企業における見えない気候リスク 後編
―「無自覚な適応」をどう設計し直すか ―
適応の限界は固定的な境界ではなく、将来の気候条件、企業自身の立地や資産構成、経営環境によって変わる。そのため、短期的には合理的な対応でも、時間軸のずれ、固定化・ロックイン、重複投資と対応の空白、リスク移転・副作用といった要因が重なり、将来の脆弱性を高めうる。企業に求められるのは、既存対応を適応として事後的に位置づけることでも、すべてを一から設計し直すことでもない。まず、既存対応を起点に、対象リスク・影響経路の明確化、将来の見直し可能性の確保など6つの観点から点検することである。次に、点検結果を継続、強化、代替・分散、撤退・転換、追加調査などの判断区分に落とし込んだうえで、内容や優先順位、見直し条件を再設計し、ERM、投資判断、事業戦略に接続させることが求められる。こうしたプロセスを通じて、無自覚な適応を、将来変化に応じて見直し可能な「設計された適応」へ転換する必要がある。
1.本稿の位置づけ
(1)前稿の整理──無自覚な適応に潜む課題
前稿(前編)1では、企業における気候変動への適応が、全社的に主流化・統合されにくい一方で、実質的には、調達、製造、物流、労務、設備管理などの既存業務の中で個別に進みやすいことを取り上げた。
気候リスクは、もはや災害時に顕在化する一過性のリスクではない。したがって、気候リスクへの適応は、既存の災害対応に付随する追加的な費用ではなく、通常の災害対策の延長で扱うべき問題でもない。
適応は、気候変動下における事業継続性やレジリエンスの向上、将来の需要変化に対応した製品・サービスの創出などを通じて、企業価値を維持・向上させるための投資として位置付けられるべきものである。
しかし、部門・業務単位でみれば合理的にみえる対応が、気候変動への適応として全社的に統合されず、事業戦略に十分接続されないまま進む場合、前稿で定義した「無自覚な適応」(※)が固定化されやすい。全社的なリスク管理(ERM)、投資判断、事業戦略との整合を欠いた対応が固定化すれば、将来の事業継続性、投資効率、収益性、競争力にも影響を及ぼし、結果として適応の失敗につながるおそれがある。
※前稿では、企業が自らの取組みを気候変動への適応として明示的に位置づけないまま、実質的には適応に当たる対応が進んでいる状態を、独自の概念として「無自覚な適応」と定義した。
なお、気候変動適応に関する概念や用語には、意味の近いものが複数あり、英語と和訳の対応も文献によって揺れがある。前稿では、論点の混乱を避けるため、関連用語の整理を行った。詳細は前稿に譲り、ここでは、それらの用語と無自覚な適応の関係を整理した図を再掲する≪図表1≫。
(2)本稿の目的──既存対応の再設計と経営への接続の方向性
気候変動適応の成否は、対象とする物理的リスク2のほか、前提とする時間軸、規模、対策後の残余リスクに対する許容水準、将来の見直しの可能性などによって大きく左右される。
たとえば、調達先の分散は、気候変動下での供給途絶リスクを低減する有効な手段になりうる。しかし、分散先が同じ国・地域・流域に位置したり、同じ港を経由していたり、同じ電力系統下にあるといった場合は、実質的なリスク低減につながらず、見かけ上の分散にとどまるおそれがある。また、浸水リスク増大への備えとして、止水板の設置や受変電設備の嵩上げを行えば、浸水への脆弱性は低減され、事業継続性が高まる。しかし、想定を超えた浸水や停電の長期化による操業停止リスクが完全に回避されるわけではない。対策実施後の残余リスクが許容水準を超える場合、適応策としての妥当性が問われる。なぜなら、その投資が、移転、機能分散、撤退といった抜本的な経営判断を遅らせる要因にもなりうるからである。
本稿では、気候リスクが常態化・複合化する中で、企業全体のレジリエンスを高めるために、無自覚に進む適応を再設計し、経営判断に組み込むための考え方を整理する。
そこでまず、無自覚な適応が適応の失敗リスクを高めるプロセスと仕組みを掘り下げる。そのうえで、適応に関する既存の枠組み・文献を踏まえ、企業が既存対応を点検・再設計し、ERM、投資判断、事業戦略に接続するための方向性を示す。
(3)適応の限界──不確実で変動する対応可能性の境界
上述のとおり、適応の成否を左右する要因は複数ある。中でも重要なのが「適応の限界」であり、前稿では、「適応そのものを表す概念ではなく、適応によって対応できる範囲の境界を指す」と位置づけた。図表1の右側に示したように、一見単純な概念にみえるが、企業実務に照らすとその見極めは難しい。
適応の限界とは、気候変動影響の大小や気候リスクの高低そのものではない。問題となるのは、適応策を講じたうえでなお残るリスク(残余リスク)を、許容可能な水準まで抑えられるかどうかである。適応の限界は、対象とするリスクに対して、適応策によって事業活動を継続できるのか、それとも、現実的にとりうる適応策では残余リスクを許容範囲内に収められず、撤退・転換を含めて活動そのものを見直す必要があるのかを分ける境界であり、「対応の分岐点」として捉えることができる。
この分岐点は固定的なものではなく、将来を見通すうえで前提となる3つの条件に左右される≪図表2≫。
第1の条件は、将来の気候変動である。極端な気象現象の頻度や強度の増加幅、変化の速さ、緩和の進展度合いなどの条件が変化すると、対策前の当初リスク自体が増減する。これに伴い、同じ対策を講じたとしても、対策後の残余リスクの大きさが変わるため、適応の限界は変化する。
第2の条件は、企業自身に関するものである。立地や資産構成、財務余力などの条件が変われば、脆弱性や暴露も変わるため、当初リスクの大きさや対策の効果が変化する。その結果、対策後の残余リスクの大きさも変わり、適応の限界が変化する。
第3の条件は、企業をとりまく経営環境である。企業と関わりの深い地域の人口・社会、依存度の高いインフラ・技術・規制、顧客からの要求などの条件が変化すると、残余リスクに対する許容水準自体が変化するため、適応の限界も変化することになる。
したがって、適応の限界は、一度のリスク評価で見極められるものではない。追加投資、機能分散、撤退・転換などの判断をあらかじめ想定し、前提条件の変化に応じて更新していく必要がある。
適応の限界の見極めを誤ると、適応の失敗につながるおそれがある。なお、ここでの見極めとは、将来を正確に予測するという意味ではない。どの条件下で追加投資を行うのか、あるいは拠点、調達、製品・サービスの見直しを通じて残余リスクを低減するのか、さらには、どのような状態であれば許容リスク水準を見直すのかなど、対応の分岐点をあらかじめ意思決定に組み込んでおくことを意味する。
そのためには、ハザードマップを確認して終えるような一度限りのリスク評価ではなく、前提条件を更新して繰り返す「動的なリスク管理」が必要になる。適応の限界は不確実で変動しうるため、適応の設計では、将来の前提条件が内包する不確実性と、それに起因した将来変化への柔軟性への対応が欠かせない。
IPCC第6次評価報告書政策決定者向け要約(SPM)では、適応の限界を次の2種類に分けている3。(※印は当社による補足)
・ハードな(変化しない)適応の限界
「許容できないリスクを回避するための適応策が可能ではない。」
※適応の限界のうち、資金や技術があったとしても、物理的にみて回避することが困難な場合が該当する(例:環境変化による生物種の絶滅、島しょの存続が困難になるような大幅な海水面上昇)
・ソフトな(変化しうる)適応の限界
「選択肢が存在するかもしれないが、適応策によって許容できないリスクを回避するための選択肢が現在利用できない。」
※適応の限界のうち、現在の技術や資金では対応が困難だが、社会システムや経済状況が変化すれば克服できる可能性がある場合が該当(例:資金不足のために実施が見込まれていない海岸防護、現状の栽培品種では対応が難しい高温や水不足)
2.無自覚な適応が失敗リスクを高めるプロセスと要因
前稿では、企業の適応が全体最適になりにくい背景として、①費用・便益の見え方の非対称性、②部門別対応の固定化、③成果の統合評価の難しさという3つの構造要因を挙げた。ここでは、それらの構造要因の下で、無自覚な適応がなぜ失敗リスクを高めるのかに着目し、基本的なプロセスと主な要因に分けて整理する。はじめに、無自覚な適応が部門・業務単位で固定化し、ERM、投資判断、事業戦略との接続を欠くことによって失敗リスクが高まるという基本的なプロセスを示す。
そのうえで、失敗リスクを高める主な要因を、①時間軸のずれ、②固定化・ロックイン、③重複投資と対応の空白、④リスク移転・副作用の4つに整理し、それぞれの特性を示す。
なお、以降の整理は、企業の無自覚な適応を対象にした本稿独自のものである。ただし、(2)では、西廣ほか(2022)が提案する「適応力向上型アプローチ」4を、(3)(5)では、適応インセンティブを阻む要因に関する内田(2022)5の整理・提言を参考にした。
(1)失敗リスクが高まる基本プロセス──部門別合理性と全社的な適応設計の乖離
無自覚な適応は、多くの場合、各部門にとっては合理的な対応として始まる。調達部門による調達先の分散、製造部門による拠点への防災投資、総務人事部門による暑熱下の労働安全衛生対策、物流部門による代替ルートの確保などは、それぞれの責任範囲における必要性の高い対応である。
無自覚な適応の問題は、そうした対応が、気候変動適応として全社的に主流化・統合されないまま、部門・業務単位の対応として個別最適化されやすい点にある。この場合、企業全体としてどのリスクをどの程度低減しているのかが見えにくく、その結果、適応に当たる対応が、ERM、投資判断、事業戦略と十分に接続されないまま、部門別の予算、設備、業務手順、KPIなどとして固定化されやすい。
無自覚な適応によって適応の失敗リスクが高まる基本プロセスは、次のように整理できる≪図表3≫。
(2)時間軸のずれ──将来変化への脆弱性
上記のプロセスの中で、失敗リスクを高める第1の要因となるのは、「時間軸のずれ」である。これは、短期的には合理的な対応であっても、それが気候変動や経営環境条件の変化に十分対応できなければ、結果として長期的な脆弱性につながることを指す。
現場では、災害によって操業停止や供給不安などのリスクが顕在化すると、何らかの対応を講じざるを得ない場合が多い。そのため、気候変動への適応が視野に入っていたとしても、当面のリスク低減が優先され、防災設備の増強などの対応が短期間に進められることがある。しかし、気候リスクは時間とともに変化する。物理的リスクは、発現時期だけでなく、規模、頻度、影響経路についても不確実性を伴う。そのため、想定を上回る速度や規模で気候条件が変化したときに、現状の対応が十分な効果を発揮するとは限らない。
西廣ほか(2022)は、将来の環境条件を予測し、その条件下での成果を高める「最適化型アプローチ」には、将来が予測どおりにならなかった場合の脆弱性があると指摘している。そのうえで、変動性や不確実性に対応するには、変化力、対応力、回復力を高める「適応力向上型アプローチ」が有効だとし、その活用を提案している6。この提案は、国や地域の気候変動適応計画への活用を念頭に置いたものだが、企業の適応にも重要な示唆を与える。
すなわち、適応では、短期的な効果だけでなく、将来の変化に応じて対応を変えられる余地を残すことが重要となる。たとえば、猛暑対策として空調設備を増強することは、労働安全衛生や事業継続の観点から有効である。しかし、それが電力需要の増加、停電時の脆弱性、設備更新コストの増加を伴う場合、将来の気温上昇や電力制約の下で、別の脆弱性を生む可能性がある。補助制度の活用によって初期投資が抑えられたとしても、気候影響が長期化・深刻化すれば、運用経費や追加更新費用が膨らみ、財務面・事業継続面の脆弱性を高めるおそれもある。このような場合には、施設の断熱・遮熱、地中熱併用方式、自然換気の導入、製造ラインの稼働時間帯の変更など、電力需要を抑制しうる選択肢を検討に含めることが考えられる。
また、適応策の検討では、影響がいつ現れるかだけでなく、いつ着手し、いつまでに重要な意思決定を行うべきなのかを区別して検討する必要がある。影響が顕在化してからでは、設備投資、拠点移転、調達先変更、製品設計の見直しなどに必要な時間(リードタイム)を確保できないおそれがある。
したがって、適応の設計では、短期的な効果がある対応であっても、その効果が将来条件の変化の下で、どこまで持続するのかを確認しておく必要がある。そのうえで、追加投資や代替策に切り替えるタイミングや、事業判断そのものを見直す条件を、あらかじめ設計に含めておくことが重要になる。
(3)固定化・ロックイン──将来の選択肢の縮小
失敗リスクを高める第2の要因は、「固定化・ロックイン」である。ここでいうロックインとは、適応に当たる対応が、設備や拠点配置といった物的資産、あるいは業務手順、評価指標といった業務上の枠組みとして固定化し、結果として将来の気候変動に応じた見直しを妨げ、対応の選択肢が狭まることを指す。
適応を実務に落とし込む過程では、設備投資、拠点配置、調達契約、品質基準・仕様、業務手順書、評価指標(KPI)などに関する判断を伴う場合が少なくない。しかし、こうした判断はいったん決定されると、変更には時間と費用を要する。短期的にはリスク低減に資する一方で、将来条件が変化した場合には、対応の見直しの自由度を制約する要因にもなりうる。
たとえば、ハザードマップをもとに浸水リスクが想定される拠点で、止水板の設置や受変電設備の嵩上げを行えば、当面の操業継続性は高まる。しかし、その投資が「当該拠点を今後も維持する」という暗黙の前提となり、移転、機能分散、代替拠点の確保を先送りする結果につながるならば、長期的にはロックインを強めることになる。設備投資、雇用、取引先や地域社会との関係が固定化することで、将来の気候条件が悪化した場合でも、追加投資を続ける以外の選択肢をとりにくくなる可能性がある。さらに、すでに投じた費用や関係構築の労力がサンクコストとして意識されると、移転や撤退の判断がさらに遅れるおそれもある。
調達先の分散についても同様である。供給途絶リスクに備えて複数の調達先を確保することは合理的である。しかし、代替調達先との長期契約、品質仕様、物流経路などが定着した後に、分散先が同じ流域、同一の港湾、同じ電力系統、同種の気候ハザードに依存していたことが明らかになれば、その見直しに大きなコストがかかる。実質的なリスク低減が限定的なまま、将来の変更費用だけが高まる事態も考えられる。
この点に関連して、内田(2022)は、既存技術や生産構造が、温暖化に対して脆弱な社会システムをつくり上げる可能性を指摘している。農業分野の例として、過去の気候条件の下で合理的だった技術や生産構造が、気候変動下ではリスクを高める方向に働く場合があるとしている7。これは、企業の適応にも当てはまる。過去の条件や短期収益に照らして合理的だった設備、拠点、契約、供給網であっても、それらが固定化してしまうと、将来の気候条件に応じた見直しを難しくし、将来の脆弱性を高める可能性がある。
したがって、固定性の高い判断では、「現在のリスクをどれだけ下げられるか」の確認とともに、「その判断によって将来どの選択肢を失うことになるか」という確認が求められる。ロックインを避けるため、投資判断や契約更新の段階で、将来の前提条件が変化した場合の見直しの可能性、代替可能性、撤退・転換の余地を評価することが不可欠となる。
(4)重複投資と対応の空白──残余リスクの不透明化
失敗リスクを高める第3の要因は、「重複投資と対応の空白」である。無自覚な適応は、既存業務の延長で進みやすく、部門ごとの対応として進み、サイロ化しやすい。その結果、同じリスクに対して複数部門が別々に対応する一方で、部門間やサプライチェーン上の重要な結節点が見落とされることがある。
重複投資は、各部門が自らの責任範囲で合理的な備えを整えることで生じる。たとえば、供給不安定化に備えて、調達部門が原材料在庫を積み増し、物流部門が中継拠点在庫を増やし、販売部門が店舗在庫を厚くする場合がある。それぞれは欠品リスクを下げる合理的な対応だが、全社的に統合されなければ、同じ供給途絶リスクに対する備えが重複し、かえって過剰在庫、保管コスト、廃棄リスクを高める場合がある。
一方で、対応の空白も生じうる。自社拠点の浸水対策や製造ラインの冗長化は進んでいても、調達先、物流拠点、港湾、道路、電力網、水資源、外部委託先などの脆弱性が見落とされれば、企業全体としての事業継続性は十分に高まらない。特定のサプライヤー、物流拠点、港湾などの外部インフラが止まれば、自社拠点の被災がなくても、事業活動そのものが停止に追い込まれる可能性がある。
この問題は、前稿で整理した「成果の統合評価の難しさ」と深く関係する。緩和であれば、温室効果ガス排出量という共通指標を通じて、部門別の取組みを全社的に集約・評価しやすい。しかし、適応では、部門ごとの対応が企業全体としてどのリスクをどこまで低減しているのかを統合的に示しにくい。そのため、対応の重複と空白が併存し、結果として残余リスクが不透明になりやすい。
重複投資と対応の空白は、単なる非効率の問題にとどまらない。重複投資は、限られた経営資源を優先度の低い対応に固定化し、より重要なリスクへの投資を遅らせる要因となりうる。対応の空白は、企業全体のレジリエンスを左右する重要結節点の見落としにつながり、災害発生や気候影響の連鎖的な波及に対して、想定外の操業停止や供給途絶をまねく弱点となりうる。
したがって、適応策の設計では、自社拠点や部門単位の対応だけでなく、調達、物流、外部インフラ、取引先、外部委託先、水資源・自然資本などとの依存関係を確認する必要がある。どのリスクに対して、どの部門が、どの程度対応しているかを整理し、重複する対応、空白となっているリスク、重要結節点を全社横断的に把握することが求められる。こうした整理を通じて、個別対応の積み上げでは見えにくい残余リスクを可視化することが重要になる。
(5)リスク移転・副作用──他部門・他主体への負担
失敗リスクを高める第4の要因は、「リスク移転・副作用」である。これは、自社または自部門のリスク低減が、他部門、従業員、取引先、外部委託先、地域社会、水資源・自然環境などに、新たなリスクや負担を生む場合を指す。適応策は、あるリスクを下げる一方で、別の主体や別の時間軸にリスクを移すことがある。これが十分に確認されなければ、悪影響をもたらす不適切な適応(maladaptation)にもつながりかねない。
たとえば、猛暑下での操業継続を優先して製造ラインを維持する場合、休憩時間、作業環境、稼働計画、配送体制などの見直しが必要になる。しかし、各部門がそれぞれの操業継続や効率性を優先すれば、従業員のほか、外部委託先や配送事業者などの外部主体の負荷が過度に重くなる可能性がある。
また、供給責任を果たす名目でサプライヤーに納期や在庫確保の改善を求めれば、自社の供給途絶リスクは下がるかもしれない。しかし、サプライヤー側の在庫負担、資金繰り、労働負荷が悪化すれば、結果としてサプライチェーン全体の脆弱性を高めるおそれがある。自社の適応策が、取引先や外部委託先に過度な負担を課していないかを確認する必要がある。
こうしたリスク移転は、社内や取引先・委託先だけでなく、保険、補償、支援制度などとの関係でも生じうる。内田(2022)は、保護政策が適応インセンティブを歪め、モラル・ハザードを生む可能性を指摘している。この指摘は米国の農業保険制度などを念頭に置いたものであり、企業の適応にそのまま援用されるものではない8。しかし、保険、補償、契約上の責任分担や、政府支援などによって自社の損失が軽減される場合、予防的な適応投資やリスク低減努力が弱まる可能性があるという点では、企業にとっても示唆がある。結果として、企業による予防的対応が十分に進まず、取引先、地域社会、公共セクターなどに追加的な負担を生じさせるおそれがある。
さらに、適応策は緩和策や自然環境との関係でも副作用を生む可能性がある。空調設備の増強は暑熱リスクを低減する一方で、電力需要や温室効果ガス排出量を増やす可能性がある。防災施設の整備は浸水リスクを下げる一方で、水循環や生態系への負の影響を伴う場合もある。したがって、適応策の評価では、自社のリスク低減効果だけでなく、他主体、人、自然、将来世代への影響も考慮する必要がある。
このように、ある主体にとって合理的な適応策であっても、その負担が他の主体に移れば、企業全体あるいは社会全体としてみたときに、かえって脆弱性が高まる結果に至るおそれもある。適応の再設計では、自社・自部門のリスク低減効果だけでなく、リスク移転や副作用の有無を点検することが不可欠となる。
(6)小括──失敗リスクを高める要因は重なり合う
以上のように、無自覚な適応が失敗リスクを高める主な要因は、次の4つに整理できる≪図表4≫。
第1に、時間軸のずれによって、短期的には合理的な対応が将来変化への脆弱性を生む。第2に、設備投資、拠点配置、品質基準・仕様、業務手順書、評価指標(KPI)など、変更のために時間と費用を要する判断は固定化しやすく、ロックインを生む。第3に、部門別対応が積み上がることで、重複投資と対応の空白が併存し、残余リスクを不透明にする。第4に、自社・自部門のリスク低減は、他部門、従業員、取引先など外部主体に新たなリスクや負担を生み、サプライチェーンや組織の脆弱性を高めることにつながる。
これらの要因は、実務上、重なり合う場合が多い。浸水リスクのある拠点への防災投資は、将来の浸水リスクの変化を十分に織り込んでいなければ「時間軸のずれ」を生み、その投資が拠点維持の前提を強めれば、「固定化・ロックイン」にもつながる。また、在庫積み増しは、各部門が個別に対応すると「重複投資」を生むおそれがあり、在庫は増えても重要経路の脆弱性が見落とされれば「対応の空白」の可能性も残る。さらに、保管や廃棄の負担が他部門や外部主体に移れば「リスク移転・副作用」を生む可能性がある。
したがって、無自覚な適応のリスクは、「時間軸のずれ」、「固定化・ロックイン」、「重複投資と対応の空白」、「リスク移転・副作用」という4つの観点を漏らさず、横断的に点検する必要がある。こうした観点を欠く場合、企業全体としてのレジリエンスを損ない、適応の失敗につながるおそれがある。
気候変動の緩和では、温室効果ガス排出量という共通指標を基礎に、目標設定、情報開示、価値評価に関する枠組みが整備されてきた。これに対して適応では、企業ごとに直面する気候ハザード、立地、資産構成、脆弱性、許容リスクが異なるため、成果を単一の指標で比較することは現実的でない。このため、企業の適応を統合的に評価・管理する枠組みへの期待は高いものの9 10、なお確立の途上にある。
もっとも、適応の物理的リスク評価や脆弱性評価などに関する主な枠組み・文献には次表のようなものがあり、既存の対応を点検・再設計するうえで有用な参照情報となる。

上表に挙げた枠組み・文献は、それぞれ役割が異なる。環境省の企業向けガイドや物理的リスク評価の手引きは、企業が適応を実務に組み込むうえでの入口となる。TCFD、WBCSD、ACTなどは、物理的リスクをリスク管理、事業計画、バリューチェーン、ガバナンスに接続する際の参照枠組みとなる。ISO 14090・14091は、適応マネジメントや気候リスク評価の手順を組織内で整えるうえで参考になる。日本の気候変動適応計画は、コベネフィットやシナジー・トレードオフの考慮など、企業にとっても重要な視点が含まれる。適応力向上型アプローチに関する文献は、不確実性の下で将来変化に対応する力を高めるうえで役立つ。
以下、それらの枠組み等から、企業が無自覚な適応を点検・再設計する際の参照ポイントを抽出する。
① 環境省企業向けガイド・物理的リスク評価手引きなど──既存業務に適応を組み込む際の入口
企業が気候変動適応を実務に落とし込む際に、まず参照しやすいのが、環境省の『改訂版民間企業の気候変動適応ガイド』および『気候変動の物理的リスク評価の手引き』である11 12。前者は、2018年に施行された気候変動適応法を受け、民間企業の自主的な取組を後押しするために作成された。その後、情報開示の進展や事業継続マネジメント(BCM)への要請の高まりを踏まえて、2022年に改訂された。企業が気候変動適応を推進する際に参考となる情報や考え方が幅広く整理・紹介されている。
後者は、気候変動適応の中心的課題である物理的リスクへの対応を、前者から一歩進み、実務に落とし込むための手引きとなっている。適応の必要性に加え、物理的リスク評価の一連の流れがフローチャート形式で解説され、評価に使用可能なツール・データ、国内企業の情報開示事例も紹介されている。
環境省からは、そのほかにも、物理的リスクの評価と密接に関係し、かつ、情報開示担当者にとって悩ましい課題であるシナリオ分析を取り上げた、『分析実践ガイドVer2.0』が公表されている13。
これらのガイド等の利点は、適応をどのような事業活動に組み込めるのか、また物理的リスクをどのように評価し、対応に結び付けるのかを、国内の企業実務に即して効率的に理解できる点にある。他方で、提示されている考え方や手法はあくまで例示であり、取組みの優先順位、リスク評価の体制・手順、残余リスクの許容水準などは、各企業のビジネス特性・事業環境などに応じて異なる。したがって、既存の対応を棚卸しし、無自覚な適応の可視化に取り組む際の実務的入口としての活用が想定される。
② TCFD・WBCSD・ACT等──リスク管理・適応戦略・取組みの評価への接続
TCFDのリスク管理の統合および開示に関するガイダンスは、気候リスク特有の「長期的な時間軸」「地域・セクター別の異質性」「過去データに依拠できない不確実性」という特性を前提に位置付け、気候リスクを独立した課題とせず、既存のERMに統合するための原則と6つのステップを示している14。気候リスクを新たなカテゴリーとして扱うのではなく、既存の事業リスクを増幅・変容させるドライバーとして再定義し、全社共通の評価尺度や言語で既存プロセスに組み込む(主流化する)ことで、部門別のサイロ化や対応の重複・空白を防ぐことを掲げている。
このガイダンスには、適応を部門別対応にとどめず、ERMに接続するうえで重要な視点が含まれる。
WBCSDによる物理的リスクに関するCEO向けガイダンスとハンドブックは、物理的リスクを企業価値やバリューチェーンに関わる経営課題として捉え、部門横断的な管理と意思決定への統合を求めている15 16。特に、物理的リスクを自社の被害(一次的影響)に限定せず、調達網の途絶(二次的影響)や社会システム全体の機能不全(三次的影響)を含めた、バリューチェーン全体にわたる経営課題として捉え直すことを促している。そのうえで、バリューチェーン上の重要結節点の特定、財務的影響の測定、戦略策定、実行とモニタリング、報告と開示という5つの手順を提示している。さらに、物理的リスクを重要な意思決定に組み込むための推進力として、部門横断的なガバナンス、全社共通のデータとツール、分析のための社内能力、取引先との連携という4つの要素を掲げている。
このガイダンス・ハンドブックは、企業全体のレジリエンスを高めるために、自社・自部門の枠を超えた「対応の空白」や「リスク移転・副作用」を特定し、再設計することの重要性のほか、それらを投資判断、事業戦略に接続して実行に移すうえでの重要な視点を提供している。
フランス環境エネルギー管理庁(ADEME)とCDPの共同イニシアティブであるACTの『Adaptation Methodology』は、企業の適応戦略の成熟度を評価・格付けするための枠組みである17。特徴の1つは、適応の取組みの質を、ガバナンスと戦略、物理的リスク分析、適応能力と適応活動という3つの側面から、多角的に分析・評価する点にある。もう1つの特徴は、バリューチェーン全体を評価対象としつつ、「適応経路(Adaptation Pathways)」の考え方を重視している点である。なお、適応経路とは、将来の不確実性を踏まえて、状況の変化や適応の限界に応じて、適応策を段階的に切り替えていく考え方である。これは、企業が自社の適応を評価する際に、戦略との整合性、実行可能性、バリューチェーン上の影響、副作用の回避(Do No Significant Harm:DNSH)、継続的な能力向上までを動的に確認し続ける必要があることを示している。
この枠組みは、適応経路の考え方を通じて、適応策の「固定化・ロックイン」を避けるうえで役立つ。また、企業が適応を再設計する段階で、適応の質を多角的に分析・評価する枠組みとして活用できる。
③ ISO 14090・14091──社内標準化と評価手順の国際整合性
国際標準化機構(ISO)によるISO 14090は、組織が気候変動への適応を進める際の原則、要求事項、指針を示す国際規格である。適応を、組織の意思決定に組み込まれた反復的かつ継続的なマネジメントプロセスとして取り扱う際の参照資料となる18。これに対してISO 14091は、上記の規格を踏まえ、脆弱性、影響、リスクの評価に焦点を当てた規格である。気候ハザードが組織に影響を及ぼす経路を可視化するインパクト・チェーン(影響連鎖)の活用が推奨され、物理的リスクの評価を論理的に進めるうえで参考になる19。
これらの規格は、企業の具体的な優先順位や投資判断に直接関わるものではないが、物理的リスクの特定、影響経路の整理、脆弱性評価、適応策の選定、責任分担、モニタリング、定期的なレビューなどの手順を、部門横断で共有しやすい形に整えるうえで役立つ。これにより、既存対応を全社的に点検・再設計する際の共通手順を整えるのに役立つ。
④ 日本の気候変動適応計画──シナジー・トレードオフの視点
『気候変動適応計画』は国レベルの計画であるが、企業の適応に関しても重要な視点が含まれている。特に、適応の推進に当たって、適応とコベネフィットをもたらす施策を重視すべきことや、緩和策とのシナジー/トレードオフの評価の必要性が明記されている20。こうした視点は、企業の実務にも応用できる。たとえば、猛暑対策として空調設備を増強することは、労働安全衛生の観点からは合理的である。しかし、それが電力依存度を高め、停電時の脆弱性を増し、温室効果ガス排出量やランニングコストを増加させるならば、悪影響をもたらす不適切な適応(maladaptation)やロックインを招き、企業の対応余力を狭めるおそれがある。反対に、施設の断熱改修、遮熱、自然換気、緑化、業務時間の見直しなどは、暑熱リスクの低減、排出削減、労働環境の改善などを同時に進める選択肢になりうる。
また、適応と生物多様性との関係も重視されている。自社拠点の浸水対策として画一的な防災インフラを整備することが、自然環境を損ない、長期的には地域の水循環や生態系サービスを低下させ、別のリスクを高める可能性もある。一方で、自然を活用した解決策(NbS:Nature-based Solutions)やグリーンインフラの導入は、災害リスクの低減、暑熱緩和、生物多様性保全を同時に進める可能性をもつ。
以上のようなコベネフィットやシナジー/トレードオフといった視点は、適応策に伴う、緩和、生物多様性、人の健康・安全、地域社会への影響を点検する際の参照軸として役立つ。
⑤ 適応力向上型アプローチ──不確実性下での柔軟性・冗長性・回復力
西廣ほか(2022)は、国や地域の気候変動適応計画の検討に関して、現在の問題や将来の予測結果に合わせて最適なシステムを設計する「最適化型アプローチ」とは異なる考え方として、不確実性を前提としてシステムの適応力を高める「適応力向上型アプローチ」を提案している21。特に後者のアプローチを、突発的な環境変動や、予測どおりにならない将来に有効な考え方として位置づけ、システムの「変化力」「対応力」「回復力」を高めることの重要性を指摘している。
この文献は、企業の適応にとっても重要な示唆を与える。たとえば、企業が特定の気候シナリオに合わせて設備、拠点、調達先、契約条件などを固定化すると、将来予測が外れた際に脆弱性が高まり、ロックインにつながりやすい。提案されたアプローチに従えば、既存対応の再設計では、特定条件への最適化だけでなく、異なる条件下でも一定の機能を維持できる冗長性、状況変化に応じて構成を変えられる柔軟性、被害後に回復できる力を確保することが重要になる。
なお、適応力向上型アプローチには、効果が短期的に見えにくく、具体的な課題との対応関係も説明しにくい場合があることも示されている。企業実務では、最適化型と適応力向上型を対立的に捉えるのではなく、短期的に必要な被害低減策と、不確実性に備えるべき柔軟性・冗長性の確保の組み合わせが重要になる。
適応力向上型アプローチは、無自覚な適応が「時間軸のずれ」や「固定化・ロックイン」を通じて失敗リスクを高めることを避けるうえで重要な視点を提供する。
3.無自覚な適応を点検するための観点とチェックリスト案
前項では、無自覚な適応が失敗リスクを高める要因として、時間軸のずれ、固定化・ロックイン、重複投資と対応の空白、リスク移転・副作用を挙げた。また、BOX2に示したとおり、適応に関する既存の枠組み・文献には、既存対応を点検・再設計するうえで役立つ視点が多くある。
企業に求められるのは、社内で進む対応の棚卸しと一覧化にとどまらない。個々の対応に適応の失敗リスクを高める要因が含まれていないかを点検し、必要に応じて再設計するサイクルを回すことである。
そこで、ここまでの結果を踏まえ、まず、無自覚な適応を点検するための観点を整理する。そのうえで、企業が適応の失敗リスクを避けるために活用できる、より実務的なチェックリスト案を提示する。
(1)無自覚な適応を点検するための6つの観点
無自覚な適応の再設計では、既存の対応に、適応の失敗リスクを高める要因が含まれていないかを点検する必要がある。具体的な点検項目を検討するための観点は、少なくとも次の6つに整理される≪図表5≫。
第1に、対象とする物理的リスクと影響経路が明確になっているかである。既存の対応が、豪雨、洪水、高潮、猛暑、原材料調達への影響、供給途絶など、どの物理的リスクや事業影響を対象としているのかを明確にする必要がある。なお、ここでいう物理的リスクは、気象・気候ハザードそのものに限らない。供給途絶のように、それらが調達・物流などの影響経路を介して事業活動に及ぼす影響も含めて捉えたものである。そのうえで、未対応リスク、重要結節点、複数拠点・取引先が同時に影響を受けるリスク、調達・物流・電力・水資源などを通じた連鎖的な影響などの見落としを減らすことが重要になる。
第2に、特定した重要リスクへの対応になっているかである。既存の対応が、物理的リスク分析や脆弱性評価で特定された重要リスク、重要拠点、重要機能、サプライチェーン上の結節点に対応していなければ、対応の優先順位や、対策後の残余リスクは明確にならない。特定した重要リスクに対して、対応の漏れや過不足がないかどうかを確認することが重要である。
第3に、適応策の選択が、短期効果だけで判断されていないかである。事業継続や供給確保などの観点から短期的には合理的な対応であっても、長期的には維持管理費の増加、追加投資の固定化、撤退・転換判断の遅れを通じて将来の脆弱性を高める場合がある。そのため、当面の費用対効果だけでなく、将来条件が変化した場合の負担や選択肢への影響を確認することが重要となる。
第4に、適応策の設計に、将来の見直し可能性が確保されているかである。設備、拠点、調達契約、業務手順、KPIなどが固定化すれば、将来条件が変化した際に対応の選択肢が狭まる。したがって、対応の段階的な強化、代替策、撤退・転換条件、判断を見直す時期などをあらかじめ検討しておくことが重要になる。
第5に、他部門・他主体・自然環境への悪影響について確認されているかである。自社・自部門のリスク低減が、他部門、従業員、取引先、外部委託先、地域社会、自然環境などに新たな負担を生む場合がある。また、適応策が緩和策とのトレードオフを生む場合や、将来の「移行リスク」を高める場合もある。そのため、リスク移転や副作用を確認し、シナジーとトレードオフを評価することが重要になる。
第6に、実施後も見直し続ける仕組みが設けられているかである。気候条件、事業環境、保険市場、規制、サプライチェーンは将来にわたり変化する。したがって、対応を実施した後も、効果、残余リスク、前提条件、適応の限界の変化を継続的に確認し、必要に応じて投資判断や経営判断に反映する仕組みが重要となる。
(2)無自覚な適応を点検するためのチェックリスト案
上記の6つの観点をもとに、企業が既存の対応を点検する場面を想定したチェックリスト案を作成した≪巻末:参考資料≫。ここでは、その概要を示す≪図表6≫。
このチェックリスト案は、既存の対応を、対象とする物理的リスク、リスク分析との関係、将来変化への対応力、経営判断との接続、他部門・他主体・自然環境への影響、実施後の見直しの仕組みという6つの観点から確認するものである。これにより、既存の対応が適応の失敗につながる要因を内包していないか、また、結果として失敗リスクを高める可能性がないかを確認し、必要な見直しに接続しやすくなる。
ただし、巻末のチェックリスト案に掲げた点検項目は、あくまで一例である。実際には、業種、事業規模、拠点構成、サプライチェーン、対象とする物理的リスク、リスク許容度などに応じて、自社の意思決定プロセスに合う形に調整することが望ましい。
4.点検結果を再設計と経営判断に接続する
既存対応の棚卸しは、無自覚な適応を見直す出発点となる。しかし、個々の対応を事後的にマッピングするだけでは、設計された適応への転換にはつながらない。一方で、すべての対応を一から設計し直す必要もない。重要なのは、既存対応を前項の6つの観点から点検し、その結果を再設計のための判断区分に変換することである。具体的には、既存対応を、継続、強化、代替・分散、撤退・転換、追加調査に区分して、それぞれの内容を見直し、優先順位や実施時期を特定し、責任分担や将来の見直し条件を明確にすることである。そのうえで、再設計した対応について、ERM、投資判断、事業戦略への接続を図ることになる。
(1)点検結果を判断区分に変換する
既存対応を点検する意義は、対応の有無を確認することよりも、次にどの判断を行うべきかを明らかにすることである。そのため、点検結果を、再設計のための判断に接続しやすい区分に変換する必要がある。
たとえば、対象とする物理的リスクとの対応関係が明確で、残余リスクも許容範囲にある対応は「継続」と区分し、通常のモニタリングに組み込む。効果はあるが、将来条件や重要度を踏まえると不足が見込まれる対応は「強化」と区分し、追加投資、運用改善、冗長化、保守更新などを検討する。また、特定の拠点、調達先、設備、物流経路への過度な依存がある場合は「代替・分散」と区分し、代替調達、拠点分散、物流ルートの多重化、外部インフラ依存の低減を検討するといったことが考えられる。
さらに、追加的な投資を重ねても残余リスクが許容範囲に収まりにくく、ロックインのおそれがある場合は、「撤退・転換」と区分し、拠点移転、機能転換、事業縮小、製品・サービスの見直しを選択肢に入れる。判断材料が不足している場合は、「追加調査」と区分し、専門家のレビューや関係機関への照会、暫定対応、再評価時期の設定につなげることが考えられる。
以上のような判断区分の例を、再設計の方向性を含めて整理した≪図表7≫。このように、点検結果は、適応を再設計するための判断区分に変換することで、次なる意思決定のための根拠や判断材料となる。
(2)判断区分に応じて既存対応の内容を再設計する
ここでいう再設計とは、対応のすべてを設計し直すことではなく、点検結果に基づいて、対応の内容、優先順位、実施時期、責任分担、見直し条件などを再整理することである。
たとえば、「継続」と区分された対応であっても、残余リスクや前提条件などの変化を確認するためのモニタリングを組み込む必要がある。「強化」と区分された対応については、既存の対応のどの機能をどの程度補強するのか、追加投資や運用改善をいつ行うのかを明確にする必要がある。「代替・分散」と区分された対応では、調達先や物流ルートを単に増やすのではなく、分散先が同じハザード、国・地域、流域、港湾、電力系統などに依存していないか確認し、リスク特性の異なる代替先を確保する必要がある。
さらに、「撤退・転換」と区分された対応については、投資を継続・追加する条件と、撤退・移転・機能転換などを検討する条件を整理することが重要になる。「追加調査」と区分された対応についても、何を追加的に確認し、いつ再評価するかを明確にする必要がある。
このように、再設計とは、既存の対応を「適応」の枠組みの中に単に位置づけ直すことではない。点検結果に応じて、対応の内容や優先順位を見直し、将来条件の変化に応じて強化、代替・分散、撤退・転換を判断できる状態をつくることである。
(3)ERM・投資判断・事業戦略に組み込む
次に、再設計した対応を、ERM、投資判断、事業戦略に組み込む必要がある。WBCSDのCEO向けガイダンス(2025)も、「企業は物理的リスクマネジメントを中核的な事業計画や日々の業務に組み込み…中略…事業継続性を守り、コスト効率を維持し、競争優位を確保する必要がある」と指摘する22。
ERMでは、残余リスクが企業のリスク許容水準に収まっているか、重要拠点、重要機能、サプライチェーン上の結節点に重大な脆弱性が残っていないかを確認する必要がある。残余リスクが許容範囲を超える場合は、それを各部門で対応すべき運用課題ではなく、経営レベルで扱うリスクに位置づけることが重要になる。
投資判断では、短期の費用対効果だけでなく、将来の維持管理コスト、追加投資の必要性、代替策の有無、撤退・転換の余地について確認しておく必要がある。短期的には効果の高い投資であっても、将来条件の変化に対応できなければ、ロックインや追加負担を生む可能性があるためである。
事業戦略では、点検結果や再設計の方向性を、拠点の維持・移転、調達先の見直し、サプライチェーンの再編、製品・サービスの設計、在庫・物流方針、顧客への製品供給・サービス提供などに関する判断に反映する必要がある。これにより、適応を災害対応の枠内だけにとどめず、資本配分、事業継続、企業価値などに関わる経営上の判断材料として扱うことができる。
(4)社内体制──機能と意思決定プロセスの明確化
適応を再設計する際の組織形態に定まった形があるわけではない。取締役会の下に独立委員会を置く、CROやCSOを中心とした体制をつくる、リスク管理部門が主導するなど、企業規模や事業特性、既存のガバナンス体制に応じて、さまざまな形がありうる。重要なのは、組織の外形ではなく、適応の再設計に必要な機能が社内で担保されていることである。たとえば、事業部門が現場や取引先の情報を把握し、リスク管理・サステナビリティ部門が物理的リスク分析や点検を担い、経営企画・財務部門が投資判断や事業戦略との整合を確認し、経営層がリスク許容度や撤退・転換など重要判断を行う、といった役割分担が考えられる。
WBCSDのCEOハンドブック(2025)は、企業が物理的リスクに対応するために、複数の部門が連携して動く必要がある場合が多いとし、対応の実施に必要な推進要素として、部門横断的なガバナンス体制の確立やバリューチェーンパートナーとの連携を挙げている23。これは特定の組織や部門体制を推奨するものではない。誰が情報を集め、誰が評価し、誰が見直しを判断し、どの会議体やプロセスで意思決定に反映するかを明確にすべきことを意味している。この役割分担が曖昧なままだと、チェックリストを導入しても、点検結果が各部門の進捗管理表にとどまり、経営判断につながりにくい。
したがって、社内体制を考える際には、適応の再設計に必要な機能の有無だけでなく、その機能を誰が担い、点検・再設計の結果を、ERM、投資判断、事業戦略の策定といった意思決定プロセスのどれに反映するのかを、あらかじめ明確にしておく必要がある。
5.おわりに──無自覚な適応から、設計された適応へ
企業の気候変動適応は、調達、製造、物流、労務、設備管理など、既存業務の中で実質的に進んでいる場合がある。しかし、それらが気候変動への適応として明示的に認識されず、ERM、投資判断、事業戦略に接続されなければ、無自覚な適応にとどまる可能性がある。
無自覚な適応は、短期的には合理的であっても、時間軸のずれ、固定化・ロックイン、重複投資と対応の空白、リスク移転・副作用といった要因が重なり、将来の失敗リスクを高める可能性がある。また、将来の気候条件に加え、企業自身の立地や資産構成、企業を取り巻く経営環境が変化すれば、適応の限界も変動し、適応の成否を左右しかねない。
そのため、企業に求められるのは、既存対応を適応として事後的にマッピングするだけにとどめることでも、すべてを一から設計し直すことでもない。既存対応を、対象リスク、残余リスク、将来の見直し可能性、他部門・他主体への影響、実施後の更新体制などの観点に基づき点検し、継続、強化、代替・分散、撤退・転換、追加調査といった再設計のための判断区分に落とし込むことが重要になる。
こうした結果をERM、投資判断、事業戦略に組み込むことで、無自覚な適応は、「設計された適応」へと転換しうる。適応の再設計とは、既存対応を追認することではなく、将来変化に応じて判断を見直せる仕組みを整えることであり、気候変動時代における企業のレジリエンスを高めるための経営課題である。
- Insight Plus「企業における見えない気候リスク 前編 ―「無自覚な適応」に潜む構造的課題 ―」(2026年5月)
- 物理的リスクは、豪雨、洪水、高潮などの極端な気象現象・災害によって短期間に顕在化する急性リスクと、海面上昇、降水パターンの変化や水資源の変動といった長期的・継続的な気候変化によって生じる慢性リスクに大きく分けられる。
- IPCC AR6 第2作業部会報告「気候変動-影響・適応・脆弱性」政策決定者向け要約 環境省暫定訳(2023年)p.5
- 西廣ほか(2022)「気候変動適応策としての「適応力向上型アプローチ」」保全生態学研究27 : 315-322
- 内田(2022)「気候変動適応策の現状と課題―適応格差の是正に向けた政策視点―」環境経済・政策研究, Vol.15-1, 21-28
- 前脚注4
- 前脚注5
- 前脚注5
- International Chamber of Commerce(ICC)・Oxera, “The role of the private sector in climate adaptation”, 2025
- Climate Policy Initiative “Tracking and Mobilizing Private Sector Climate Adaptation Finance – 2024”
- 環境省「民間企業の気候変動適応ガイド-気候リスクに備え、勝ち残るために-」(2022年)
- 環境省「気候変動の物理的リスク評価の手引き-気候変動適応で企業価値を高める-(2025年度版)」(2026年3月)
- 環境省「TCFDシナリオ分析と自然関連のリスク・機会を経営に織り込むための分析実践ガイドVer2.0」(2025年)
- TCFD, Guidance on Risk Management Integration and Disclosure, 2020
- WBCSD「物理的リスクに先手を打つ(Getting Ahead of Physical Risk)なぜCEOはバリューチェーン全体の物理的リスクに取り組むべきか」2025年9月(2026年3月 日本語翻訳版)
- WBCSD「バリューチェーンにおける物理的リスクとレジリエンス(Physical Risk and Resilience in Value Chains)経営層の連携のためのCEOハンドブック」2025年9月(2026年3月 日本語翻訳版)
- ACT Initiative(2023)“ACT Adaptation Methodology, Version 2.0”, October 2023
- ISO 14090:2019, Adaptation to climate change – Principles, requirements and guidelines (気候変動適応 – 原則、要求事項及び指針), International Organization for Standardization.
- ISO 14091:2021, Adaptation to climate change – Guidelines on vulnerability, impacts and risk assessment (気候変動適応 – 脆弱性、影響及びリスク評価に関する指針), International Organization for Standardization.
- 「気候変動適応計画」(2021年閣議決定、2023年一部変更 閣議決定)
- 前脚注4
- 前脚注15
- 前脚注16
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