ネイチャー・クライメート

生物多様性クレジットと自然資本市場③
~新興・途上国の地域特性と多様な取組み~

上級研究員 鈴木 大貴

前稿では、先進国における代表的な制度と注目すべきプロジェクト事例を概観した。本稿では新興・途上国の事例を取り上げる。
 新興・途上国では、豊かな自然・生物多様性を活かした取組みが展開されている。コロンビアでは、Savimboの「指標種生物多様性方法論(ISBM)」が先住民主導による初の認証生物多様性クレジット方法論となった。ブラジルのERA Brazilは、指標種であるジャガーを活用した方法論により生物多様性クレジットを生成している。ケニアのEarthAcreは透明性の高いモデルを構築し、支払いの60%が直接土地所有者に、10%が地域社会プロジェクトに配分される仕組みを確立している。
 次稿では、日本企業の取組みや、日本における生物多様性クレジットの実現可能性を探る。
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1.はじめに

自然・生物多様性保全において、新興・途上国(以下「途上国等」)は特別な地位を占める。世界の生物多様性ホットスポットの大部分は途上国等に所在し、これらの国々は自然の保持者として、グローバルな生態系サービスの供給上極めて重要な役割を担っている。他方で「自然ファイナンスギャップ」の多くもまたこうした地域に存在する≪図表1≫。
 

 

この文脈において、生物多様性クレジット市場が自然資本の価値を経済活動に組み込み、保全に対する民間資金動員の触媒となることに期待して、多くの途上国等が豊かな自然・生物多様性を活かした特色あるパイロットプロジェクトなどを展開している≪図表2≫。
 

 

本稿では、こうした途上国等(14カ国)の事例を、特に先住民・地域コミュニティとの協働や自然資源の持続可能な管理に焦点を当てたモデルに着目して検討する1。後記2では、生物多様性クレジットが実用化されつつある国々の動向を中心に中立性を意識しながら概観し、後記4以降で途上国等における生物多様性クレジット市場の現状と展望を評価する。なお、必ずしも生物多様性オフセットとクレジットを厳密に区別しているわけではない(オフセット利用を排除した、いわゆる貢献型のクレジットには限定していない)ことをお断りしておく。

  《BOX1》自然・生物多様性保全における途上国の役割と先住民・地域コミュニティ(IPLC)の参画
 
 気候変動問題では「先進国が温室効果ガスの排出責任を持ち、途上国が被害を受ける」という「気候正義」の構図が前景化しがちであるが、自然・生物多様性保全の文脈では、途上国が自然・生物多様性の「保有・管理者」として重要な役割を担う相互依存・相互利益の関係性が存在する。
 ブラジルやインドネシア、コロンビアをはじめとする途上国は、地球上の生物種の過半を有しており2、これらの生態系は炭素貯留・水循環調整・気候安定化など、地球全体の環境調整機能にも貢献している。しかし、経済発展の圧力や資源利用のニーズから、これらの国々は自然・生物多様性保全と開発のジレンマに直面している。
 先進国は消費活動や国際サプライチェーンを通じて途上国の自然・生物多様性に少なくとも間接的な影響を与えており、この観点からは「遠隔地影響」の責任を持つ3。生物多様性クレジットの購入は、先進国の企業や政府が途上国の自然・生物多様性保全に貢献するひとつの方法となるが、単なる資金提供に留まらず、技術移転・能力開発・公正な利益配分を伴う包括的なアプローチが求められている4 5
 特に重要視されるのは、先住民族や地域コミュニティ(IPLC)の中心的役割である。例えば生物多様性クレジット同盟(BCA)も、専門の「コミュニティ諮問委員会(CAP)」を設置し、生物多様性クレジット市場におけるIPLCの参画を促している6 7。IPLCが関与するプロジェクトのクレジットには、15%〜300%のプレミアム価格が付くことがあり、社会的価値が経済的にも評価されている8
 本稿でも、先進国企業・組織の参入のもと、IPLCが主導(企画・意思決定・収益配分において先住民族や地域コミュニティが中心的役割を果たす)し、伝統的知識と科学的手法を融合させ、自然・生物多様性の保全と地域社会の発展の両立を図る取組み事例を多数取り上げている。
 ただし、コンサルティング企業であるBCGのアフリカ現地調査(タンザニアのKitenden Wildlife Corridorなど)では、IPLC参画の課題として、①基準の複雑性によりIPLCが内容理解・採用に困難を抱える、②測定・報告・検証(MRV)の厳格性により高コストが発生し最終的なコミュニティ配分額が減少する、③適切な関与に長い期間と高いコストを要する、④異なる生態系・土地所有構造・文化的信念を持つ地域間での取組みの横展開が困難、といった実務上の課題も明らかになっている9

2.各国における制度とプロジェクト事例

本項では途上国等の代表的な制度と注目すべきプロジェクト事例を紹介する。実際には官民連携色の強いものも多数あるが、便宜上、政策的取組みと民間主導の取組みに分類した。また、政策的取組みは制度概要等ごとに、一方、民間主導の取組みは、原則的に生物多様性クレジット創出やプロジェクト主体を担う企業・組織(プレーヤー)ごとに項建てし、実施国・地域をベースとした整理を試みた。各国の記載順序は、途上国等における市場の多様性と地域固有の課題・アプローチを考慮し、地理的な配列(アジア→アフリカ→中南米→太平洋島嶼)を基本として地域的な傾向と特色の理解に資するよう留意した。

なお、本稿末尾の≪参考図表≫に本稿で取り上げる主な制度・プロジェクトの概要を整理している。

(1)ウズベキスタン

①政策的枠組み

a.生物多様性金融計画:36億ドル動員目標の国家的枠組み

ウズベキスタン政府は国連開発計画(UNDP)生物多様性金融イニシアチブ(BIOFIN)の支援を受けて2025年3月に生物多様性金融計画を公表し、2034年までに最大36億ドルの動員を目指している。この計画は生物多様性クレジットとオフセット市場のための国家的枠組みを提供するもので、国内の生物多様性クレジット市場が今後5年間で年間1,500万ドル、2031年から2034年の間に最大1億ドルに達する可能性があると予測している10

               《BOX2》 東南アジアにおけるREDD+と生物多様性価値の統合
 
 東南アジアでは、REDD+(森林減少・劣化による温室効果ガス排出の削減)プロジェクトでカーボンクレジットに生物多様性価値を付加する取組みが先行している。これらの多くは、国際的なカーボンクレジット認証機関のVerraが運営する気候・地域社会・生物多様性(CCB)スタンダードで認証を受けており、自然資本の多角的価値評価の先進事例となっている。
 マレーシア・サバ州のクアムト熱帯雨林保全プロジェクト(熱帯雨林8万3,381ha)では、絶滅危惧種の保全価値を付加した「自然ベースカーボンクレジットプラス(MNC+)」を創出し、CCBスタンダードでGold Level認証を取得した11
 インドネシアのリンバ・ラヤ生物多様性保護区(中央カリマンタンの約6万4,000ha)は世界最大級のREDD+プロジェクトで、10万5,000頭以上の絶滅危惧種ボルネオオランウータンのハビタット(個々の生物種の生息に本来必要な、または適した環境を有する場所や空間)保全などにより最高評価のTriple Gold認証を受けている12
 カンボジアのSouthern Cardamom REDD+ Project(熱帯雨林44万5,339ha)もDouble Gold Level認証を取得している13
 なお、アジア開発銀行(ADB)とイギリス政府は、2025年5月にアジア太平洋地域における生物多様性クレジット市場の発展を支援するパートナーシップを開始した。イギリス政府が100万ポンドを拠出し、タイ・バングラデシュ・フィリピンを優先国として生物多様性クレジットの投資コンセプトを試験導入する。生物多様性クレジットに関する国際諮問委員会(IAPB)との協力により、IAPBの枠組みを各国の政策に実装する支援も行われる14

(2)南アフリカ

①政策的取組み

a.生物多様性オフセットバンク:国立公園による開発影響補償制度

南アフリカ政府は2025年5月に南アフリカ国立公園(SANParks)による生物多様性オフセットバンクを正式に立ち上げた。この制度では、開発事業者が開発プロジェクトの避けられない環境影響を補償するために生物多様性クレジットを購入できる。

同オフセットバンクは、UNDP BIOFINの下で、森林・漁業・環境省(DFFE)の公式な革新的資金調達メカニズムとして運営される。また、生物多様性のネットゲイン(純増)あるいはノーネットロス(正味の損失なし)の達成を目指して2023年6月に公表された南アフリカ初の「国家的生物多様性オフセットガイドライン」に基づき実施される15

(3)ガーナ

①政策的取組み

a.Ghana Green Guard:250億ドル規模の気候・生物多様性統合イニシアチブ

ガーナでは、Ghana Green Guardと呼ばれる250億ドル規模の気候未来イニシアチブが2025年3月に始動した。このイニシアチブは、開発主体である米国のスタートアップ企業CarbonPura Africa、ガーナ政府を代表する環境保護庁(EPA)、そして現地の保健分野の非営利団体Private Sector Participation in Health(PSPH)が実施する官民協働パートナーシップである。

25年間で3億500万単位の「投資適格カーボン・生物多様性クレジット」の生成を目指しており、1,200万haの劣化した土地と水路の回復を通じて、104億ドルの収益創出を計画している。植林・再生型農業・違法採掘地域の回復・沿岸環境の再生などを通じて、投資適格クレジットの創出と持続的な環境改善の両立を図る。なお、Ghana Green Guardはパリ協定第6条への完全準拠を目指しており、コンプライアンス市場での取引も視野に入れている16。カーボンファイナンスとカーボン・生物多様性の収益化を活用し、環境再生・安全な水へのアクセス・地域社会に根ざした社会プログラムの推進に取り組んでいる点で注目される。

(4)ケニア

①政策的取組み

ケニアにおける生物多様性クレジットに関する政策的取組みに係る有用な情報は確認できなかった。

②民間主導の取組み

a.EarthAcre:生物多様性容量(BCAP)測定手法による自然資産

ケニアでは、国内の自然資産企業EarthAcreが「Ol Kinyei Ecosystem Project」と「Eselenkei Ecosystem Project」を実施している。

Ol Kinyei Ecosystem Projectはマサイマラに位置し、世界で最も高密度なライオンのハビタットを含む約1万8,700エーカー(約7,568ha)の保全地域である17。このプロジェクトは移動種のための安全な通路を確保し、生態系の栄養循環を活性化させることを目指している。一方、キリマンジャロ山近郊のEselenkei Ecosystem Projectでは、30年前には象が見られなかった地域に現在200頭以上が回復した。

EarthAcreは「自然資産」と呼ばれる区画を1エーカー単位で販売し、最低10年間の保全と測定可能な生物多様性成果を保証している。支払いの60%が直接土地所有者に、10%が地域社会プロジェクトに、30%が介入コスト・データ収集・モニタリングに配分される透明性の高いモデルを採用している18

なお、EarthAcreは ハーバード大学と共同開発した「生物多様性容量(BCAP)」測定手法を採用しており、植生構造と全体的な生物多様性の関係に基づいて地域の生物多様性ポテンシャルを評価している19

b.SeaTrees:海洋生物多様性クレジット

海洋生物多様性の分野では、米国の非営利団体Sustainable SurfのプログラムであるSeaTreesが3つの主要プロジェクト(①ケニアのマングローブ森林(キリフィ郡マレレニでの640ha再生)、②オーストラリア・シドニー沖のケルプ森林、③フィジーのサンゴ礁での保全・再生活動)で海洋生物多様性クレジットを展開している。

ケニアでのプロジェクト「Marereni Kenya Biodiversity Block」では、77万5,000本以上のマングローブ植樹・1,200人の地域雇用創出・10年間で30万の海洋生物多様性クレジット創出を目標に、生物多様性ブロックと呼ばれる生物多様性クレジットを3ドル/クレジットで販売している≪図表3≫。
 

 

SeaTreesはイギリスのデータ企業Ocean Ledgerと提携し、衛星リモートセンシング技術と機械学習モデルを活用したモニタリングシステムを構築している。各クレジットは1本のマングローブ植樹と地域コミュニティによる10年間の維持管理を表し、環境クレジット登録プラットフォームのRegen Networkのレジストリでブロックチェーン技術により透明性を確保している20

(5)マラウイ

①政策的取組み

マラウイにおける生物多様性クレジットに関する政策的取組みに係る有用な情報は確認できなかった。

②民間主導の取組み

a.The Landbanking Group:検証可能な自然ユニット(VNU)による野生動物保護区管理

オーストリアの自然資産投資企業The Landbanking Groupは、アフリカの野生動物保護区管理を行う非営利組織African Parksと共同で「検証可能な自然ユニット(VNU)」を開発している。VNUはハビタットの無傷度(リモートセンシングによる判定)と指標種の存在(現地調査による判定)という2つの代理指標により、1km²の自然区域における年間の保全成果を表す単位として定義される21

主要プロジェクトであるMajete Wildlife Reserveでは、かつて荒廃していた保護区において過去20年間でサイ・象・ライオン・チーターなどの種の再導入に成功し、238のVNUが1ユニットあたり2,744ドルで販売されている。VNUの価値は0(生態系が無傷でない)から1(生態系が完全に無傷)の範囲で評価され、購入者は自然資本管理プラットフォームのLandler.ioを通じて自然資本の長期的追跡が可能である22

なお、The Landbanking GroupはVNUとは別途、ハビタットの無傷性・動植物・連結性の3指標で検証される「生物多様性単位」も提供している。

          《BOX3》アフリカにおける生物多様性クレジット市場の課題:BIRAの教訓
 
 サブサハラアフリカの生物多様性投資促進機関「Biodiversity Investment – Research and Accelerator(BIRA)」23の経験は、生物多様性クレジット市場の現実的課題を示している。
 BIRAは2023年9月に設立され、2025年末までに5~10件の大規模自然クレジットイニシアチブへの資金調達を目標としていた。しかし、実際に支援できたのはタンザニアとコンゴ民主共和国の2プロジェクトのみで、タンザニアでは慈善資金に依存し、コンゴでは生物多様性クレジットによる資本調達に失敗して「別のビジネスモデルに軸足を移す」結果となった。
 BIRAの責任者は「生物多様性クレジットを取引する仕組みとして、市場自体がまだ準備できていない」と評価し、地域固有性による代替不可能性、測定・報告インフラの未発達、カーボン市場への懸念の波及を課題として挙げている。
 こうした課題を受けて、BIRAは2025年に生物多様性クレジット中心のアプローチから、農業・森林・マングローブの3分野に焦点を当てた持続可能資金調達へ方針転換した24。市場の成熟には時間と制度基盤の整備が必要なことを物語る事例と言える25

(6)ドミニカ共和国

①政策的取組み

a.米州開発銀行(IDB)支援の生物多様性市場パイロット:1.5億ドル資金ギャップ解消目標

米州開発銀行(IDB)は2024年に、ドミニカ共和国でボランタリー生物多様性クレジット市場構築を目指す4年間のパイロットプロジェクトを開始した。総予算190万ドル(うちIDBのベンチャーキャピタル部門IDB Labから80.2万ドル)の同プロジェクトは、1.5億ドルと推定される自然保全・回復資金ギャップの解消に取り組む。

2028年までに500haを対象とした3つのパイロットプロジェクトを実施予定で、各生物多様性クレジットは10㎡の環境改善を表し、デジタル市場プラットフォームで取引される。収益の少なくとも60%は地域農村コミュニティと土地所有者に配分される透明性の高いモデルを採用している26

(7)コスタリカ

①政策的取組み

コスタリカにおける生物多様性クレジットに関する政策的取組みに係る有用な情報は確認できなかった。

②民間主導の取組み

a.rePLANET:カーボン・生物多様性クレジット統合型大規模プロジェクト

イギリスの自然プロジェクト開発企業rePLANETは、コスタリカで数百万ドル規模・3万haのカーボン・生物多様性クレジット創出プロジェクト「Ganbos」を展開している。

このプロジェクトは、40年間で200万のカーボンクレジットと130万の生物多様性クレジットを生成する計画で、主に牛農家に土地の30%を再森林化するインセンティブを与えることにより、水供給保護のための河畔回廊を創出するものである。フランスのサステナビリティ資産運用企業MirovaはGanbosを「再生型牛放牧と再森林化を統合した先駆的プロジェクト」と位置づけ、同社が運用するClimate Fund for Nature(フランスの高級ブランド企業Keringと化粧品メーカーL’Occitaneが設立)とOrange Nature Fund(フランスの電気通信事業者Orangeが設立)を通じて投資している27 28。このような大規模売却は自然ベース投資への資金流入を示す重要事例と言える。

Ganbosプロジェクトの具体的価格は未公表だが、rePLANETのコスタリカプロジェクトでは、カーボンクレジット10ドル/tCO2、生物多様性クレジット5ドル/クレジットで取引されている(rePLANET全体では、カーボン8-45ドル/tCO2、生物多様性5-30ドル/クレジット程度)29。これは、同一の土地で複数種のクレジットを同時創出する「スタッキング」の実践例と言える。

(8)ペルー・チリ

①政策的取組み

a.政府主導の生物多様性クレジット制度策定:先住民権利保有者重視

ペルー政府とチリ政府は2025年6月に相次いで生物多様性クレジット市場の枠組みを策定すると発表した。

ペルー環境省(MINAM)は、生物多様性クレジットのガイド原則を策定する省庁横断的作業部会を設置した。MINAMの生物多様性局が主導し、気候変動局・環境金融局・自然保護区庁と連携して、プロジェクト資金調達・追加性・セーフガード・利益配分に関する枠組みを同年7月までに公表予定としている。特に先住民コミュニティを「受益者」ではなく「権利保有者」として位置づける方針を明示している点が注目される。

チリでは、生物多様性・生態系サービス認証システムの規制案を公表し、同年7月まで市中協議を実施している。同制度は「生物多様性管理ユニット」として取引可能な認証を発行し、生物多様性・保護区庁(SBAP)が管理する公的登録簿を設置する計画である30

(9)メキシコ

①政策的取組み

メキシコにおける生物多様性クレジットに関する政策的取組みに係る有用な情報は確認できなかった。

②民間主導の取組み

a.Rancho La OnzaとCarbonPlus:BioCarbon Standard初認証プロジェクト

メキシコのカーボン・生物多様性クレジット開発事業者であるRancho La OnzaとCarbonPlusは、2024年8月にBioCarbon Standard(生物多様性とカーボンの統合評価を行う国際認証基準)初の生物多様性クレジットプロジェクトとして登録された、シエラゴルダ生物圏保護区プロジェクトを主導している。このプロジェクトは200haの区域において、在来種の植林によるハビタット復元・過放牧地の森林への転換・分断されたハビタットを再接続する生物回廊の設置・アグロフォレストリーによる持続可能な農業の推進などに取り組んでおり、2010年から継続的な保全活動を展開している。グアナファト州唯一のジャガランディハビタットの保全とともに、野生動物への給水・給餌ステーションの提供や環境教育プログラムを通じて地域コミュニティとの連携を深めている。

コロンビア発の国際認証基準BioCarbon Standardは、追加的で永続的な保全活動を確保し、自然を活用した解決策(NbS)を気候変動対策と生物多様性保全の重要な要素として取り入れ、分類群・種・個体群・群集(生物群)など多レベルでの生物多様性を評価する包括的な枠組みである。この手法では、ランドスケープ(景観)構成や種の豊かさなど15の指標を組み合わせて生物多様性の向上を測定し、プロジェクト地域のha数を掛け合わせて毎年発行可能な「バイオクレジット」数を決定する。具体的には、森林断片の隔離などの生態系保全手法や、アグロフォレストリーなどの持続可能な農業生態学的手法、ドローン・カメラトラップ・パークレンジャーを使った厳格な測定・報告・検証(MRV)活動の実施により、国際自然保護連合(IUCN)指定の絶滅危惧種の存在や高い保全価値(HCV)を統合した数学的モデルに基づき第三者認証機関(コロンビアの持続可能な農業製品認証機関NaturaCertまたはドイツの有機食品・持続可能性基準認証機関Ceres)による検証を経てクレジットが発行される。また、事前に十分な情報を得た上での同意(FPIC)と、公平かつ公正な利益配分の仕組みを確保することで、地域コミュニティとの関わりを深め、保全価値の高い種の保全に向けた生態系のつながりの強化を目指している31

b.Ponterra:30以上の生物多様性指標による包括的モニタリング

メキシコのベラクルス州で2025年に開始されたLa Esperanzaプロジェクトでは、イギリスの自然再生・生物多様性プロジェクト開発企業Ponterraが30以上の生物多様性指標を測定する包括的モニタリング手法を実践している。カメラトラップ・音響モニタリング・土壌サンプリング・専門家による調査を併用した、「異なる分類群と栄養段階(食物連鎖の階層)にまたがる指標」となっている。空間スケールも考慮し、広域を移動する鳥類・哺乳類と移動範囲の狭い土壌無脊椎動物を組み合わせることで、生態系の全体的な生物多様性をより適切に評価する手法も開発中である32

c.Nat5とMexHub:NetPositive 2030プログラムによる州政府連携

フランスの環境企業Nat5は、メキシコのドゥランゴ・オアハカ・チワワ州の3カ所で生物多様性クレジット方法論のパイロットプロジェクトを実施している。2024年8月には、Nat5とメキシコのコンサルティング企業MexHubとの提携により「NetPositive 2030プログラム」が発表された。このプログラムは2030年までに国内の生物多様性のネットロス(純減)を食い止めることを目的とし、生物多様性・炭素・水・土壌に焦点を当て、地方政府と連携した生物多様性クレジットを含む自然市場の発展を目指している。

2024年9月には、国内の投資企業LGL Investmentsが、Nat5が指定する最大3つのプロジェクトの開発を支援するため、生物多様性・水・カーボンクレジット合計2万5,000ドル相当の事前購入契約を締結した。この投資の大部分は生物多様性クレジットに充てられる予定である。Nat5は独自の方法論を適用して生物多様性向上と炭素貯留効果を評価する33

2024年11月には、ヌエボレオン州環境局とメキシコの非営利団体MexHub de Economía Circularが州の循環経済移行を加速する協定に署名した。このプログラムでは、Nat5とともに、Nat5の親会社であるフランス・メキシコの生態工学企業ASESが開発したクレジット認証基準「aOCP(Ases On-Chain Protocol)」のもとで生物多様性・土壌・水・カーボンクレジットを生成する34

現在、当初の3州に加えて複数の州が参加しており、スイスの自然バリューチェーン認証機関Integrity Certificatesの支援を受けた生態系プロジェクト育成機関の設立が進められている。このプログラムでは、企業や土地所有者が取引可能な自然クレジットを生成し、州政府による生物多様性損失への取組みを支援する。

価格設定は、ラテンアメリカのプロジェクトで1ユニットあたり20-30ドル程度と予想されている35

(10)コロンビア

2024年10月から実施された生物多様性条約第16回締約国会議(CBD COP16)の開催地となったコロンビアの生物多様性クレジット市場では、先住民や地域コミュニティが主導するプロジェクトが高い評価を受けている。

①政策的取組み

a.政府主導型生物多様性オフセット制度:中南米初の包括的補償制度

コロンビアは2012年制定の決議第1517号により、環境影響評価を要する全プロジェクトに生物多様性補償を義務化し36、中南米で初めて生物多様性オフセットを支援する規則を施行した。この制度は、ミティゲーションヒエラルキー(影響の緩和の優先順位)に基づき最大10:1の補償比率(開発による1haの生態系破壊に対し、その補償として10haの生態系を保全・復元しなければならない)を設定している37

さらに政府は、2017年に決議第1051号でハビタットバンク規制を制定し、生物多様性クレジットの創出・取引を可能にする制度的枠組みを構築した38。ハビタットバンクは義務的・ボランタリー双方の環境補償・投資に対応し、企業がクレジット購入を通じて最低20年から30年間の生態系保全・復元に投資できる仕組みを提供している39

②民間主導の取組み

a.Terrasos:ハビタットバンクによるTebu生物多様性ユニット

コロンビアの生物多様性金融企業のTerrasosは、2025年5月時点で3つのハビタットバンクプロジェクトから創出された合計8,642件のTebuと呼ばれる生物多様性ユニットを販売し≪図表4≫、約19.6万ドルの収益を達成している40。Tebuは10㎡の単位で、収益が投資されるプロジェクトは30年サイクルで管理される41
 

 

主要プロジェクトであるEl Globoハビタットバンクは、アンデス山脈の高アンデス森林生態系における灌木林と草原の保全・回復に取り組み、6,319ユニット(単価23ドル、計約14.5万ドル)を販売した。

Aguadulceハビタットバンクでは熱帯乾燥林124ha(うち93.59haが保全、21.4haが積極的な修復対象)を保全し、119種の在来植物と92種の動物のハビタットとして機能している。売上は2,289ユニット(約5万ドル)を記録している。

Yerrecuyハビタットバンクは、国内初のアフリカ系住民コミュニティによるコミュニティ主導型ハビタットバンクとして、アルト・サンフアンのコミュニティ評議会と連携し1,335haの熱帯湿潤林を保全している42。このプロジェクトはコロンビア西部のチョコ県タドー自治体の熱帯・湿潤林を対象としており、先住民コミュニティの主体的参画による生物多様性保全のモデルケースとなっている43

b.Savimbo:先住民主導の指標種生物多様性方法論(ISBM)

コロンビアの生物多様性クレジット開発企業Savimboは、先住民や地域コミュニティが主導する生物多様性クレジットを開発している。2024年9月、Savimboの「指標種生物多様性方法論(ISBM)44」がCercarbono(国内のカーボンプロジェクト認証機関)によって承認され、Cercarbono初認証の生物多様性クレジット方法論となった45

Savimboの方法論は先住民の伝統的知識に基づいており、ジャガーなどの指標種(アンブレラ種)の存在を写真やビデオで記録することでクレジットを生成する。この単純かつ実践的な方法論により、アマゾン地域の先住民コミュニティが仲介者なしに直接、生物多様性保全の経済的恩恵を受けることが可能となっている46

Savimboのプロジェクトでは保全活動の収益の50%が土地所有者である先住民コミュニティに還元され、生物多様性保全と地域社会の経済的自立の両立を目指している47

(11)ブラジル

①政策的取組み

a.パラナ州:ブラジル初の州レベル生物多様性クレジット制度

パラナ州政府は2024年7月にブラジル初の州レベル生物多様性クレジット制度の実施を発表した。同州は、企業・産業による環境負荷のオフセット手段として生物多様性クレジット政策を制度化する世界初の準国家政府とされている。

この制度は民間セクターとの連携により開発され、25の私設自然遺産保護区(RPPN:ブラジルの民間自然保護区制度)でパイロットプログラムとして開始され、保全活動を通じてクレジットを生成する。州政府は企業による自然資源の利用やエネルギー消費、温室効果への影響を評価してクレジット需要を算出する方針である。

同制度は2025年の実施開始が予定されており、将来的にはRPPNだけでなく、市立・州立・連邦各レベルの公園への拡大も計画されている48

②民間主導の取組み

a.ERA Brazil:ジャガー指標種によるアンブレラ種スチュワードシップ

ブラジルの環境保全組織ERA Brazilは、アマゾン熱帯雨林の保全を目的とした生物多様性クレジットの枠組みを発展させている。パンタナール地域で実施しているジャガースチュワードシッププロジェクトでは、国内の非営利組織Instituto Homem Pantaneiro(IHP)との協力により4万613haのRPPNにおいて7万1,750の生物多様性クレジットが生成され、年間保全コストに応じて1クレジットあたり27-36ドルで取引されており、総額は約210万ドルに相当する。このプロジェクトは2021年から2023年までのモニタリング期間を経て、国内の第三者認証機関Verifit Groupによる検証を完了し、1,104クレジットが販売された49。プロジェクトでは、指標種であるジャガーの生息をカメラトラップでモニタリングする「アンブレラ種スチュワードシップ」という独自の方法論を採用している50。ブロックチェーン技術を活用した環境クレジット登録プラットフォームのRegen Network上で方法論が公開されており、クレジットの購入・売却・償却も可能である51

b.Pale Blue Dot Environmental(PBD-E):絶滅危惧種特化型ブラジル生物多様性クレジット

ブラジルのスタートアップ企業Pale Blue Dot Environmental(PBD-E)は、絶滅危惧種に特化した生物多様性クレジット方法論を開発している。2024年8月には、絶滅危惧種のランの91個体をモニタリングするバイーア州での43haの農村地域でパイロットプロジェクトを完了した。

2024年9月には、この「ブラジル生物多様性クレジット(CREDIBBIO)」方法論の初版を公開した。これは種クレジットで、1ユニットが絶滅危惧種の1個体を表し、異なる絶滅危惧種が存在する場合は複数のクレジットを発行できる。対象となる種はブラジル公式絶滅危惧種リスト(3,000種以上を含む)に基づき選定され、個体数と年間保全コストの推定に応じて各プロジェクトが生成するクレジット数が決まる。

植物の場合、個体の特定が困難なため、この方法論では遺伝子個体(ジェネット:遺伝的に異なる個体)とクローン個体(ラメット:栄養繁殖による同一遺伝子個体)を区別し、生物多様性保全の観点から可能な限り多くの遺伝子個体を保全することを理想としている。

PBD-Eはパイロットプロジェクトから年間2万20ドル相当、1クレジットあたり約220ドルでの生物多様性クレジット生成を予定しており、2025年半ばまでに最初の取引を行う計画である。現在、他の土地所有者との間で、別の地域や種を含む追加クレジット発行のための交渉も進めている52

c.SPVSとLIFE Institute:ブラジル初の商業取引を実現

ブラジルの環境保護団体である野生動物研究・環境教育協会(SPVS)は、国内の環境認証機関LIFE Instituteの基準による生物多様性クレジットを開発している。LIFE Instituteの方法論では、各クレジットが「生物多様性ポジティブパフォーマンス(BPP)」の1単位を表し、保全地域の規模・生物学的重要性・エコリージョン(同一の生態的特徴を持つ地域)の脆弱性・保全措置の実施レベルなどの初期評価と、遺伝的変異性・生態系サービスの維持、動植物種個体群の行動、ランドスケープ・栄養構造(食物連鎖の構造)などの長期モニタリング評価を組み合わせて算出される。

2025年6月に国内の大規模医療機関Complexo Pequeno Príncipeが、SPVSから5,000クレジット(1万5,000ドル相当、1クレジットあたり3ドル)を購入し、国内初の生物多様性クレジット商業取引が成立した。医療機関による世界初の生物多様性クレジット購入としても注目されている。

なお、このクレジットは大西洋沿岸の森林が広がるパラナ州沿岸部の計1万9,000haに及ぶ3つのプロジェクトから生成されている53

(12)アルゼンチン

①政策的取組み

アルゼンチンにおける生物多様性クレジットに関する政策的取組みに係る有用な情報は確認できなかった。

②民間主導の取組み

a.Huellas Para Un Futuro Foundation:大西洋岸森林の包括的アプローチ

アルゼンチンの環境保全NGO「Huellas Para Un Futuro Foundation(未来のための足跡財団)」は、ミシオネス州で「Aponapo Rainforest Reserve」プロジェクトを主導し、地域主導型のモデル事例として注目を集めている。このプロジェクトは地域固有種のハビタットの保全・強化を目的としており、52haの大西洋岸森林において、「保全・生態系修復・自然資源の持続可能な利用を統合した包括的アプローチ」を通じた生物多様性の増加を目指している。このプロジェクトでも前記(9)②aのBioCarbon Standardが採用されており、1クレジット当たり約30ドルでの取引が見込まれている54

(13)ニウエ

①政策的取組み

a.海洋保全クレジット(OCC):小島嶼国による海域保全価値の貨幣化

南太平洋に位置する小島嶼国家のニウエ政府は、「海洋保全クレジット(OCC)」を通じて海洋生物多様性の保全資金調達を実現している。2022年4月に排他的経済水域(EEZ)全体を海洋公園に指定し、そのうち40%を完全保護区に設定した。2023年9月にニウエ政府と現地NPO団体Tofia Niueの官民パートナーシップによりOCCの販売を開始し、1km²の海洋を20年間保全する価値を250ニュージーランドドルで販売している≪図表5≫。
 

 

2024年5月までに21カ国から約750万米ドルを調達し、目標額1,800万米ドルの約42%に到達した。この取組みは2024年5月にビジネスメディアFast Companyの「世界を変えるアイデア賞」自然カテゴリーを受賞し、小島嶼途上国が広大な海域の保全価値を貨幣化する重要なモデルとして国際的に注目されている55

3.その他の先進的プロジェクト事例

本項では、前稿における先進国、本稿における途上国等の事例を踏まえ、海洋生態系・都市環境といった生態系種別に着目した先駆的プロジェクトを紹介する。

(1)海洋生物多様性クレジット

海洋生態系は地球表面の70%以上を占めるにもかかわらず、生物多様性クレジット市場では陸域に比べて取組みが遅れていた。しかし、近年では前記(4)①bのSeaTreesや(13)のニウエのように、海洋生物多様性に特化したクレジットモデルの開発が進んでいる。

また、海洋生態系への資金動員を促進するため、生物多様性とカーボンクレジットの統合システムが注目されている。国際海洋研究チームが2025年4月に発表した研究では、海洋動物の森(MAF)と呼ばれるサンゴ礁等の水中生態系について、生物多様性向上と炭素隔離を統合的に評価する手法が提案された。従来は炭素隔離の議論から除外されがちだった海洋生態系について、生物多様性価値を中心とした評価により取引可能な単位を創出する可能性が示されている56

ただし、海域における所有権・利用権が課題として指摘されている。海洋生物多様性クレジットでは、流動的で争いの多い海洋境界により所有権の明確な割り当てが困難である。オーストラリアのカーティン大学の研究員は「海洋生物多様性クレジット制度の多くは、沿岸地域で複数の利用者が重複する場合の正当な保有権や利用権を適切に認識していないため失敗している」と指摘している。300以上の市場事例研究では、所有権のインテグリティ確保が重要な役割を果たすとのコンセンサスの存在が示されている57

なお、2025年6月の報告書によると、海洋における30by30(2030年までに陸域・海域の30%を保全する目標)の達成には年間158億ドルが必要とされる一方、現在の海洋保全への資金流入は年間12億ドルに留まり、146億ドルの資金ギャップが存在する58

(2)都市生物多様性クレジット

都市環境における生物多様性クレジットの枠組み開発も始まっており、イギリスの非営利組織Nature&People Foundationは都市生物多様性基準(UBS)を開発している。この基準には、企業や投資家が都市内の自然のためにリソースを割くことを支援する金融メカニズムとして、都市生物多様性クレジット(UBC)のルールが含まれている。UBSはUBCを植生被覆率の増加を表すデジタル資産または非デジタル資産として定義しており、新たな植生被覆100m²につき1クレジットが生成され、最大20年または25年間にわたって年間で発行される。UBCには生物多様性自体の強化に重点を置くクレジットと、大気汚染対策やヒートアイランド効果緩和など植生による生態系サービスを重視するクレジットの2種類がある59

現在スペインのフォルメンテーラ島とブラジルのリオデジャネイロ市でパイロット実証が行われており、2025年5月に開始されたフォルメンテーラ島での「Living Formentera」プロジェクトでは、今後20年間で100万件のUBC創出を計画している60。リオデジャネイロでは公園の緑地被覆率を大幅に改善し、31%の気温低下効果を実現しており61、都市環境での生物多様性クレジット活用の先進例となっている。

4.市場の現状と課題

本項では、前稿における先進国、本稿における途上国等の事例を踏まえ、両者横断的に生物多様性クレジット市場の現状と課題を整理する。

(1)価格動向と市場の多様性

現在、生物多様性クレジット市場には、Climate Asset Management・Zero Imprint・Nature Metrics・CreditNature(イギリス)、Earthbanc(デンマーク)、DGB GROUP(オランダ)、The Landbanking Group(オーストリア)、ClimateTrade(スペイン)、EcoEnterprises Fund・GreenVest・Wildlife Works Services(米国)、Ekos Kāmahi(ニュージーランド)、New Forests Advisory・GreenCollar Group・South Pole(オーストラリア)、Terrasos(コロンビア)、BioCarbon Partners(ザンビア)、Biodiversity Solutions(ウガンダ)など、先進国から途上国等まで多様な地域の企業・組織が参入している(括弧内の国名は当該企業・組織の本社等所在地)62

また、生物多様性クレジットの価格は、プロジェクトの種類・規模・地域特性・評価手法・生態系タイプ・プロジェクト品質によって大きく異なっている。2025年6月時点の国際的な市場データによれば、海洋生物多様性クレジット(SeaTrees Biodiversity Blocks:3ドル/ブロック)から高品質認証プロジェクト(Earthly:220ドル/クレジット)、さらには自然投資証書(Nature Investment Certificates:2,710-1万9,950ドル/証書)まで、極めて大幅な価格差が存在する63 64。これは、生物多様性クレジット市場が単一の均質な市場ではなく、細分化された複数の市場で構成されていることを示している。

クレジットタイプ別に見ても、ハビタット・生態系保全クレジット、種の保全クレジット、復元クレジット、損失回避クレジット、自然資本クレジット(炭素貯留・流域サービス・土壌の質の向上・受粉サービス)、ハイブリッド/バンドル・クレジット(カーボンと生物多様性の複合クレジット等)、ランドスケープレベルの保全クレジットなど、多岐にわたる65

(2)測定・評価手法の進展と課題

海洋生物多様性測定におけるeDNA解析技術の実用化、位置情報技術を活用した精密トラッキング、AI・リモートセンシング統合評価ツールの開発などにより、生物多様性クレジットを可能にする測定・報告・検証(MRV)技術も高度化している。

しかし、自然・生物多様性の測定・評価には根本的な課題も指摘されている。オックスフォード大学が2024年12月に公表した研究では、「単一の自然単位」を定義することの困難さが指摘されている。生物多様性は様々な理由で価値を持ち、その多くは測定不可能であり、相互に競合する場合もある。同研究は、生物多様性クレジットを企業の環境影響のオフセットとして使用することに慎重な姿勢を示し、「自然回復への測定可能でプラスの貢献」としての活用を推奨している66。熱帯林生態学者からも「森林・湿地・自然界は単純なスプレッドシートではない」として、自然を数値に還元することの根本的リスクが指摘されている。カーボン市場で見られた「追加性」「永続性」「リーケージ」「測定の複雑性」といった問題が、生物多様性という「多様性の典型」においてはさらに深刻化する懸念がある。生物多様性は本質的に地域固有で代替不可能であり、「ある古い森林地帯の破壊を他の場所での新たな植林で相殺する」ことは真の生態学的損失を捉えきれない67。さらには自然・生物多様性保全の動機が段階的に変質するリスクも指摘されている≪図表6≫。
 

 

一方で先述のとおり、市場の成熟に伴い測定技術の向上も進んでいる。2025年5月には測定・評価上の課題を指摘したオックスフォード大学の他研究チームが「生物多様性・土壌健全性評価ツール」を公表し、「AI・リモートセンシング・eDNAを含む地上と地下の両方のモニタリング技術の有効性に関する指標」を提供した。これらの技術的進展により、生物多様性クレジットにおける追加性の証明を可能とすることや、プロジェクトにおける実際の生物多様性向上効果の検証精度向上を目指している68

(3)先進国と途上国等の特徴比較

先進国と途上国等における生物多様性クレジット市場の発展には、それぞれ異なる特徴と強みが見られる≪図表7≫。
 

 

制度化レベルでは、先進国がイギリスのBNG制度本格施行やEUの2025年末ロードマップ策定予定など政策検討・実験段階から実用化に向かう一方、途上国等ではウズベキスタンのBIOFIN計画や南アフリカのオフセットバンク開始など、豊富な生物多様性を背景とした制度構築が進んでいる。

自然資本の特性では、先進国は開発による生態系劣化や都市化・農業集約化への対応が課題となっているのに対し、途上国等は生物多様性ホットスポット・大規模原生生態系・世界の種の過半数保有など、グローバルな保全価値を有している。

技術・測定面では、先進国がAI・IoT活用、ブロックチェーン技術、大学・研究機関連携による高度な技術基盤を特徴とする一方、途上国等では指標種モニタリングや伝統的知識活用による適正技術・伝統知識のアプローチで、国際機関の技術支援を得ながら独自の手法を発展させている。

コミュニティ参画については、先進国が土地所有者・農家参画や法的枠組み内での制度的参画である一方、途上国等では先住民の伝統的知識、50%から60%の利益還元、コミュニティ完全主導など、先住民・地域主導の特色がある。

資金調達では、先進国が企業のESG投資や政府予算の配分による市場需要を形成し高価格取引を可能にする一方、途上国等では国際援助・寄付、先進国企業からの購入に依存し、相対的に低価格での供給が続いている。

市場アプローチでは、先進国がカーボンとの市場統合、国際標準連携によるスケール効率重視である一方、途上国等は地域特性活用、簡素で実用的な手法により多様で実験的な取組みを展開している。

5.小括(新興・途上国における生物多様性クレジット市場の現状と展望)

本稿では、途上国等における生物多様性クレジットの展開を概観した。これらの国々では、地域の豊かな自然資本を基盤として、先進国とはまた異なる多様な取組みが展開されている。

特に注目されるのは、コロンビアのSavimboやブラジルのERA Brazilに代表される先住民主導プロジェクトである。これらは伝統的知識と科学的アプローチを融合させ、生物多様性保全と地域社会発展の両立可能性を示している。また、ケニアのEarthAcreやSeaTrees、ニウエの海洋保全クレジット(OCC)、マラウイのThe Landbanking Groupによる検証可能な自然ユニット(VNU)など、陸域・海洋を問わず、カーボン統合や新測定単位開発といった動きも活発である。

市場発展の方向性として、前記4(3)での比較分析が示すように、先進国の制度・技術・資金と途上国等の自然資本・コミュニティ知識・革新性の組合せにより、グローバルな市場発展が促進される可能性がある。

一方で、生物多様性クレジットがカーボン市場の問題を繰り返し、土地収奪や人権侵害を引き起こすリスクも指摘されている69。複雑な生態系の金融資産化における技術的困難さや、グローバルサウス依存による不平等拡大への懸念も残る。

こうした中で、2025年7月にガイアナ主導で開催される「グローバル生物多様性同盟サミット」では、生物多様性豊かな国々により生物多様性クレジットを含む革新的資金調達メカニズムの構築・拡大が議論される。これは生物多様性条約第16回締約国会議(CBD COP16)以降初のグローバルな生物多様性会議として5年間の行動計画策定を目指すものであり70、生物多様性条約(CBD)の公式行事ではないものの、本分野における途上国等の自主的連携として注目される。

各国・地域の特性を反映した様々な事例は、生物多様性クレジット市場が単一のモデルではなく、多様なアプローチの集合体として発展していくことを示唆している。また、生物多様性クレジット同盟(BCA)は2025年5月に「生物多様性クレジット市場を導くためのハイレベル原則71」を改訂し、その翌月には市場の信頼性確保に向けた独立監視メカニズムの設計開始を発表しており72、制度基盤の整備も並行して進んでいる。

今後は、こうした多様なモデルの成果と課題を比較検証しながら、各国・地域に適した制度設計を進めることが必要となる。単なる環境対策手段や金融商品としての利用に留まることなく、自然と調和した持続可能な経済社会の構築に向けた重要な一歩として、生物多様性クレジットが企業の自然資本戦略への関心を高め、生物多様性保全への民間資金動員の呼び水となることが期待される。

次稿では、日本企業の先進的取組みと日本市場の実現可能性について検討する。
 

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