介護サービスの質をめぐる現状分析
上席研究員 成瀬 昂
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1.はじめに
65歳以上の高齢者数は、2042年にはピークを迎える予測(3,935万人)である1。そして高齢者人口の増加に伴い、施設・在宅介護サービスの需要も増加する。人口推計を基に2040年までの介護サービス利用者数を推計すると、ピークを過ぎ減少に転じていく保険者もあるものの、都市部を中心として2040年までは増え続ける保険者が多い2。今後も介護サービスの質の確保は全国的に重要な課題である。
2024年には、第9期介護保険事業計画がスタートする。この計画は地域包括ケアシステムの構築目安とした2025年を含む計画であり、日本の介護施策の1つの節目となる。2023年度は、各自治体が計画作成に向けて調査・議論を重ねる重要な時期である。
2021年度の介護報酬改定では、「科学的介護推進体制加算」が新設された。これは、介護保険サービス事業所が、データ提出用システム(科学的介護情報システム(LIFE))を通じて利用者の情報を厚生労働省に提出することに始まり、提出データに応じて事業所がフィードバックを得、それが現場で活用されることを通じて介護サービスの質の向上を図ろうという加算制度である3。しかしながら、本仕組みは、導入からまだ間もないこともあり、個々のケアの質の向上に直結するような仕組みには至っていない4。介護サービスの質改善に実効性を持つような指標や、その測定/活用方法の開発が求められる。本稿では、介護サービスの質の概念とその政策上の取り扱いの現状を俯瞰し課題を提示した上で、昨今利活用が広がっているデジタル技術に期待することを述べる。
なお、本稿で説明する「介護」とは、介護保険制度が適用されるサービス(介護サービス)で提供されるケア全般を指すこととする。
2.「介護サービスの質」とは何か
(1)介護保険/介護サービスの目的
日本の介護保険法では、その目的を「自立した日常生活を送ることができるようになること(自立支援)」としている。厚生省高齢者介護対策本部の報告書によると、その自立支援とは、「高齢者が自らの意思に基づき、自立した質の高い生活を送ることが出来るように支援すること」である5。
世界保健機関(WHO)は、長期ケア(≒介護)の目的を「基本的な人間の権利、自由、および尊厳に合致した生活を送ることができること」とし、ケアによって「日常生活に何かしら制限がある人が、できるだけ自立して安全に、生活の質を維持し、本人にとって意味ある活動に参加し続けることができるようにする」ことを目指すと説明している6。身体的な機能を支えることのみではなく、人としての生活そのものを支えることを長期ケアの狙いに含んでいる。
(2)介護(サービス・ケア)の質をとらえるモデル
(1)で記載した介護保険の目的に照合すれば、介護(サービス・ケア)の質は、サービス利用者の自立支援に対する貢献度と定義できる。では、自立支援への貢献度は何をもって説明できるものだろうか。介護(サービス・ケア)の評価側面を説明する理論モデルは国内外で数多く開発されている。そのほとんどに共通するのは、誰かの特定の1側面にのみ着目するのではなく、介護(サービス・ケア)の利用者の生活やサービス提供者のオペレーションを「多面的・総合的に」捉えて評価しようとすることである。これはつまり、特定の1つのアウトカム指標をもって「介護の質」を判断するのではなく、多次元指標を統合的に評価し、質の良し悪しを判断するということである。また、その指標群は必ずしも利用者のアウトカム指標だけではなく、彼らの背景情報やサービス提供状況も考慮する必要もある。以下、代表的なモデルを3つ紹介し、≪図表≫に相互関係を整理する。
1つ目は、Donabedianの質評価モデルである7。これは、介護(サービス・ケア)を構造・過程・結果の3つの側面からとらえようとするものである。構造とは「その介護を提供するための体制者の構造」、過程とは「ケア提供者が実施した支援やケアの内容」、結果とは「実際に利用者が得た効果や心身の変化」である。サービスによる介入が結果を生み出すまでのメカニズムが明確でない場合ほど、構造・過程を考慮した評価が推奨されている。
2つ目は、ICF(国際生活機能分類)である8。このモデルを使うことで、介護(サービス・ケア)を利用する者の生活は、健康状態、生活機能(心身機能、活動、参加)、背景要因(環境、個人)の3領域でとらえることができる。生活機能は互いに影響・補完しあっていることを踏まえた評価が必要である。
3つ目は、OECD(経済協力開発機構)が提案するLong-term Care quality frameworkである9。ここでは、「健康とウェル・ビーイング」を最終到達点とし、それに至るために提供される介護の様態として、ケアの効果・利用者の安全、患者中心性、ケア提供者間の協働と統合、の3側面を示している。介護サービス事業所の体制や利用者の療養環境はケアの質を説明する基盤として配置されており、サービスの質とは別に、個々のサービスではなくサービスが作用しやすい状況にあるかどうかを説明する情報として、サービスのアクセシビリティやコストに関する情報も含んでいる。
3.「介護サービスの質」に関する政策動向
(1)第8期介護保険計画の中での位置づけ
第8期介護保険事業支援計画の基本指針資料2およびその議論(2020年2月21日第90回社会保障審議会介護保険部会議事録)の中で、「介護の質」という用語が主だって使われているのは、「記載を充実される事項1‐2025・2040年を見据えたサービス基盤、人的基盤の整備」の一環として示された「令和2年度からの地域医療介護総合確保基金(介護施設等の整備分)のメニューの充実案」の中である。介護施設の居住環境の改修や介護教務へのICT導入のようなサービス基盤・人的基盤の整備を通して、介護の質を高める狙いがあることがわかる。
その他、取り組みのゴールを示す文言として、「記載を充実される事項2‐地域共生社会の実現」、「記載を充実される事項5‐認知症施策推進大綱等を踏まえた認知症施策の推進」で、それぞれが目指す社会のありようが明記されている。例として、「地域共生社会の理念とは、制度・分野の枠や、「支える側」「支えられる側」という従来の関係を超えて、人と人、人と社会がつながり、一人ひとりが生きがいや役割をもち、助け合いながら暮らしていくことのできる、包摂的なコミュニティ、地域や社会を創るという考え方である」という記載がある。そうした社会の達成に資する度合いをもって「介護(サービス・ケア)の質」と解釈することができる。
介護の質やその成果の測定方法に言及した記載は2つあり、1つは科学的介護の活用、2つ目は介護予防に関する自治体へのインセンティブについてである。「記載を充実される事項3‐介護予防・健康づくり施策の充実・推進(地域支援事業等の効果的な実施)」では、介護予防に関する成果の評価イメージの説明、および、介護予防取組の達成が客観的指標(例として要介護度の維持・改善)で示されることで自治体が財政的インセンティブを受け取れることについての説明があった。
基本指針全体で、介護サービスの事業・事業者・人材等の育成とインセンティブの導入を主なアプローチ手法として、PDCAサイクルに沿った取り組みを進めていくことが繰り返し記載されていた。これが、介護サービスの質(Donabedianのモデルによれば、サービス提供事業所・提供者の充実や連携も質を表す側面の一部である)を確保するためのメインストラテジーとして設定されていることがわかる。
(2)加算報酬による介護サービスの質の確保
介護保険サービス事業所に対しては、介護報酬のインセンティブによってサービスの質を担保しようとする取り組みが続けられてきた。Donabedianのモデルで言う「構造・過程」の側面を評価するものは介護保険制度創設時から数多く導入されている。例えば、サービス提供者の資源が充実している場合に、その事業所に対して支払われる報酬が上乗せされる仕組みである。一方、成果評価は2006年度介護報酬改正で初めて導入され、順次導入が進められてきている。
(3)成果報酬への動き
成果評価を介護報酬に取り入れていくという議論が活発化してきている。Pay for Performanceプログラムとは、米国で始まったヘルスケアサービス提供の質に対する支払い方式のことである。これは、高質のヘルスケアサービスの提供に対して、EBMに基づいた基準を測定することで、経済的インセンティブを与える方法である10。その目的は、高質なサービス提供への報酬と、領域全体の質改善の促進にある。成果評価に基づく報酬体制にすることで、より効果的・効率的な介護サービスの提供に向けてサービス提供者の取り組みを促すことができる可能性がある。しかし一方で、成果報酬に対しては、サービス提供者が、成果につながりやすい者(例:報酬根拠となる成果指標が改善しやすい者等)を選別してしまうことを懸念する声もある。
4.まとめ
(1)適切な評価にむけて
ここまでの内容をまとめると、次のようになる。介護サービスの質は、そのサービスが利用者の自立支援に対して生み出した貢献度である。介護サービスの貢献度は、利用者の生活やサービス提供者のオペレーションを「多面的・総合的に」捉えて評価されるべきものである。介護サービスの質確保のため、構造・過程に加え、成果報酬としての加算制度の導入が積極的に議論されており、介護サービスの質を評価する方法論の開発が急がれる。つまり、測定指標の作成、測定方法の開発、測定結果をもとにした評価判定のアルゴリズムの開発が、喫緊の課題である。ついで、その実装・普及、ならびに導入の副作用としてのサービス提供者のモラルハザードの予防策の設定が必要である。
(2)デジタル技術への期待
介護サービスの質を測定しようとする場合、利用者、事業所、自治体、といった複数の単位構造からなるレイヤーの中で、特定の介護サービスが特定の個人の自立した状態の実現に対して貢献した程度を評価しなければならない。それはつまり、日本にいる約600万人の要支援・要介護者が、それぞれ毎日どのような生活を送り、どのようなサービスの介入を受けながら、どのような支援を受け、反応し、その結果、日々の生活の中でどのような変化を起こしたのか、その因果関係を紐解いて説明するということである。そのためには、日常生活で観測される様々な情報を、その多量性、多種性、そしてリアルタイム性をそのままに、ビッグデータとして生成・収集・蓄積するための総体的な社会システムが必要である。
日常生活や実践現場で観察される膨大な情報を収集・蓄積することについては、Internet of Things(IoT)の利活用によって解決できる課題が多い可能性がある。情報の自動計測・データ転送の技術があることは、介護サービス利用者自身や職員にかかる手間を減らし、入力ミスによる混乱を防ぐことにつながる。また、Personal health record(PHR)による医療・介護および関連情報の連結が進むことで、情報の重複収集、未更新や欠損、介護サービス利用者の縦断的観測時の追跡脱落等がなくなることが期待される。
IoTやデジタル技術の利活用は介護の生産性向上の文脈でも頻繁に話題にあがるが、全国的に普及が進んでいるとはいいがたい。また、厚生労働省が示す全国医療介護情報プラットフォームモデル11の中で、介護保険事業所はデータ加工・提出者であり、利活用者でもあるが、介護保険事業所が保持するデータをどのように加工・提出するかという議論はまだ道半ばである。介護サービスの質の概念定義を共通言語にして、その改善を目指し、当時者、介護サービス事業者、研究者、自治体、および関連法人・省庁等の協働によるPHR・IoT活用技術、および実装スキームの開発が望まれる。
- 国立社会保障・人口問題研究所. 日本の将来推計人口(全国)(平成29(2017)年4月推計).
- 厚生労働省老健局. 基本指針について.社会保障審議会介護保険部会(第90回)資料1-1.令和2年2月21日.
- 厚生労働省.科学的介護情報システム(LIFE)について.https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000198094_00037.html(2023年3月22日アクセス).
- LIFEを活用した取組状況の把握及び訪問系サービス・居宅介護支援事業所におけるLIFEの活用可能性の検証に関する調査研究.2022年.
- 厚生省高齢者介護対策本部.高齢者介護・自立支援システム研究会,新たな高齢者介護システムの構築を目指して 高齢者介護・自立支援システム研究会報告書.1996年.
- World Health Organization. Long-term care. https://www.who.int/europe/news-room/questions-and-answers/item/long-term-care(2023年3月22日アクセス).
- Donabedian A. Evaluating the quality of medical care. Milbank Q. 2005;83(4):691-729. (原著は1966年に出版され、この論文は再版されたものです。)
- 世界保健機関(WHO):ICF国際生活機能分類―国際障害分類改定版―(障害者福祉研究会 編).中央法規出版,東京,2002年.
- Organization for Economic Cooperation and Development. A Good Life in Old Age? Monitoring and Improving Quality in Long-Term Care. OECD Publishing; Paris, France: 2013年.
- Rosenthal M.B. Beyond pay for performance–emerging models of provider-payment reform. New England Journal of Medicine, 2008;359(12):1197-200.
- 厚生労働省老健局. 介護保険被保険者証について.社会保障審議会介護保険部会(第106回)資料2. 令和5年2月27日.
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