, summer 1989
- 日本経済新聞「権威主義、91か国・地域に増、民主主義を22年ぶりに超す」(2026/03/13)など
- ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相が1941年8月に発表した共同宣言で戦争目的や戦後処理方針を記している。
- ブリタニカ国際大百科辞典
- J.J. Linz, “An Authoritarian Regime: The Case of Spain,” 1964
- 権威主義研究の進展について武藤祥「権威主義は民主主義の対概念か?」(年報政治学2024年1号、2024/06)など
- S.P. Huntington, “Democracy’s Third Wave,” Journal of Democracy, Spring 1991、ハンティントン「第三の波:20世紀後半の民主化」(白水社、2023/12)
- 武藤論文[2024]322頁
- Freedom House, “Freedom in the World 2026,” 2026/03
- V-Dem Institute, “Democracy Report 2026: Unraveling The Democratic Era?” 2026/03
- 国会図書館「国際比較に見る日本の政策課題(2026年版)」(2026/03)95頁
- ハンティントン氏は「民主化の初めての試みで安定的な民主主義体制を生み出した国はほとんどない」(翻訳版293頁)として民主主義を経験するとその安定的な定着に繋がるという見方を取る。
- NIRAオピニオンペーパー78号「揺れ動くアジアの民主主義の行方」(2025/02)など
- 遠藤貢「アフリカにおける政治体制変動の評価をめぐって」(国際政治210号、2023/03)68頁
- 武藤論文[2024]312頁
- オルバン政権は選挙管理委員会への統制の強化、報道等の自由に対する制限、当局の監視と個人データ・アクセスを許容する法律の制定などを行ったとされる。国会図書館「国際比較に見る日本の政策課題(2026年版)」(2026/03)96頁など。
- 途上国支援が選挙の実施などの民主化を条件としたことを「外圧」と捉えている。
- 笹岡雄一「民主主義の低迷と後退」(明治大学ガバナンス研究21号、2026/01)111頁
- 日本経済新聞「米最高裁、大統領に関税発動権限なし」2026/02/21など
- ロイター「ベネズエラ人強制送還、判事の命令に違反せず、トランプ政権が主張」2025/03/26など
- ロイター「米公共放送機構、助成金廃止で閉鎖へ、地方メディアに打撃」2025/08/04など
- ハンガリーで強権的な政治を行ってきたとされるオルバン政権は2026年4月の総選挙で下野した。
- 宇野重規「民主主義の危機と政治思想」(連合総研レポート352号、2019/11)10頁など
- 遠藤貢論文[2023]68頁
Ⅲ.グローバリゼーションは止まらないのか
従来「国際化」という言葉で議論された問題において「グローバリゼーション」や「グローバル化」という言葉が用いられるようになった。その殆どは「グローバリゼーションが進展している」ことを前提としている。他方で近年、「反グローバリズム」に言及する記事25が散見される。先ずは「グローバリゼーション」という言葉の意味合いを押さえた上で、その「進展」と「反転」を概観する。
1.グローバリゼーションをめぐる議論
「グローバリゼーション」という言葉は1990年代から盛んに使われ始めたとされる26。その多くは「グローバリゼーション」を従来の「国際化」と区別せずに用いている。他方で、特別な意味合いを加える見方もある。例えば、技術革新により「国境」という壁が低くなっていることに着目して「国境を越えた人・財・サービス・資本・情報の交流がもたらす社会空間の再編成過程」という捉え方をする見解27がある。逆に「国境」がグローバル化を促しているという見解もある。そこでは「国家によって市場が仕切られ、それによって差異が生じることから利益を得るためのグローバルなヒト・モノ・カネの移動が増大して」いき、資本主義市場経済システムに則った主体がグローバル化を進めているという捉え方28をしている。更に「時間」の概念を加えて「人間、財、情報などが地球の遠隔地間を短時間ないし瞬時に移動できるようになった状態」とする見方29がある。「国境」という壁を低くして情報を「瞬時」に移動させるインターネットを典型例として「国際化」から「グローバル化」に転換したということであろう。その上で、これらの「移動」が様々な領域にもたらす影響を論じている。すなわち、移動する「主体」と移動による影響を受ける「客体」という区別がなされている。本稿では主体として「企業」を、客体として「(国民)経済」と「(国際)政治」とを取り上げて概観する。
2.企業のグローバリゼーション
企業は当初は海外市場を目指して、続いて海外生産を目指して海外に進出した(国際化)。そこに登場するのは「母国」と「進出先国」という二国である。1990年代に入ると、均質な商品・サービスが全世界で売られる(グローバル市場30)ようになり、企業活動も全世界を視野に入れて展開される(グローバル・バリューチェーン)ようになった。しかし、米中対立が「グローバル市場」を分断し、地政学リスクが「バリューチェーン」を分断する懸念が高まっている。
(1) 企業のグローバリゼーションの進展
企業の「国際化」に併走してこれを支えたのが自由貿易体制である。先ず取り組んだのが商品・サービスの移動における「国境の壁」(関税、非関税障壁)の低減である。関税と貿易に関する一般協定(GATT)の下で行われた大規模交渉(ラウンド)は、関税引下げに取り組んだケネディ・ラウンド(1964-67年)、非関税障壁に取り組んだ東京ラウンド(1973-79年)、サービス貿易に取り組んだウルグアイ・ラウンド(1986-94年)と積み重なり、世界貿易機関(WTO)の設立(1995年1月)に繋がった31。加えて中国のWTO加盟(2001年12月)により自由貿易を遮る「空間的制約」も消滅した。こうして、企業は「経済合理性」をほぼ唯一の基準として「国際化」や「グローバル化」を決定することができるようになった。
企業の「グローバル化」を支えた要因は、国際物流網の整備、インターネットなどの情報通信革命の進展、電子商取引の進展、経営上の選択肢の拡大(ビジネスプロセス・アウトソーシングなど)などである。
(2) 企業のグローバリゼーションの停滞
米中対立は「グローバル市場」に新たな国境を設けている。また「政経分離」の時代が終わり、国際紛争(ロシアのウクライナ侵攻、米国のイラン侵攻など)が企業活動に制約をもたらしている。更にこれまで「グローバル化」を支えてきた自由貿易体制にも変調が生じている。
① 米中対立
2018年以降に激化した米中対立では自由貿易に逆行して「国境の壁」を設定する動きが相次いでいる。輸入規制(輸入禁止、関税賦課など)、輸出規制(製品輸出禁止、技術流出禁止など)、投資規制(中国発・米国発の双方向で規制)などの措置32がとられて、商品・サービス・資本・情報の越境移動を制約している。また、一部の措置は領域の外の取引にも適用され(域外適用)、両国に接点のない企業にも規制遵守が求められる。例えば、米国製半導体を内蔵する商品を米国を経由することなく輸出する際にも輸出規制が及び得る。
② 地政学リスクの高まり
相手国に対して経済的な圧力(経済的威圧)をかけて自国の政治的主張を通そうとする動き(経済の武器化)が2010年代に活発になり、周辺国がこれに備える動き(経済安全保障)をとっている。経済安全保障は企業に対して「経済合理性」に反する行動を要求することがある。例えば、経済合理性で見た「生産適地」について経済安全保障の観点から変更するケースなどである。
また、かつては地域紛争が起きても交易活動に波及させないという「政経分離」に当事国が努めていたが、「経済の武器化」が進むにつれて「政経の一体化」が生じている。例えばロシアのウクライナ侵攻(2022年2月)に際して反対国はロシア産原油の輸入制限措置をとり、企業活動に打撃を与えている。そうなると、企業は紛争の懸念される地域において地政学リスクを織り込む必要が生じる。
表立って発動する「経済制裁」がWTOルール違反となったことから、「密やかに」「非公式に」実行する「経済的威圧」が利用されるようになっている。例えば、2010年に日本の巡視船に体当たりした中国漁船の船長が逮捕された際に中国はレアアース対日輸出の停止を「威圧の手段」としたが、輸出禁止措置を講じるのでなく通関業務を意図的に遅らせる形をとったとされる。威圧の主な手段は①相手国商品を自国市場から締め出す(輸入制限、不買運動)、②自国の資源・特産品を相手国に供給しない(輸出制限)、③自国の購買力を相手国に向けさせない(観光渡航の制限)である。
経済安全保障は経済的威圧への対抗という側面がある。そこでは、相手国の資源や市場が威圧に利用されることから、①そうしたものへの依存度を引き下げる(自律性を高める)とともに、②自国の威圧能力を高めて相手国の発動を抑止することが重要になる。②では相手国にとり「不可欠な存在」になることが重要になる。わが国の安全保障法制(2022年5月成立)は(a)重要物資の安定供給の確保、(b)基幹インフラサービスの安定供給確保、(c)重要技術の開発支援、(d)特許出願の非公開という4本柱からなるが、このうち(a)と(c)における「重要性」は自律性と不可欠性から判断される。
③ 自由貿易交渉の停滞
WTO体制下で始まったドーハ・ラウンド(2001年開始)が終結を見通せないまま「停滞」している。各国がこれに代えて二国間・多国間協定(EPA/FTA)に取り組むようになり、WTOラウンドの優先度が下がり、交渉を停滞させるという悪循環に陥っている。また、米中対立に見られる保護主義的措置や「非公式に」実行される経済的威圧を食い止めようとしても、紛争解決者としてのWTOが機能していない33。
(3) 企業のグローバリゼーションの行方
企業がその事業をグローバルに展開する際に、これまで専ら「経済合理性」に基づいて判断すれば足りたが、今日ではそれ以外の判断要素(地政学リスクなど)が加わっており、判断の難易度が従来より上がったのは確かである。しかし、国際的な競争を考えると、グローバル展開の手を緩めるという選択肢は企業になく、今後も「進展」が継続するであろう。
3.経済のグローバリゼーション
世界恐慌期に構築されたブロック経済体制34を打破する「自由貿易体制」は国民経済相互の連関性を高めた(経済の国際化)。加えて、経済活動を支える要素(ヒト、モノ、カネ)が国境を越えて移動する時間(即時あるいは極めて短時間)と領域(中国の自由貿易体制への組入れ)が変化してその連関性は世界中に広がった(経済のグローバリゼーション)。ところが近年、ブロック経済体制の再来が懸念されている。
(1) 経済のグローバリゼーションの進展
ヒト、モノ、カネの国境を越えた移動(経済活動)は、かつては移動元と移動先という二国間の(国民)経済の連関性を高めたが、そうした活動が世界中にネットワークのように張り巡らされて多国間の連関性を高めている(国民経済の相互関係)。こうしたグローバリゼーションは世界経済を成長させたが、その成果は各国間あるいは国民間に均霑されるとは限らない。負の側面として「較差」が議論されている。
① 国民経済の相互関係
経済産業省「通商白書2020」に依拠して「国民経済相互の連関性の進展」を概観する。先ずグローバリゼーション以前の世界において「世界経済はいわば地域単位の経済のかたまりであった」(261頁)とする。続いて1990年頃の情報通信技術の発展により「途上国全体に経済発展の波及効果が見られ、『大いなる収斂』ともいわれるほどの広範な現象となった」(264頁)とする。更に世界の貿易量の拡大に触れた上で、経済の規模拡大を含む「貿易による便益」を理論的・実証的に説明する経済学上の見解を紹介している(272頁)。
「経済のグローバリゼーションの進展」は経済危機においても観察される。タイの通貨切下げに端を発したアジア通貨危機(1997年)は、それまでの波及範囲を大きく越えてロシア財政危機(1998年)など世界的に波及した35。また、米国サブプライムローンという局地的な問題が世界金融危機(2008年)、欧州債務危機(2009年)など世界的な危機をもたらした36。
② 国民経済の内部関係
グローバリゼーションが所得較差を広げているという議論37がある。これについて、国際機関による実証分析を概観した上で「格差の拡大においては技術進歩が中心的な役割を担っており、総じてみれば、グローバル化(貿易及び直接投資等の自由化)の進展はその主因ではない」とする見解38、「グローバリゼーションは高所得国では格差を拡大する傾向が強い一方で、途上国では僅かであるが、格差を縮小する傾向があるというように影響が異なる」とする見解39などがある。しかし、較差拡大をグローバリゼーションの責めに帰する論調が世間的には強い。これが「反グローバリズム」を生み出している(下記4参照)。
(2) ブロック経済体制への動き
グローバルな自由貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が停滞する中で、自由貿易を志向する国々は二国間・多国間協定(EPA/FTA)に活路を見出している。当初はブロック経済に繋がるという懸念40もあったが、「自由貿易」の建前は現在でも維持されている。しかし、近年優先度が急上昇した「経済安全保障」の分野ではブロック経済に繋がりかねない動きが見られる。米中対立ではヒト、モノ、カネの移動が規制されている41。この流れは欧州にも波及している42。
(3) 経済のグローバリゼーションの行方
ブロック経済体制の打破から始まった「経済のグローバリゼーション」がその再来に脅かされている。しかし、「ブロック経済化」は自国の産業や経済に負荷をかけるだけに、一気に大規模に進めることが困難である。経済活動を支える要素(ヒト、モノ、カネ)が国境を越えて移動することを徐々に制限しているというのが現状であり、その効果が累積して初めて「経済のグローバリゼーション」が「後退」することになる。その意味で現状は「停滞」という言葉で説明するのが良さそうである。
4.政治のグローバリゼーション
経済のグローバリゼーションが進むと経済政策における国際協調(政治の国際化)が必要となる。かつては主要先進国が歩調を合わせれば足りていたが、今日では新興国を仲間に引き入れる必要が生じており、国際政治面でもグローバリゼーションが進んでいる。他方で、経済のグローバリゼーションの負の側面(較差)が政治における「反グローバリズム」の主張を生み出している。
(1) 政治のグローバリゼーションの進展
近年、経済政策における国際協調の範囲を拡大して「グローバルな政策対応」が試みられている。また、世界全体で対処すべき「地球規模問題群」が意識され、政治課題の面での「グローバル化」に繋がっている。議論が終息した「世界政府」は政治の究極の「グローバル化」と言えるが、異なるところから出発した「欧州連合」が政治面での協調を進めている。
① 政策協調におけるグローバル化
経済政策を国際的に調整する場として先進7か国首脳会議(G7)がある。設置の背景には石油危機(1973年)に起因する世界的な不況があった。その後の経済のグローバリゼーションによりG7が世界経済に占める割合が低減(7割→4割)し、G7による協調だけでは追い付かなくなる。その限界が露呈したのが世界金融危機(2008年)であり、20か国首脳会議43(G20)における政策協調が同年から始まった。
② 政策課題におけるグローバル化
国際的な政策協調を必要とする問題(政策課題)も広がっている。環境分野で言えば、1970年代に浮上した酸性雨問題は排出国と周辺国との間で協調すべき政策課題であった。1990年代に大きく進展した温室効果ガス問題は排出国と影響を受ける国が全世界に広がり、正しく「地球規模問題群(グローバルイシュー)」となった。グローバルイシューは、政策課題としては1970年代にも存在していた44が、冷戦終結により副次的課題から優先的課題に浮上した45とされる。いわゆる地球環境問題に加えて、先進国でのコスト削減圧力が貧困国での強制労働に繋がるという人権問題、先進国企業をも巻き込む途上国の政治腐敗問題、健康被害を世界中にまき散らす感染症問題などもグローバルイシューに位置づけられる。
地球規模問題群では「先進的な法制が他国に波及する」というグローバル化の形が見られる。政治腐敗問題では賄賂を受け取った側の国が摘発するという伝統的な法制に加えて賄賂を贈った側の国が摘発するという法制が出現した。米国の海外腐敗行為防止法(1977年)を嚆矢としてOECD外国公務員贈賄防止条約(1999年)、国連腐敗防止条約(2005年)が成立し、各国による法制整備に繋がった。人権問題では先進国企業がコスト削減に取り組むとバリューチェーンの末端に位置する外国企業で強制労働が起き易くなるため、バリューチェーン全体を調査させる「人権デューディリジェンス」を義務づける法制が出現した。イギリスの現代奴隷法(2015年)を嚆矢として多くの国46が追随している。
③ 欧州連合における政治的統合
第二次大戦後に「世界政府」論が盛んに議論された47。出発点は核戦争の防止であり、各国に主権を残した集団安全保障体制ではそれを防止できない、戦争防止のための権限を国際連合に移すべきであると議論された。しかし朝鮮戦争の終結(1953年)を契機に議論されなくなった。人々に「世界を自らの共同体と捉える」意識が形成されて初めて世界政府を望むようになるという前提条件に無頓着であった48とされる。
一方で、「欧州統合49」は経済統合(関税同盟、単一市場)から始まり政治統合に発展している。EU政府が各国政府に代わって打ち出す「共通政策」は当初の関税に加え、1987年に労働環境、地域開発、研究技術開発、環境の領域に広がった50。共通通貨ユーロの導入に向けて1990年には財政・経済分野の各国政策に対する共通の制約が設定され51、共通外交安全保障政策(1993年)52、統一金融政策(1999年)53が続いた。もっとも、欧州統合においても「共同体」意識が統合に追い付いていない。統合を深化させる条約が何度も各国の国民投票で否決されたこと54がこれを物語る。
(2) 政治のグローバリゼーションの停滞
「反グローバリズム」を掲げる政党・政治家が近年、人々の支持を増やしている。多くの場合、その旗頭として「自国ファースト」というスローガンを用いる。ポピュリスト政党が「自国ファースト」を唱える現象は従来からあったが、近年の特徴は「支持の広がり」にある。そうした事例は米国55、ポーランド56、ブルガリ57ア、カナダ58、オーストラリア59などで見られる。これらの事例では自国民や国内産業の優先、移民排斥、反EUの文脈で「自国ファースト」が主張されている。「自国ファースト」を支持する裏側には「共同体」意識(国民という意識はあるがEU市民という意識はない)という現実が見え隠れする。なお、反グローバリズムの主張はグローバリゼーションの負の側面(特に較差問題)を非難するが、問題の全てをグローバル化の責任に帰することはできない(上記3(1)②参照)。
反グローバリズムの動きは国際政治に影を落としている。国際協調の場での対立を表面化させないためにG7では2025年から2年連続で首脳宣言を見送り60、G20では2025年11月に米国抜きで首脳宣言を採択している61。グローバルイシューでも米国がパリ協定から脱退する62(2026年)という停滞の動きに繋がっている。反EUの主張は欧州委員会による先進的な取組みを停滞させている。持続可能性に関する企業情報の開示では2025年2月に義務化の延期が行われ63、ガソリン等で動く自動車の新車販売停止についても同年12月に撤回案が発表された64。
(3) 政治のグローバリゼーションの行方
グローバルな政策協調から始まった「政治のグローバリゼーション」は政策課題のグローバル化や地域統合の深化に広がった。他方で、較差問題に端を発する「反グローバリズム」の動きが目立っている。こうした「反グローバリズム」や「反EU」といった主張の背景には、人々の政治意識(どこまでを自分たちの共同体として捉えるのか)が潜んでいる。そこが変わらない限り、「政治のグローバリゼーション」は「停滞」ないし「後退」を余儀なくされるように思われる。もっとも、反グローバリズムの矛先はグローバリゼーションの負の側面(特に較差の拡大)に向けられており、「グローバリゼーションの成果をいかに均霑するか」という新たな政策課題がグローバルイシューに加わったという逆説的な評価も可能である。
5.グローバリゼーションの行方
いわゆるグローバリゼーションについて企業、経済、政治の3分野に分けて概観した。企業のグローバリゼーションにあっては経営判断が複雑化しているものの「後退」という選択肢はない。経済のグローバリゼーションにあってはブロック経済の再来が懸念されるものの「後退」には至っていない。他方で政治のグローバリゼーションにあっては「反グローバリズム」という逆風が強く吹いている。逆風の根源には人々の政治意識(帰属意識)が潜んでおり、そこが変わらない限り、政治面でのグローバリゼーションは「停滞」が見込まれる。
- 日本経済新聞「衆院選、海外メディア分析」(2026/01/29)は「多くの伝統的な自民支持者が反グローバリズムなどを掲げる新興の第三政党に流れている」という米AP通信の分析に言及している。
- 板木雅彦「グローバリゼーション:分析概念としての再検討」(国際経済77号、2025/11)1頁、遠藤誠治「グローバリゼーションの政治学的分析に向けて」(国際政治128号、2001/10)30頁など
- 遠藤誠治論文[2001]30頁
- 鈴木一人「ボーダーフルな世界で生まれるボーダーレスな現象」(国際政治162号、2010/12)10頁
- 芹田健太郎「グローバリゼーションの国際法秩序形成に及ぼす影響」(世界法年報24号、2005/03)141頁
- グローバル市場では金融分野が先行する。翁邦雄・白川方明・白塚重典「金融市場のグローバル化」(日本銀行金融研究、1999/08)55頁はグローバリゼーションを「各国の市場が一体となって一つの市場を形成すること」と説明する。
- 経済産業省「保護主義の歴史とそれを乗り越え進展した自由貿易」(通商白書2019)184頁など
- 隅山正敏「経済安全保障をどう捉えるか」(SIP Report No.86、2025/03)8頁以下
- WTO紛争解決機関(DSB)において最終決定を担う上級委員について2017年6月以降、後任者の選任手続の開始決定がなされない一方で既存委員の任期満了が続き、2019年12月に定足数を割り、2020年11月に空席となっている。邵洪範「WTO上級委員会の機能不全と今後の展望」(国際法学会、2021/01)など
- 自由貿易体制の起点となった1941年の英米交渉において米国は「英国連邦経済ブロックの解体」を目標とした。北村朋史「WTOの危機論」(世界法年報44号、2025/03)など
- 内閣府「金融危機の国際的波及:歴史的経験とメカニズム」(経済財政白書2009)141頁など
- 岩田健治「世界金融危機とEU金融システム」(日本EU学会年報30号、2010/04)47頁など
- 浦田秀次郎「グローバリゼーションと所得格差」(国際経済60号、2009/07)90頁など
- 内閣府「グローバル化と格差の理論」(世界経済の潮流2017Ⅰ)
- 浦田論文[2009]105頁
- 伊藤元重「なぜTPPなのか:国際通商システムの視点から考える」(NIRAオピニオンペーパー、2012/01)は「地域経済連携を深めていくと(略)ブロック経済化するという懸念」を取り上げて「当面のところ、その心配はないようだ」とする。
- 米国の措置はビザ発給制限・技術移転禁止(ヒトの移動)、関税賦課・輸出入制限(モノの移動)、自国向けと相手国向けの投資制限(カネの移動)という形で「国境を越える移動」を制限している。
- EUでは中国の過剰生産問題に対処するアンチダンピング規則(2017/12改正)、経済的威圧を抑止する反威圧措置規則(2023/10採択)、安全保障上の脅威となる企業買収を阻止する外国補助金規則(2022/11採択)や海外直接投資審査規則(2019/03採択)などを整備している。
- 杉之原真子「G20の参加国選定プロセスから見るグローバルガバナンスの現状」(フェリス女学院大学国際交流研究20号、2018/03)
- ローマクラブ「成長の限界」(1972年)など
- 古城佳子「グローバリゼーションの何が問題か」(世界法年報24号、2005/03)11頁など
- フランス企業注意義務法(2017/03)、豪現代奴隷法(2018/12)、独サプライチェーン精査法(2021/06)など
- 加藤俊作「運動としての世界連邦論」(平和研究28号、2003/11)は草の根運動から世界的運動への発展を概観する。
- 松井芳郎「グローバリゼーションの時代における世界政府の思想」(世界法年報30号、2011/03)115頁など
- 経済統合にあっては欧州石炭鉄鋼共同体(1952/07発足)に始まり、関税同盟(1968/07)、市場統合(単一欧州議定書、1987/07発効)と進んだ。政治統合にあってはマーストリヒト条約(1993/11発効)に始まり、アムステルダム条約(1999/05発効)、ニース条約(2003/02発効)、リスボン条約(2009/12発効)と深化させた。EU MAG「EUの条約について教えてください」(2020/02)。
- 単一欧州議定書は欧州共同体の権限拡大も定める。EU MAG「発効30周年を迎えた単一欧州議定書」(2017/10)など。
- 羽森直子「EU通貨統合の歴史的背景」(流通科学大学論集17巻2号、2009/01)129頁など
- マーストリヒト条約の第2の柱が共通外交・安全保障政策である。またユーロ導入に向けた「経済通貨同盟」を実現する手順も定める。EU MAG「EUの条約」(2020/02)など。
- 欧州中央銀行が統一的金融政策を実行する。羽森論文[2009]129頁など
- 政治統合の試みであった欧州憲法条約(2004調印)はフランスとオランダの国民投票により否決され廃案となった。その後継となるリスボン条約もアイルランド国民投票で否決され、再投票を実施して発効に漕ぎ着けた。福田耕治「リスボン条約に至る機構改革と民主的正統性」(日本EU学会年報31号、2011/04)44-46頁。
- 米国では「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ氏が2016年と2024年の大統領選を制した。「不法移民に奪われた雇用を取り戻す」という主張では自国国民の優先という文脈で移民排斥を訴えている。また「貿易・投資協定は米国経済の成長、貿易収支の改善、米国製造業の強化に資するものであるべきだ」(大統領令13796号)という主張では自国産業の優先というスタンスで通商政策を決定することを訴えている。
- ポーランドでは「ポーランド・ファースト」を主張するナブロツキ氏が2025年大統領選を制した。その就任式スピーチでは「主権国家としてのポーランドを望む人々の声となる」「EUがポーランドの意思決定権限を奪うことには決して同意しない」と述べてEUへの懐疑的な姿勢を見せた(JETRO「ポーランド、カロル・ナブロツキ大統領が就任」2025/08/14)。その公約では「EU移民協定の廃止」を掲げている。
- ブルガリアでは「ブルガリア・ファースト」を主張する政党「リバイバル」が3度の総選挙(2023/04、2024/06、2024/10)で第3党の地位を維持した。同党は親ロシア、反EU、反NATOを主張している。直近総選挙(2026/04)では議席の60%を失い第5党に転落した。
- カナダでは「カナダ・ファースト」を主張する政党「保守党」が二大政党の一角を占める。同党は①産業と雇用の保護(製造業の国内回帰など)、②国境管理の強化(入国管理・犯罪対策の強化など)、③経済の自立(米国依存からの脱却)を主張している。
- オーストラリアでは「オーストラリア・ファースト」を主張する「ワンネーション」が2026/07世論調査で支持率が与党と並んだ。同党は住宅不足、生活費高騰の原因が移民にあるとして移民制限政策を主張している。
- 日本経済新聞「G7首脳宣言見送りで調整、2年連続」(2026/05/24)など
- 日本経済新聞「G20首脳宣言、米国抜きで採択」(2025/11/22)など
- 日本経済新聞「米国がパリ協定再離脱」(2026/01/27)など
- 日本経済新聞「EU、環境・人権対策の規制緩和」(2025/02/28)など
- 日本経済新聞「EU、エンジン車禁止撤回」(2025/12/17)など
Ⅳ.企業は株主のものなのか
「企業は誰のものか」と問われれば多くの人は「企業は株主のものである」と答えるであろう。しかしわが国でこうした「問いかけ」がなされるようになったのは1990年代以降に過ぎない。「問いかけ」も「回答」もない時代が長らく続いていたことになる。1990年代に「企業は株主のものである」という模範回答が世に出回り、逆に近年には「株主第一の見直し」65が報じられている。
1.企業は誰のものかという議論
「企業は△△のものである」というロジックは別の主張を正当化するために用いられることが多い。何らかの主張をするために「企業は誰のものか」という問いかけから議論を始めるということである。しかも、主張したい内容は時代とともに変遷している。
(1) 株主以外の関係者
「企業は誰のものか」と問われた際の回答の候補者は「株主」だけでない。株主は企業(正確には株式会社)に資金を提供して株主権を行使する存在であり、「法的な所有者」だと言われる66ことが多いものの、法令上明確に規定されている訳でない。株価が上がれば保有株式を売却する投資目的の株主も多く、そうした人々は「企業を所有する」意識に乏しい。次なる候補者は「経営者」である。彼らは現実に企業を運営しており、企業の命運を握っているといっても過言でない。「従業員」67は、企業に「雇われている」存在だが、企業の事業展開を実際に担っており、「自分の会社である」という帰属意識を持つことも多い。企業の外側にも候補者は存在し、取引関係で結ばれる原材料供給者や製品購入者、地理的関係で結ばれる事業所・工場などの周辺住民などの利害関係者(ステークホルダー)が存在する。
(2) 株主のものであるという主張
「企業は株主のものである」という見方を起点とする主張には様々なものがある。
最初の主張は1930年代に遡る。企業が巨大化したことにより、経営の担い手が創業者から専門家(経営者)に代わり、資金拠出の担い手も創業者から個人を含む多数の投資家に代わった(所有と経営の分離68)。大株主が不在となり、その経営監視機能が低下して、経営者が独善的に企業を経営する傾向が強まった。そうした経営者を戒めるために「企業は株主のものである」という見方が強調された。
1970年代に不祥事が多発してその防止策に関する議論が盛んになった。経営者の独走が不祥事を招いたという反省に基づき、取締役会は経営者を監視(モニター)する機能を重視すべきだという主張(モニタリング・モデル69)が多くの支持を受けた。その際も「企業は株主のものである」「取締役は株主の負託を受けている」という見方を起点としてモデルの正当化が行われた。
1980年代に企業買収(M&A)が盛んになると、企業の成長に無関心な買収者や自らの保身に汲々とする経営者といったM&Aの負の側面も明らかになった70。例えば、相手企業の資産を担保に調達した資金により実行される買収(LBO)にあっては、買収された企業が買収資金返済という重荷を背負わせられる。また、買収者を躊躇させる目的で導入した「高額な役員退職金」を受け取り、早々に戦線を離脱する経営者が目立つようになった。そこで、企業買収に賛同するか否か、買収防衛策を導入すべきか否かという株主の判断に際して「企業は(全ての)株主のものである」「株主の共通利益は企業価値である」という視点を貫くべきであるという主張がなされた。
(3) 利害関係者のものであるという主張
「企業は社会の公器(広く利害関係者のもの)である」という主張も古くからなされている。上述の「所有と経営の分離」に関する議論と同時期である1930年代に「経営者は株主に対する義務のみならず広く利害関係者に対する義務を負う」という主張71が米国でなされている。この主張を先駆けとして2000年代に欧州を中心として「企業の社会的責任(CSR)」論が盛り上がった。そこでは「企業は社会のものである」という考え方が前提となっている。もっとも、そこでの問いかけは「企業は誰のためのものか」に変質している。
(4) わが国における動向
わが国では1950年代から「企業は社会の公器である」(松下幸之助、1955年発言72)という考え方が提示されている。また、「企業は経営者と従業員を中心とする運命共同体」73という捉え方も根強い。「企業は誰のものか」という投げかけから始める議論も存在する。最初は個人投資家ピケンズ氏による小糸製作所株式の取得(1989~1991年)が契機となり、例えば雑誌「組織科学」は1993年4月号において特集を組んだ。続いて2000年代に「企業の社会的責任(CSR)」論がブームとなり、それを正当化するロジックとして「企業は誰のものか」が議論された。そしてライブドアが2005年にニッポン放送株式を大量取得した際にも「企業は誰のものか」と題する書籍が複数出版された74。
2.新たな企業観の登場
近年、「企業は株主のものである」という見方が弊害をもたらしていると批判する動きが生じている。弊害として指摘されるのが「経営者による株主重視経営の行き過ぎ」である。株主還元を重視し過ぎて短期的な成果を追い求める経営に陥っている、従業員還元を疎かにし経済較差を広げている、株主利益に直結しない投資を怠り地球温暖化や自然破壊を加速しているといった批判である。
(1) ステークホルダー資本主義
株主利益を重視する「株主資本主義」に対して批判が広がる中、資本主義の再構築に関する議論が活発になっている75。学界ではフリーマン76(1997)が利害関係者の利益をも考慮した経営を求めるステークホルダー資本主義を提唱し、ヘンダーソン77(2020)が企業の存在意義と社会との共通価値に着目した資本主義の再構築を主張している。産業界では米国の経済団体ラウンドテーブルが2019年8月に「企業の存在意義に関する声明78」を発表し、企業はその成功のために全ての利害関係者に価値を提供するようになるという見通しを示した。また、世界経済フォーラムは2019年12月に「ダボス・マニフェスト:第四次産業革命における企業の普遍的存在意義79」を発表し、企業はその価値創造において株主に仕えるのみならず従業員、顧客、納入業者、地域社会、社会全体に仕えるようになると見通した。
(2) 企業価値に関心のない株主
株主の中には投資収益に重点を置いて「株主共通の利益(企業価値)」に関心のない者が混在する。企業を買収すべく株主の列に加わる者(買収者)の中にも「その企業の成長」を目指さない者80が混在する。こうした「企業価値に関心のない株主」に関する動向を概観する。
わが国では「個人や団体の特定の思想や主義を主張する目的81」のために株主となった上で、他の株主の支持を得る見通しのないまま株主提案権を行使するケースが問題になっている。その行使要件の厳格化に向けて自民党プロジェクトチームが2026年7月に提言82をまとめ、法制審議会の部会83が要綱案をとりまとめる段階に進んでいる。
企業買収の局面でも買収提案を受けた企業が「株主を過度に忖度して」高値提案を受け容れる危険性が議論されている。特にLBOを用いた買収にあっては、対象企業が安易に買収に応じてLBO資金の返済に苦しみ、却って企業価値を毀損する事態が懸念されている。経済産業省の研究会84が検討を進めている。
3.企業観の行方
「企業は株主のものである」というロジックは、経営者に「株主重視経営」を求める局面、買収者が自ら仕掛ける買収を正当化する局面、買収提案を受けた企業の株主が企業買収や買収防衛策の是非を判断する局面で使われてきた。そこでは「企業は株主のものである」という見方を結論に据える訳でなく、別の主張を正当化する根拠として持ち出されている。近年は、「株主重視」を刷り込まれ過ぎた経営者の「行き過ぎ」が懸念されている。また「企業は株主のものである」という見方は必ずしも排他的でなく、「企業は経営者が支配している」「企業は従業員が支えている」「企業は利害関係者のために存在する」などの見方とも「両立」し得る。「企業は株主のものである」という常識に過度に囚われる必要はなさそうである。
- 日本経済新聞「米経済界、株主第一を見直し」(2019/08/20)など
- 勝部伸夫「企業買収と企業観」(長崎県立大学論集55巻4号、2022/03)23頁など
- 伊丹敬之「会社は誰のものか」(組織科学26巻4号、1993/04)は「企業にコミットし大きな貢献をするコア従業員こそ主権者に相応しいと考える」(27頁)と、西山忠範「持分の保有と組織の管理」(同)は「現代日本企業を支配しているのは労働者としての経営者であり、企業とくに巨大企業は『資本家の集団』ではなく『労働者の集団』への革命的な変容を遂げてしまっている」(15頁)とする。
- A.A. Berle & G.C. Means, “The Modern Corporation & Private Property,” 1932
- M.A. Eisenberg, “Legal Models of Management Structure in the Modern Corporation,”, California Law Review, Vol. 63, No. 2, 1975
- 田村俊夫「スチュワードシップは成長を促進するか」(資本市場リサーチ32号、2014/07)144頁など
- E.M. Dodd, “For Whom Are Corporate Managers Trustees?” Harvard L. Review 1145, 1932
- 論叢松下幸之助16号(2011/04)94頁
- 勝部伸夫「企業買収と企業観」(長崎県立大学論集55巻4号、2022/03)26頁など
- 大賀祥充「会社は誰のものか考」(慶應大学法學研究82巻12号、2009/12)314頁など
- 出見世信之「資本主義の再構築と企業経営」(明治大学商学論叢103巻2号、2021/07)26頁以下
- R.E. Freeman, “Business Ethics,” 1997
- R. Henderson, “Reimaging Capitalism in a World on Fire,” 2020
- Business Roundtable, “Statement on the Purpose of a Corporation,” 2019/08
- World Economic Forum, “Davos Manifesto 2020: The Universal Purpose of a Company In The Fourth Industrial Revolution,” 2019/12
- 裁判所は①相手企業を経営する意思がなく買い集めた株式を高値で買い戻させる(グリーンメーラー)、②経営を支配して重要な経営資源を自社に移譲させる(焦土化経営)、③経営を支配して相手企業の資産を流用するといった事例を列挙する。ライブドア対ニッポン放送事件2005年3月23日東京高裁判決。
- 経営法友会会社法研究会「会社法改正に関する提言」(2024/09)7頁
- 朝日新聞「株主提案権の厳格化求める」2026/07/17
- 法務省・法制審議会会社法制(株式・株主総会等関係)部会
- 経済産業省・公正な買収の在り方に関する研究会
Ⅴ.企業は競争すべきか
「企業は競争すべきである」という言葉に反対する人は少ないであろう。消費者から見ると、企業が価格競争を行えばより安い商品・サービスを享受し、品質競争を行えばより高品質の商品・サービスを享受する。企業から見ても、競争に勝つための創意工夫が画期的な商品・サービスの開発(イノベーション)をもたらす。しかし、政府のスタンスを見ると、ある時には競争促進に舵を切り、別の時には競争制限に傾く85といったように「ブレ」がある。また近年、「競争のない世界」が登場している。
1.競争制限と競争促進の間で揺れる政府
アダム・スミス「国富論」(1776年)に端を発する自由放任主義は企業間競争に政府が介入することに否定的である。これに反して政府介入により企業間競争を促進する法制が19世紀末に登場した。米国のシャーマン法である。石油、鉄鋼、鉄道などの分野で独占企業が誕生し、その専横が批判されていた1890年7月に制定され、独占及び企業間の競争制限の取り決め(カルテル)を禁止した。これら以外の競争制限行為を規制するクレイトン法、連邦取引委員会法と合わせて「競争法」と呼ばれる。それ以外の国は自由放任主義を維持したが、1950年代に相次いで競争法を導入した。因みにわが国独占禁止法は1947年制定である。「競争法」が整備されて「企業は競争すべきである」という常識が定着したが、それはさほど古いものではない。
企業間競争は実は産業振興と相性が悪い。産業規模が小さい段階から過当競争に晒すと一向に規模が大きくならず、国際的競争力を備えた企業の登場を阻害するからである。わが国では第二次大戦後の「復興期」に産業政策を優先し、独占禁止法の「無力化」86がしばらく続いた。しかし1980年代の規制緩和の流れに乗り、1990年代から独占禁止法の運用の積極化が始まった。法制の整備から運用の積極化まで半世紀を要したことになる。
2.競争のない世界の登場
近年、競争を促進したくてもそれができない世界が誕生している。デジタル市場では独占・寡占企業が登場し、追随する企業にとって「歯が立たない」状況になっている。また人口減少の直撃を受ける「地域の基盤サービス」では競争放置により事業者が共倒れして「競争の場」自体が消滅する懸念が生じている。
(1) デジタル独占(勝者総取り)
デジタル市場は、先行する事業者が競争者に追随の余地を残すことなく市場を独占・寡占する傾向(勝者総取り、Winner Take All)にある。例えば、スマホのアプリストアを二分するAppleとGoogle、クラウドサービスを三分するAmazon、Microsoft、Googleである。こうした状況にあっても「競争法」が無力になることはなく、競争制限行為に対する摘発は続く。しかし、その後の争訟までを勘案すると「かなりの時間」を要し、変化の激しいデジタル市場に適合していない。そこで、EUのデジタル市場法(2022年制定)、わが国のスマホソフト競争促進法(2024年制定)など「新たな競争法」が投入されている。
新たな競争法では①新規参入の環境を整えて競争を生み出す、②市場支配企業による競争制限行為を規制するという2つのアプローチがとられている。「競争のある世界」を生み出すのは①だが、アプリストアでは新規参入者の苦戦87が伝えられている。競争法だけでは独占・寡占に伴う「弊害」(②)を除去できても独占・寡占という「市場構造」そのもの(①)を変えられないということであろう。なお、EU法では市場支配企業との対話を通じて具体的な規制内容を定めるという新たなアプローチ88が追加されている。不当な行為を法令で列挙して取り締まるという従来の対応に比べて「柔軟性」に特徴があり、①と②の狭間に起きる問題に対処できる可能性がある。
(2) 担い手のいない市場
市場によっては、競争状態を放置すると事業者が共倒れして「誰もいない」状態(競争の場の消滅)に移行する。人口の減少に直面するわが国では、減少率の高い「地方」とそこを拠点として地域住民の生活を支える「基盤サービス」がその直撃を受ける。そうした「基盤サービス」に当たる路線バス事業と地域銀行を対象とする独占禁止法特例法89が2020年5月に制定された。規制省庁の認可を受けて行う合併、共同経営などについて独占禁止法の適用を10年間免除する内容になっている。
競争法の厳格な適用を継続すれば「競争の場」そのものが消滅してしまうという「未来」を見越して法令適用の手綱を緩めると位置づけられよう。
(3) 競争より優先すべき利益
企業買収(M&A)は事業者の減少(競争の低下)を伴うために競争法の適用を受ける。もっとも実際の審査では企業買収のもたらす競争制限効果と競争促進効果を比較して承認の可否を判断している。公正取引委員会は2026年7月、企業結合ガイドラインの改定案90を発表し、イノベーションの促進や経済安全保障上の対応が競争促進効果として勘案されるという方向性を示した。これについて「競争を阻むM&Aを容認するもの」91と報じられた。「競争すべし」という考え方より優先すべき「利益(国益)」があることになる。
3.企業競争の行方
「企業は競争すべきである」という「常識」はわが国では1990年代に浸透した比較的新しいものである。しかし「競争をしたくてもできない世界」が登場している。市場立上げの当初からそこを支配する企業が生まれ、いくら新規参入を促して「競争のある世界」を目指そうとしても「支配企業」に歯が立たない状況が生まれている。また、競争をさせれば「担い手がいなくなる」市場や、競争より優先すべき利益(経済安全保障など)も出現している。従来の常識が塗り変わる訳でないが、競争だけでは解決できない領域が生じていると認識することも必要であろう。
- 日本経済新聞「地銀再編、10年で集中支援、成長戦略案」(2019/06/06)など
- 金井貴嗣「独占禁止法50年:回顧と今後の課題」(日本経済法学会年報18号、1997/09)96頁
- 日本経済新聞「米エピックゲームズのアプリストア、日本勢参加ゼロ」2026/05/02など
- スマホに接続する機器やそこで機能するアプリはスマホOSに接続して初めて機能を発揮する。この相互運用性の問題で欧州委員会は当事企業と協議した上で履行すべき義務の内容を決定した。European Commission, “Commission provides guidance under Digital Markets Act to facilitate development of innovative products on Apple’s platforms,” 2025/03/19。
- 栗田誠「地域経済を巡る経済法・独占禁止法の課題」(白鴎法学30巻3号、2024/09)など
- 公正取引委員会「企業結合審査に関する独占禁止法の運用指針改定案に対する意見募集」2026/07/17
- 日本経済新聞「競争阻むM&A、条件付で容認」2026/07/18など
Ⅵ.わが国は非移民国なのか
わが国では「移民政策はとらない」という政府見解92がある一方で、わが国に居住する外国人が増え続けていると報じられている93。額面どおりに受け取れば「移民はいないが在留外国人はいる」という矛盾とも言える状況になる。この状況の下では誰もが共有するような「常識」は当然に形成されない。最初に「矛盾」について整理し、続いて「外国人居住者が増えている」状況を制度面から確認し、最後に「常識がない状況」において生じたものを見てみる。
1.移民と居住外国人との関係
「移民政策をとってないが居住する外国人は多い」という「矛盾」を理解するためには関連する概念を整理する必要がある。特に「外国人(単純)労働者を受け入れない」という政府見解をもって「移民を受け入れない」という宣言であると捉えるなど、すれ違った議論が散見される。そこで、政府の政策や見解における整理を(是非を別にして)概観する。
(1) 移民
「移民」に関する政府見解は特定技能制度(後記2(2)②参照)創設に動き出した2018年に示された。政府見解は「移民を受け入れない」でなく「移民政策をとらない」という言い方を採用している。そこで言う「移民政策」とは外国人を大規模に受け入れて国家を維持する政策だとされる94。また、自民党は「移民とは入国の時点でいわゆる永住権を有する者である」という見解95をとっており、いつかは母国に帰る外国人は「移民」に該当しないことになる。
(2) 外国人労働者
「移民」と混同され易い概念として「外国人労働者」がある。第一次雇用対策基本計画(1967年)を閣議決定する際に「外国人労働力は現段階では受け入れない」という労働大臣の発言が閣議了解96とされ、第六次計画(1988年)では計画本文に盛り込まれた。第六次計画では「高度人材」と「単純労働者」とを区分し、前者については「可能な限り受け入れる方向」とする一方、後者については「慎重に対応する」と書き分けられた97。こうした「外国人労働者」は実質的に「移民」であるという主張98が散見されるが、それでは移民でないという政府見解とすれ違ってしまう。なお、海外では外国人労働者について「社会保障制度への悪影響」を問題視する声が強い99が、わが国制度においては「内外平等処遇」がほぼ貫かれている100。
(3) 永住外国人
わが国に居住する外国人は、①わが国に滞在する期間(在留期間)、②滞在の目的(在留資格)により分類される。①に着目して「母国に帰らない外国人」と「いつかは母国に帰る外国人」とに分けてみると、前者が在留資格としての「永住者」や政府見解における「移民」に近い概念である。なお、永住資格は一定の在留期間を経て取得するもので、最初の入国の段階で「永住者=移民」になることはほぼ不可能である。②のうち「就労目的」で来日して最初の「就労先」が決まっている者が「外国人労働者」になる。以上のように整理すると、(a)移民政策をとらなくても在日外国人がいて不思議はない、(b)外国人労働者を受け入れても移民政策をとったことにはならないというロジックが成立する。
2.外国人受入政策の状況
国家は外国人を受け入れる義務を負うものでなく、自国内に受け入れるかどうか、受け入れる場合にいかなる条件を付するかを自由に決定することができるというのが国際慣習法上の整理である101。ここを出発点として確認した上で、海外でも一般的な入国管理制度についてわが国の制度を概観する。また、そこから外国人労働者受入制度を抜き出して制度の変遷を概観する。
(1) 入国管理制度
外国人がわが国に入国しようとするときは審査を受けて入国許可を得る必要がある。その許可条件として「在留資格」が割り当てられる。逆に言えば「在留資格」として認められていない条件でわが国に入国することはできない。「在留資格」は29種類あり102、居住資格4種類(永住者などで就労制限はない)、就労資格19種類、非就労資格5種類、その他1種類(特定活動)に分かれる。また留学生によるアルバイトなどは「資格外活動」(許可制)として認められる。これらの在留資格を取得して実際に就労している人が「外国人労働者」となる。各資格には「在留期間」(無制限もある)が定められており、延長するには「更新手続」が必要になる。
(2) 外国人労働者受入制度
外国人労働者、すなわち外国人であってわが国に居住して労働に従事する者は、「在留資格」を取得し、その範囲内で就労する必要がある。わが国では、高度成長期以来、人手不足が高まる度に産業界から「外国人労働者の受入」を求める声が上がり、政府が「外国人労働者を受け入れない」という見解を表明してこれを拒否する(上記1(2)参照)という状況が1990年代に入るまで続いた。1990年代に入り「母国に戻る」前提の技能実習制度が、さらに2018年に「日本に招致する」前提の特定技能制度がそれぞれ導入された。
① 技能実習制度
技能実習制度は企業の実務慣行から始まった。「海外進出した日系企業が現地法人や取引関係にある企業の社員を日本に招致し、技術・技能・知識を国内で習得させた後、現地に戻って活躍することを期待して行ったのが始まり」103とされる。1993年4月の法務省告示により正規の制度として導入された技能実習制度は、労働力として転用されないよう「労働者でない」という建前がとられた。しかし趣旨に反する受入れが見られるようになり、いくつかの改善がなされた後、その集大成として技能実習法が2016年11月に制定された104。なお、2027年4月から「育成就労制度」に移行する。
② 特定技能制度
「母国に戻る」ことを前提とする技能実習制度に対し、特定技能制度は「外国人を(わが国の労働力として)受け入れていく105」ものである。その導入の際には「移民」との異同が大きく議論された。2018年12月に制定された改正入管法に基づく特定技能制度は、技能実習修了者(日本滞在3~5年)及び日本語試験・技能試験の合格者に対して在留資格「特定技能」を付与するというものである106。そこでは在留期間という制限(いずれ母国に戻ることを意味する)が残されている。
3.わが国の外国人政策の位置づけ
政府は「わが国は移民政策をとらない」という公式見解を繰り返している。そこでの「移民」は「母国に帰らない前提の外国人」という意味合いであろう。もっとも制度上、最初にわが国に入国したときから「母国に帰らない=わが国に永住する」という資格を取得することはほぼ認められない。一方「いつかは母国に帰る前提の外国人」を労働者として受け入れる制度を整備しており、結果として「わが国に居住する外国人」が増えている。もちろん「いつかは母国に帰る前提」といっても「永住」に切り替えるケースやそのままわが国に居座るケースが生じ得る。前者にあっては「大規模に受け入れない」という説明が、後者にあっては「不法在留」として取り締っているという説明がなされるのであろう。
整理としては以上のようになろうが、説明を補足することなく議論が噛み合わない状況を作り出したことは否めない。その結果として長らく放置されてきた「外国人受入政策」の検討107が最近、始まった。
- 日本経済新聞「首相、移民政策を否定、衆院代表質問」2018/10/29など
- 日本経済新聞「日本人1億2000万人割れ、42年ぶり、外国人は最多400万人」2026/07/30など
- 第196回国会国家基本政策委員会合同審査会(2018/06/27)において安倍首相は「国民の人口に比して一定程度のスケールの外国人及びその家族を期限を設けることなく受け入れることによって国家を維持していこうとする政策」と説明する。
- 自由民主党政務調査会労働力確保に関する特命委員会資料「共生の時代に向けた外国人労働者受入れの基本的考え方」(2016/05/24)
- 清水隆雄「外国人政策の変遷と各種提言」(国会図書館『人口減少社会の外国人問題』、2008/01)34頁
- 渡邊博顕「日本における外国人労働者雇用の現状と課題」(労働政策研究研修機構第28回労働政策フォーラム、2008/01)
- 上林千恵子「外国人技能実習制度成立の経緯と2009年の転換点の意味づけ」(移民政策研究10号、2018/05)44頁など
- 山口綾子「欧州の難民受け入れ問題」(国際通貨研究所、2016/09)9頁はEU離脱に関するイギリス国民投票の際に「難民・移民に対する社会保障支出の増大」が論点であったことを指摘する。
- 嵩さやか「外国人労働者と社会保障制度の課題」(日本労働研究雑誌744号、2022/07)。なお渡航の目的や滞在期間を偽って健康保険制度に加入し医療を受診するという「不正受給」などの個別の問題は残されている。
- 1978/10/04最高裁大法廷判決
- 出入国管理庁「在留資格一覧表」
- 福山宏・橋本由紀「外国人研修・技能実習制度の政策史」(産業政策研究所、2023/09)
- 上林千恵子「外国人技能実習制度成立の経緯と2009年の転換点の意味づけ」(移民政策研究10号、2018/05)など
- 閣議決定「特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針及び育成就労の適正な実施及び育成就労外国人の保護に関する基本方針」(2025/03/11)2頁
- 上林千恵子「特定技能制度の性格とその社会的影響」(日本労働研究雑誌715号、2020/01)など
- 日本経済新聞「外国人材受け入れ、どう向き合う、拡大路線を転換へ」2026/01/03など
Ⅶ.おわりに
第Ⅱ章から第Ⅴ章までにおいて4つの「常識」を取り上げてその形成と後退を概観した。「民主主義」にあっては、「民主」そのものでなく主義を支える枠組みに揺らぎが生じている。もっとも、同様のプロセスを経て成立した全体主義も結局は崩壊しており、民主主義の「復元力」までを見据えて「後退」となるか否かを判断すべきであろう。「グローバリゼーション」にあっては、企業活動や国民経済における「後退」は認められず、国際政治においては「民主主義」と同根の脅威である「反グローバリズム」の声が高まっている。もっとも、脅威の背景にある「較差」問題については「グローバリゼーション」より「技術革新」の寄与度が大きいようで、「反グローバリズム」の主張を鵜呑みにするのは危険である。「企業は株主のものである」という常識にあっては「常識の独り歩き」が問題となっている。他にも正解があり得る中で、一つのロジックに固執する危険性を教えてくれる。「企業は競争すべきである」という常識にあっては、その常識が通用しない世界が出現している。新たに出現した世界では新たな常識が今後、形成されるのであろう。
第Ⅵ章では何が常識なのか分からない状態(常識の欠如)を取り上げた。噛み合った議論がなされないまま放置されてきたためであるが、「常識」がなければ「次の一手」に向けた議論に進まないという問題を明らかにしている。
「常識」は、ある意味でその時代の人々の共通認識と言え、いつまでもそれに囚われると「時代とのずれ」が生じかねない。また、冒頭で触れた「常識」のように、新たな常識が次々と生まれ、いつの間にか人々を「知った気分」にさせる。「常識」を固定的に捉えるのでなく、時代により変わり得るという柔軟な捉え方が必要であろう。
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大芝亮「国際政治理論と現代の国際関係」(国際経済労働研究1128号、2023/03)
岡村美保子「我が国の外国人労働者」(国会図書館レファレンス804号、2018/01)
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経済産業省「サービス貿易」(不公正貿易白書2021、2021/06)
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平篤志「多国籍企業に関する地理学的研究の動向と課題」(地理学評論78巻1号、2005/01)
髙谷幸「外国人労働者から不法滞在者へ」(社会学評論68巻4号、2019/03)
田中友義「欧州の反グローバリズム台頭の背景」(国際貿易と投資105号、2016/09)
田平恵「法と公共政策メジャーへの招待」(埼玉大学社会科学論集163号、2021/03)
津守貴之「グローバル競争戦略論の展開」(九州大学経済学研究56巻3号、1990/12)
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中井遼「排外主義の台頭と日本」(実教出版地歴公民資料102号、2026/04)
中田瑞穂「東中欧における民主主義の後退」(比較政治学会年報22号、2020/10)
中富道隆「WTOなき世界:何が問題なのか」(経済産業研究所、2015/07)
日本証券経済研究所「M&A活動と証券市場」(図説アメリカの証券市場所収、2019/06)
早川智津子「育成就労制度導入の意義と課題」(連合総研レポート414号、2025/12)
平山賢太郎「地方バス・地域銀行特例法」(日本経済法学会年報44号、2023/09)
水島治郎「ポピュリズムと排外主義:グローバルな視点と日本の課題」(連合総研レポート417号、2026/03)
山崎望「自由民主主義対権威主義?」(年報政治学2023年2号、2023/12)
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