クライメイト

気候変動対策へのモチベーションは持続的か(2) ~緩和策に内在する将来課題について~

上席研究員 小林 郁雄

前稿では、温室効果ガス排出削減の努力が今後数十年にわたり必要になる中で、対策の効果が社会全体で実感されない状況が長く続く可能性があり、その要因が緩和策に内在する対策の遅効性と効果の不安定性にあることを指摘した。本稿では、それらの要因が排出削減対策への社会や個人のモチベーションに及ぼす長期的な影響と課題について考察する。

1.はじめに

気候変動の緩和は、温室効果ガス(以下「GHG」という。)の排出を削減して人間活動に起因した地球温暖化やそれに伴う気候変動を抑制する長期の巨大プロジェクトである。成功には高度な進捗管理と社会全体の高いモチベーションが求められる。しかしながら、前稿1のとおり、緩和策には2つの要因(対策の遅効性、効果の不安定性)が内在し、対策の効果を実感できない状況が長く続く可能性が高い。このため、対策へのモチベーションが長期的に低下していくことが懸念される。

本稿では、2℃目標(以下「緩和目標2」という。)を達成するまでの間に気候変動はどのように推移するか?対策の進捗状況の把握はどうなるか?という2つの視点から対策へのモチベーションの将来動向を探る。

2.緩和目標の達成までの間に気候変動はどのように推移するか?

(1) 緩和目標達成プロセスでの気候変動について


前稿のとおり、排出削減対策の実施と効果の発現には大きなタイムラグがある。パリ協定の努力目標である1.5℃目標をほぼ達成可能なシナリオの場合でも世界平均気温の上昇は今世紀半ばまで続く3とされ、緩和目標(2℃目標)の場合は2070年前後まで上昇が続くとみられる4。《図表 1》は将来予測される平均気温を工業化以前との差で表したもので、世界平均気温の上昇ピークを2℃に抑えることに成功した場合でも、北極圏や陸域の平均気温は2℃を大きく超えて上昇することがわかる。《図表2》は極端現象(異常高温、豪雨、干ばつ等)に関する予測結果で、例えば「陸域での極端な高温」の発生頻度は、緩和目標を達成できた場合でも現在に比べて倍増するとみられる。


《図表3》に、世界全体の二酸化炭素排出量の経年変化と、世界平均気温や極端現象の強度・頻度の経年変化を簡略的に示した。緩和目標の達成には、それまでの排出削減量を維持するだけでなく、新たな削減量の上積みが毎年必要になるが、そのような中でも世界平均気温は半世紀近く上昇を続け、極端現象はより強くなり、より頻繁に発生していくことになる。対策の強化にもかかわらず、その効果の実感・体感は叶わぬまま、極端現象の実感・体感が増えていくという状況は、その世代にとって不遇な面がある。そのような時間が50年近くも続くことを、どれだけのステークホルダーが認知し、甘受しているだろうか?また、ステークホルダーがそのような緩和目標達成プロセスのネガティブな面を新たに認知したとき、あるいは対策に長期間取組み続けた上で極端現象による影響を被ったとき、対策へのモチベーションはどのように変化するだろうか?

(2)目標設定理論について

人の認知や行動等とモチベーションとの関わりについては、心理学の分野で数多くの研究が行われ、モチベーション理論と呼ばれるさまざまな理論が構築されている。本稿では、ワークモチベーション以外への適用という観点から目標設定理論5を参考にすることとした。この理論の概要を《図表4》に示す。

以降の考察では、《図表4》のModerators(パフォーマンスやモチベーションに深く関わる変数)のうち、「受容・コミットメント」と「フィードバック」の2つに着目して、対策へのモチベーションの将来動向を探っていく。

(3)「受容・コミットメント」の変化について

ここでは、(1)で示した緩和目標達成プロセスにおけるネガティブな面の認知や極端現象による被害が対策への「受容・コミットメント」に及ぼす影響について考える。

まず言えることは、緩和目標達成プロセスにおけるネガティブな面の認知や極端現象による被害は、政策決定者を除く幅広いステークホルダーに対して、対策を遂行できる、あるいは目標を達成できるという自己効力感を失わせる可能性が高いということである。《図表4》で示したとおり「受容・コミットメント」は自己効力感に影響されるため、自己効力感の喪失に応じて、ステークホルダーの「受容・コミットメント」も全体的に低下していく可能性が高い。

そのほか、緩和目標達成プロセスにおけるネガティブな面の認知や極端現象による被害によって、①対策への理解あるいは納得感、重要性への認知が低下し、そのことによって「受容・コミットメント」が低下する可能性と、②対策の早期実施の重要性が喚起され、そのことによって「受容・コミットメント」が高まるという、相反した2つの可能性が考えられる。この場合、対策への「受容・コミットメント」は、ステークホルダー間のばらつきが拡大していくことになる。なお、上記の①、②の可能性の多寡は、確証バイアス13の存在によって、対策に対するステークホルダーのスタンスに影響されるかもしれない。具体的には、それまで対策に非協力的であった場合はそれまでのスタンスに整合的な①の可能性が高くなり、逆に対策に積極的であった場合には②の可能性が高くなるため、「受容・コミットメント」が長期的に二極化する可能性がある。

3.対策の進捗状況の把握はどのようなものになるか?

気候変動の緩和のような長期の巨大プロジェクトでは、対策の進捗状況の把握とその適切なフィードバックが成否の鍵を握る。対策の進捗状況は、政策決定者にとって対策の評価やその後の対策設計に不可欠な情報であり、それ以外のステークホルダーにとっても対策へのモチベーションに関わる重要な情報になる。ここでは、気候変動緩和策の場合と同様に地球システムの複雑さや自然変動の影響と密接な関係をもつ「オゾン層保護」の例を参考に、対策の進捗状況の把握に関する課題を検証する。

(1)気候変動緩和策の先行例「オゾン層保護」における進捗状況の把握について

オゾン層破壊は気候変動問題に先駆けて顕在化した。主に工業活動からフロン等が排出され(気候変動問題であればGHGの排出に対応)、成層圏に輸送された後に分解されてできた塩素等(大気中のGHG 濃度に対応)がオゾン層を破壊して成層圏等のオゾン量を減少させる(世界平均気温の上昇に対応)問題である。1985年にウィーン条約(気候変動枠組み条約に対応)、1987年にモントリオール議定書(パリ協定に対応)が採択され、特定フロンの生産・消費は規制されている。達成目標はオゾン量を1980年時点の量に回復させることで、その時期は北半球中緯度で2030年代、南半球中緯度で今世紀半ば頃と予測されている14, 15


《図表5》に世界のオゾン全量の変化を示す。オゾン層破壊物質であるフロンの排出量は1980年代後半に減少へと転じ、成層圏のオゾン層破壊物質の量も1990年代前半には減少に転じた。その効果もあってオゾン全量の減少は見られなくなったが、4年ごとの科学アセスメントに「成層圏オゾンの回復が始まっている」16という、オゾン量を回復させる効果が明記されるようになったのは、フロン排出量(GHGの排出量に対応)が減少に転じた1980年代後半から約30年後のことであった。《図表6》にこれまでの科学アセスメントの結果の一部を示す。これらの表現からも対策の進捗状況の科学的な判定の難しさや、それらを遅滞なくフィードバックすることの難しさを窺い知ることができる。

(2)気候変動緩和策の場合に想定される進捗状況の把握について

気候変動緩和策の場合、IPCCの報告書20を参考にすると、排出削減対策の効果が世界平均気温の上昇速度の鈍化という形で現れ、それが自然の変動と明確に区別できるようになるまでに20年近い時間が必要になる21。その間は、対策の進捗状況に関する確定的な情報が十分に得られない中で対策を続けていくことになる。オゾン層保護の例を参考にすれば、科学的に確信度が高く、かつ「世界平均気温の上昇が抑制され始めた」といった明確な情報が得られるようになるまでには更に長い時間を要する可能性もある。対策の進捗状況に関する確定的な情報は、その後も十年単位のタイムラグを伴って事後的に提供されることが想定される。

対策の最終的な成否についても同様で、オゾン層保護の場合の科学アセスメントの経過を踏まえれば、世界平均気温の経年変化が横ばいから下降に転じたという確信度の高い情報が得られるのは、世界平均気温が上昇ピークを迎えるであろう2070年前後よりも大きく遅れ、今世紀末近くになることも覚悟しておく必要がある。その場合、対策の成否に関する確定的な情報が得られないまま、世界全体としてのポストカーボンニュートラルの方向性や対策の追加・変更の必要性を模索し、実行していかざるを得ないことになる。

(3)「受容・コミットメント」、「フィードバック」について

ここでは、(2)で示した対策の進捗状況の把握がモチベーションに深く関わる変数である「受容・コミットメント」、「フィードバック」に及ぼす影響について考察する。

まず、排出削減対策への理解あるいは納得感、前向きな気持ちや決意等を意味する「受容・コミットメント」について考える。(2)のとおり、対策の評価や新たな目標の設定等(例:KPIの達成後に定める次の期間のKPI)は、緩和目標への到達度等に関する確たる情報が得られない中で行われることになる。政策決定者以外のステークホルダーにとって、そのような形で決められた対策や新目標に対する信頼性、理解、納得感の低下は避けられないだろう。このため、対策への「受容・コミットメント」は、対策の見直しや新たなKPI等の設定の度に間欠的に低下していくおそれがある。

次に、「フィードバック」について考える。フィードバックは対策の達成目標に対する進捗状況を明らかにするものである。それがステークホルダーに対して対策の重要性を再認識させる機会となるだけでなく、《図表4》に示したとおり、自己効力感の向上、更にはフィードフォワードとなって取組みの改善等につながる場合は、対策へのモチベーションを高める効果が期待できる。なお、フィードバックに関しては、オゾン層保護の場合と気候変動緩和策の場合の違いに留意する必要がある。オゾン層保護ではフロン類のライフサイクル関係者(フロン類製造者、製品メーカー、管理・回収・破壊業者等)が対策の主体となることで対策の効果がおおむね期待できる。それに対して、緩和策の場合は産業界だけに止まらず、すべてのステークホルダーの行動が温室効果ガスの排出に関わるため、社会全体での取組みが欠かせない。このため、オゾン層保護の場合はフィードバックの主な受け手が政策決定者となり、不確実性を含む解釈の難しい情報であってもフィードバックとしての機能を果たすが、気候変動緩和策では、多様なステークホルダーにとって理解しやすく確信度の高い情報が短いタイムラグで提供されることが重要になる。(2)で示した進捗状況の把握に関する想定から考えると、確信度が高く即時性のある情報が各ステークホルダーにフィードバックされるという状況は、対策の早い段階だけでなく緩和目標達成プロセス全体を通じて想定し難い。以上から、排出削減対策の場合、フィードバックによるモチベーションの向上効果は期待できない。

4.対策へのモチベーションの将来動向と課題

国や地域のような対策を主導する立場の公共セクターの場合、意思決定において論理性や合理性が重視される傾向が強い。このため、対策の必要性が科学的に十分な説得力を持って示される限り、2や3で指摘した問題が対策へのモチベーションに致命的な影響を及ぼすとは考えにくく、モチベーションは長期的に維持される可能性が高い。一方、それ以外のステークホルダーでは多様な価値観が混在・対立しており、個々の意思決定や集団での合意形成は論理性や合理性だけでなく各々の考え方や感情の変化、更には他者とのやり取りの中で生まれる価値観等の相互作用の影響を受ける22。このため、公共セクター以外のステークホルダーの場合、対策へのモチベーションは長期的にさまざまな要因によって変化すると考えられる。

ここで、前項までの「受容・コミットメント」、「フィードバック」に関する検討結果を改めて整理する。

①「受容・コミットメント」は、2で示した緩和目標達成プロセスによって、ステークホルダー間のばらつきが拡がりながら全体として低下していく可能性が高く、3で示した進捗状況の把握に関する問題によっても、間欠的に低下していくおそれがある。また、2で示した緩和目標達成プロセスによって、ステークホルダー間のばらつきが拡大していく過程で二極化が進む可能性もある。《図表4》のとおり、「受容・コミットメント」はモチベーションに深く関わる変数であることから、対策へのモチベーションは上記のような受容・コミットメントの変化に応じて推移していくことが想定される。

②「フィードバック」については、3で示した進捗状況の把握に関する問題から考えて、対策へのモチベーションを向上させる効果は期待できない。

以上から、モチベーションを維持するための特段の対応をとらない場合、公共セクター以外のステークホルダーでは対策へのモチベーションが持続されず、半世紀近くの長期にわたり全体的に低下していく可能性が高いという結論が導かれる。その際、ステークホルダー間のモチベーションのばらつきは拡大し、二極化していく可能性もある。脱炭素社会の実現には営利・非営利を問わずさまざまなステークホルダーの参加・協力が欠かせないため、このような対策へのモチベーションの低下や二極化は、緩和目標の達成を左右する深刻な問題になると考えられる。中期目標期間の2030年までは、気候変動をめぐる国際的なイニシアティブ等の影響もあり、対策へのモチベーションが高まることも想定されるが、カーボンニュートラルに向けた次なるロードマップの実現では、モチベーションの長期的な維持・安定化が重要な政策課題になるだろう。

5.小括

本稿では、前稿で示した対策の遅効性と効果の不安定性による影響を更に掘り下げ、公共セクター以外のステークホルダーにおいて、対策へのモチベーションが半世紀近くの長期にわたり全体的に低下していく可能性が高いことを示した。次稿では、対策へのモチベーションを長期的に維持・安定化させるための対応方法について考察する。

  • 小林郁雄「気候変動対策へのモチベーションは持続的か(1) ~緩和策に内在する将来課題について~」 SOMPO Insight Plus 2022.08.31 <https://www.sompo-ri.co.jp/2022/08/31/5355/>
  • 本稿では気候変動対策における将来課題を明確化するため、パリ協定における努力目標の1.5℃ではなく、確実な達成が求められる 2℃目標を、将来の達成目標と位置づけることとした。
  • IPCC 第6次評価報告書第1作業部会報告書「気候変動2021:自然科学的根拠」政策決定者向け要約(SPM)暫定訳(2022年5月12日版): B.1
  • 前掲注3: 図 SPM.8(a)
  • Locke, E. A., & Latham, G. P. (1990), “Building a Practically Useful Theory of Goal Setting and Task Motivation, A 35-Year Odyssey”, American Psychologist, Vol. 57, No.9
  • 井手亘「仕事の動機づけに及ぼす目標の効果」心理学評論, 1995, Vol38, No.2, 320-350
  • 前掲注5
  • 中澤潤ほか「社会学的学習理論から社会的認知理論へ―Bandura 理論の新展開をめぐる最近の動向―」心理学評論, 1988, Vol31, No.2, 229-251
  • 前掲注5
  • 前掲注5
  • フィードバックと同様にシステム工学・制御工学の分野で古くから使われてきた言葉で、フィードバックがその時点の出力(結果)を入力側(原因)に返すことを意味するのに対して、フィードフォワードは出力のその後の変化を予測してあらかじめそれを打ち消すようにすることを意味する。より広い意味では、取組みの改善を図るために、フィードバックはそれまでの成果や進捗状況を共有すること、フィードフォワードは将来に関する情報を共有することを指す。
  • 前掲注5
  • 自分の考えや意見に肯定的な情報は積極的に参考にするが、否定的な情報には興味を持たず参考にしないといった心理的な作用や傾向のこと。
  • 気象庁 HP「オゾン層保護の取り組みとオゾン層の今後の見通し」(Visited Sep 16th, 2022) <https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/ozonehp/3-35ozone_longfcst.html>
  • 特定フロンとその規制後に使用されるようになった代替フロンはいずれも強力な温室効果ガスとして知られることや、成層圏等の気温変化によってオゾン量の回復速度が影響を受けることなど、オゾン層破壊と気候変動問題という2つの地球環境問題は相互に深く関連している。
  • 気象庁HP「WMO/UNEP オゾン層破壊の科学アセスメント:2018」総括要旨の概要(仮訳)2019年7月1日修正版; p.1 (Visited Sep 16th, 2022)<https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/ozonehp/report2018/o3assessment2018.pdf>
  • 気象庁HP「オゾン層破壊の科学アセスメント: 2002」総括要旨; p.11 (Visited Sep 16th, 2022) <https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/ozonehp/report2002/o3assessment.pdf>
  • 気象庁HP「オゾン層破壊の科学アセスメント: 2010」総括要旨; p.6 (Visited Sep 16th, 2022) <https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/ozonehp/report2010/o3assessment.pdf>
  • 前掲注16
  • 前掲注3: D.2
  • 前掲注1
  • 国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター「戦略プロポーザル 複雑社会における意思決定・合意形成を支える情報科学技術」2018年3月: pp.7-8
  • 丸山正次「気候変動否定(懐疑)にどう対応するか-明示的否定から暗黙の否定まで」研究年報社会科学研究 vol.第 42 号,pp.89-127, 2022年
  • 令和2年度「気候変動に関する世論調査」(内閣府)(Visited Sep 14th, 2022)< https://survey.gov-online.go.jp/r02/r02-kikohendo/index.html >
  • 前掲注23

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